日本プロ野球「歴代ホームラン数(通算本塁打)」ランキングトップ20!(2019年現在、現役・OB選手反映)

10位 金本知憲

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通算本塁打数:476本

名前:金本知憲(かねもとともあき)

生年月日:1968年4月3日

年齢:51歳(2019年9月時点)

出身地:広島県広島市南区

身長:180㎝

体重:88㎏

投打:右投げ左打ち

ポジジョン:外野手

プロ入り:1991年ドラフト4位(広島東洋カープ)

最終学歴:東北福祉大学

選手歴:広島東洋カープ

 阪神タイガース

金本知憲さんですが、入団後の2年間は目が出ず、当時は「鉄人」の面影はなく、線の細い選手でした。

しかし、地道な体作りを行い、1994年から徐々に頭角を現して行きました。

金本知憲さんと言えば、「連続フルイニング出場世界記録保持者」のイメージがありますが、連続無併殺打(1002打席、ダブルプレーがないこと)・連続4番先発出場数(880試合)日本記録保持者でもあります。

本塁打王を獲得したことはありませんが、平成時代(1989年1月8日 ~ 2019年4月30日)の間に最も本塁打王を打った選手でもあります。(※通算476本塁打の全てを平成の間に記録しています)

現役引退後は、野球解説者を経て、2015年から阪神タイガースの監督に就任しますが、思うような成績を残せず、2018年に責任を取る形で辞任しています。

 

9位 大杉勝男

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通算本塁打数:486本

名前:大杉勝男(おおすぎかつお)

生年月日:1945年3月5日

没年月日:1992年4月30日(47歳没)

出身地:岡山県勝田郡奈義町

身長:181㎝

体重:88㎏

投打:右投げ右打ち

ポジジョン:一塁手

プロ入り:1965年(現:日本ハムファイターズ)

最終学歴:関西高校(岡山県の私立高校)

選手歴:日本ハムファイターズ(東映、日拓)

 ヤクルトスワローズ

大杉勝男さんは、高校、社会人を経てプロ入り。

6年連続30本塁打を記録し、本塁打王:2回(1970年、1971年)獲得しています。

ライバルであった野村克也さんは、「どんな球種やコースにも体勢を崩さず素直に対応出来るバッティングの体捌きは大杉が歴代ナンバーワンだったのではないか」と公言しています。

現役引退後時に、背番号8がヤクルト初の欠番に決定。

1984年から1989年までフジテレビ・ニッポン放送の野球解説者を務め、1990年に横浜大洋ホエールズの1軍打撃コーチに就任しますが、1991年に癌が判明し退団。

1992年4月30日、肝臓癌のため死去しています。

 

同7位 衣笠祥雄

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通算本塁打数:504本

名前:衣笠祥雄(きぬがささちお)

生年月日:1947年1月18日

没年月日:2018年4月23日(71歳没)

出身地:京都府京都市東山区

身長:175㎝

体重:73㎏

投打:右投げ右打ち

ポジジョン:三塁手、一塁手

プロ入り:1965年(広島東洋カープ)

最終学歴:平安高校

選手歴:広島東洋カープ

衣笠祥雄さんと言えば、連続試合出場記録(プロ野球1位、世界2位)、連続フルイニング出場(歴代3位)「鉄人」のイメージですが、本塁打も多く放っています。

本塁打王のタイトルを獲得したことはありませんでしたが、常にフルスイングすることで相手投手に恐れられていました。

厳しいマークに合うためか、死球(デッドボール)の数が多いことで知られていました。(通算被死球161、歴代3位)

しかし、決して怒ることはなく「いいよ、大丈夫だから」と相手投手を気遣う紳士的な選手でもありました。

衣笠祥雄さんが長く、現役生活を続けられたのは、体の強さだけでなく、デッドボールのよけ方がうまかったからだとも言われています。

現役引退後は、1988年から2018年途中まで30年半(31年間)を野球解説者として過ごしますが、2018年4月23日、上行結腸がんのために死去しました。

死去4日前に野球解説をした衣笠祥雄さんの声のかすれを心配する声があり、その矢先の訃報でした。

 

同7位 張本勲

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通算本塁打数:504本

名前:張本勲(はりもといさお)

生年月日:1940年6月19日

年齢:79歳(2019年9月時点)

出身地:広島県広島市

身長:181㎝

体重:85㎏

投打:左投げ左打ち

ポジジョン:外野手

プロ入り:1959年(現:日本ハムファイターズ)

最終学歴:浪華商業高校(現・大阪体育大学浪商高校)

選手歴:日本ハムファイターズ(東映フライアーズ、日拓ホームフライアーズ)

 読売ジャイアンツ

 ロッテオリオンズ

張本勲さんと言えば、日本プロ野球初の3000安打達成者でもあり、通算安打の日本記録保持者(3085本)でもあります。

昭和の安打製造機と言えば、良いでしょうか。

プロ野球唯一の500本塁打300盗塁達成者しています。

さらに史上最多の16度のシーズン打率3割史上最長の9年連続打率3割の記録保持者でもあります。

張本勲さんは、本塁打王のタイトルを獲得したこともありません。(あまり本塁打のイメージがありませんよね)

しかし、コンスタントに本塁打を積み重ね、500本塁打以上を放っています。

張本勲さんと言えば、TBS系テレビ「サンデーモーニング(毎週日曜日放送)」「週刊ご意見番」というスポーツコーナでご存知の方も多いと思います。

野球以外のスポーツにも歯に着せぬ物言いで、放送後にはヤフーのトレンドにも登場するほど、話題のコーナーでもあります。

良いプレーには「あっぱれ」、ダメなプレーには「喝」を入れるコーナーですが、張本勲さんは圧倒的に「喝」が多いです。

そんな張本勲さんですが、当初は大沢啓二さん(2010年没)との2人で出演していました。

大沢啓二さんと言えば、タレントの大沢あかねさんの祖父で、日本ハムファイターズの監督を務めたこともある人物です。

暴走気味の張本勲さんを抑える役を担っていましたが、大沢啓二さんが亡くなって以降は、日替わりで出演者が変わり、張本勲さんと共演しています。

いつも「喝」を入れる側の張本勲さんですが、そんな張本勲さんに「喝」を入れた人物が大沢啓二さん以外に2人います。

1人目がプロ野球唯一の400勝投手の金田正一さん、この日は大学野球でのプレーを巡り、張本勲さんが「喝」を入れると、金田正一さんが「少しは褒めてあげなさいよ」とたしなめる場面も、これには張本勲さんもタジタジでした。

2人目が、巨人、メジャリーグでも活躍し、2019年に引退した上原浩治さん。

メジャリーグ嫌いとも言われている張本勲さんが、メジャリーグについて批判を始めると、上原浩治さんが「これは張本さんに”喝”ですよ。メジャリーグを知らなさすぎる」と発言し、これには張本勲さんも苦笑いでした。

現在の張本勲さんは上記のようなテレビ出演の他、野球解説者・評論家の活動も行っているようです。

これほどの実績を上げているのに未だに監督未経験なのは、選手を褒めることの少ない性格の問題からなのでしょうか?

 

6位 落合博満

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通算本塁打数:510本

名前:落合博満(おちあいひろみつ)

生年月日:1953年12月9日

年齢:65歳(2019年9月時点)

出身地:秋田県男鹿市

身長:178㎝

体重:82㎏

投打:右投げ右打ち

ポジジョン:一塁手、二塁手、三塁手

プロ入り:1978年ドラフト3位(ロッテオリオンズ)

最終学歴:秋田県立秋田工業高校→東洋大学(中退)

選手歴:ロッテオリオンズ

 中日ドラゴンズ

 読売ジャイアンツ

 日本ハムファイターズ

落合博満さんと言えば、プロ野球史上初の3度の3冠王を達成しています。

3冠王の達成自体も難しいのに、それを3回というのは凄すぎる。

元々、体育会系の慣習が嫌いなとや故障の影響もあり、東洋大学を中退。

その後、社会人チームの東芝府中に入団し、25歳でプロ入りと遅咲きの選手でした。

本塁打王:5回(1982年、1985年、1986年、1990年、1991年)と、所属チームでも主に4番打者として活躍。

※セ・パ両リーグで本塁打王を初めて達成した選手でもあります。

バッティングも「神主打法」という独特の打ち方で、逆方向(ライト方向)への本塁打が多いことも特徴でした。(通算510本塁打のうち、176本がライト方向への本塁打)

現役引退後は、タレント、野球解説者として活動。

その後、中日ドラゴンズの監督に就任し、8年間で4度のリーグ優勝、すべての年でAクラス入りを果たしたという実績を挙げています。(日本シリーズ優勝:2007年)

「オレ流」と呼ばれる独特の指導法で、勝つことを優先し、ファンサービスが足りないとの批判もありましたが、落合博満さんは「勝てばファンはついてくる」と発言しています。

監督退任後は、あまり表舞台に姿を見せていませんが、不定期ではありますが、野球解説やテレビ番組にも出演しています。

 

5位 清原和博

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通算本塁打数:525本

名前:清原和博(きよはらかずひろ)

生年月日:1967年8月18日

年齢:52歳(2019年9月時点)

出身地:大阪府岸和田市

身長:188㎝

体重:104㎏

投打:右投げ右打ち

ポジジョン:一塁手、三塁手

プロ入り:1985年ドラフト1位(西武ライオンズ)

最終学歴:PL学園高校

選手歴:西武ライオンズ

 読売ジャイアンツ

 オリックスバファローズ

KKコンビ(桑田・清原)で甲子園を沸かせた清原和博さん。

ホームランバッターではありますが、実は本塁打王のタイトルを獲得したことは一度もありません。

打点王、首位打者などの獲得もないことから、「無冠の帝王」と呼ばれたこともありました。

しかし、別名「お祭り男」と呼ばれており、特にオールスター戦に強く、オールスター戦通算打率1位(100打数以上対象)・通算本塁打2位・通算打点1位・通算塁打1位・通算得点1位という記録を残しています。

オールスターMVP受賞最多記録(7回)も保持しています。

プロ1年目から、打率.304、本塁打31、打点78という記録を残し、同年出場した日本シリーズでは全試合で4番を務め、チームの日本一に貢献し、シリーズ優秀選手賞を獲得しています。

西武では4番打者として活躍し、「王貞治を超えるのは清原しかいない」とまで高い評価を受けています。

FAで巨人に移籍しますが、ケガの影響もあり思うような活躍が出来ず。

その後、オリックスに移籍し、現役引退を迎えます。

現役引退後は、野球関係の仕事やタレントとして活動しますが、次第に奇行が目立つようになり、2016年2月2日に覚せい剤取締法違反で逮捕。

清原和博さんの逮捕に、多くのファンや野球関係者からは、嘆きの声が続出。

その後の裁判で懲役2年6か月(執行猶予4年)の判決を受け、2019年現在は執行猶予中の身です。

現在は、詳しい所在は分かっていませんが、最近はスポーツジムでバットを振る姿が目撃されたとも言われています。

清原和博の現在。

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4位 山本浩二

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通算本塁打数:536本

名前:山本浩二(やまもとこうじ)

生年月日:1946年10月25日

年齢:72歳(2019年9月時点)

出身地:広島県広島市佐伯区

身長:183㎝

体重:82㎏

投打:右投げ右打ち

ポジジョン:外野手

プロ入り:1968年ドラフト1位(広島東洋カープ)

最終学歴:法政大学

選手歴:広島東洋カープ

「ミスター赤ヘル」こと山本浩二さん。

プロ野球史上、「大卒で500本塁打を達成」した唯一の人物でもあります。

山本浩二さんは、地元である広島東洋カープに入ることを熱望。

それまで広島は創設19年でAクラスは1回、Bクラス18回の弱小球団でしたが、未だ優勝したことのない地元球団を優勝させることを夢としていました。

家族の心配もあったそうですが、もし広島以外に指名されればそれを断り、場合によってはサラリーマンとしての人生も考えていたそうですが、無事に広島から指名され入団。

プロ1年目からレギュラーを獲得し、1975年からは4番に定着しますが、本塁打の数は思ったよりも伸びませんでした。

才能が開花したのが、30代を過ぎてからで、本塁打王:4回(1978年、1980年、1981年、1983年)を獲得し、広島の黄金期を支えました。

1986年のリーグ優勝を契機に40歳で現役を引退し、背番号「8」は広島の永久欠番になりました。

現役引退後は、野球解説者を務め、広島の監督を2期務めます。

1991年こそリーグ優勝を果たしますが、日本シリーズで敗退。

その後は、チームは低迷し、1期・2期(合わせて10年間)とも成績不振を理由に辞任しますが、多くの選手を育成しました。

現在は野球解説者、日本名球会理事長を務めていますが、最近は体調が優れないとの噂があり、心配されています。

 

3位 門田博光

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通算本塁打数:567本

名前:門田博光(かどたひろみつ)

生年月日:1948年2月26日

年齢:71歳(2019年9月時点)

出身地:山口県山陽小野田市

身長:170㎝

体重:81㎏

投打:右投げ左打ち

ポジジョン:外野手

プロ入り:1969年ドラフト2位(南海ホークス)

最終学歴:天理高校

選手歴:南海ホークス

 オリックス・ブレーブス

 福岡ダイエーホークス

門田博光さんは、山口県出身ながら、奈良県育ち。

野球名門高校の天理高校から社会人チームのクラレ岡山に進み、南海ホークスから指名を受けプロ入り。

あまり知られていませんが、門田博光さんはこのランキングの通算本塁打(歴代3位)の他、通算打点(歴代3位)の強打者でもあります。

当初は、体格も170㎝と野球選手としては小さく、4番に野村克也さん(当時兼任監督)がいたために、ホームランバッターではなかった為、大振りすると野村克也さんから怒られていたと言います。

野村克也さんが監督を解任された後に、本格的にホームランバッターの道を歩み、本塁打王:3回(1981年、1983年、1988年)います。

40歳を超えても活躍した数少ない選手であることから「不惑の大砲」との異名を持ちます。

現役引退後は、テレビ・ラジオで野球解説者を務め、2009年には大阪ホークスドリーム(社会人チーム)を設立し、2011年6月、監督に就任し、同年9月、契約満了に伴い退任。

また、日本新薬硬式野球部(社会人チーム)の臨時コーチも務めていています。

 

2位 野村克也

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通算本塁打数:657本

名前:野村克也(のむらかつや)

生年月日:1935年6月29日

年齢:84歳(2019年9月時点)

出身地:京都府京丹後市

身長:175㎝

体重:85㎏

投打:右投げ右打ち

ポジジョン:捕手

プロ入り:1954年(南海ホークス)

最終学歴:京都府立峯山高校

選手歴:南海ホークス

 ロッテオリオンズ

 西武ライオンズ

「ノムさん」こと野村克也さん。

監督としての方が有名かもしれませんが、史上2人目の三冠王達成者でもあります。(捕手としては世界のプロ野球史上初)

通算本塁打ランキングでは2位になりますが、捕手としては歴代1位です。

本塁打王:9回(1957年、1961年 ~1968年)獲得、8年連続は現在もパ・リーグ記録となっています。

オールスターゲーム通算21回出場、48安打の最多記録を持ち、最年長出場選手(1980年、45歳)でもありますが、オールスターでは打てない打撃不振の選手でした。(どちらかと言えば、監督として出場しているイメージがあります)

現役引退後は、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、ヤクルトでは、相手のデータを分析して戦う「野村ID野球」の理論で、ヤクルト黄金時代を築いています。

ヤクルト時代には古田敦也さん、楽天時代には田中将大投手(現:ヤンキース)を育てたことでも知られています。

現在不定期ではありますが、テレビなどで野球解説者を務めています。

「野村監督のボヤキ解説」と言ったら良いでしょうか。

 

1位 王貞治

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通算本塁打数:868本

名前:王貞治(おうさだはる)

生年月日:1940年5月20日

年齢:79歳(2019年9月時点)

出身地:東京都墨田区

身長:177㎝

体重:79㎏

投打:左投げ左打ち

ポジジョン:一塁手、外野手

プロ入り:1959年(読売ジャイアンツ)

最終学歴:早稲田実業高校

選手歴:読売ジャイアンツ

数多くの記録を持つ王貞治さん。

一番の記録と言えば、この通算本塁打(歴代1位)でしょう。

ちなみに通算本塁打868本は世界のプロ野球でも前例がありません。(※メジャリーグ記録は、バリーボンズさんの762本。2018年時点)

当初は三振が多い為、「王は王でも三振王」とヤジられていましたが、一本足打法(フラミンゴ打法)と呼ばれる独特の打撃法で開花し、本塁打を量産。

本塁打王:15回(1962年~1974年、1976年~1977年)、13年連続はいずれもプロ野球記録となっています。

国民栄誉賞の第一号受賞者でもあります。

現役引退後は、巨人、ダイエー(ソフトバンク)で監督を務め、当初は弱小チームだったダイエーを常勝軍団に育てています。

またWBC(2006年)の監督を務め、日本チームは見事に優勝。

インタビューの際に、「あなたは日本人ですか?」と聞かれた王貞治さんは、「父は中国人だが、母は日本人です。私は生まれたときより日本で育ち、日本の教育を受け、日本のプロ野球人として人生を送ってきました。疑うことなく日本人です」と答えています。

またWBCの時に、「王監督、イチロー選手」の共演が実現し、イチローさんが「監督は現役時代に、バッティングが簡単だ、と思ったことはありますか?」と質問すると、王貞治さんが「バッティングの極意を掴んだ、と思ったら逃げていく、その繰り返しで結局、そんなことは一度もなかった」と答えたという逸話が残っています。

当時、イチローさんは「王監督だってそうだったんだ。バッティングで悩むのは当然だ」と安心したと言われています。

現在は、ソフトバンクホークスの球団会長としてチームの編成や選手の育成に携わっています。

 

まとめ

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ここまで通算本塁打数ランキングをまとめてきましたが、やはり500本塁打を超えてくると次元が変わってきますね。

今では400本塁打でも十分凄いのでしょうが、現役選手もランクインされていますので、いけるところまで記録を伸ばして欲しいと思います。

以上、ここまでお付き合いありがとうございました。

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