タイガー・ウッズの生い立ちと幼少期
1975年12月30日に父親アールの三男としてアメリカ・カリフォルニア州で生まれました。
父親は黒人の退役軍人(元・特殊部隊グリーンベレー)の経歴を持ち、タイガー・ウッズの母親はクンティダー(華僑系タイ人)ですが、母が異なる兄ふたりと姉がひとり居ます。
父親は42歳からゴルフを始めた遅咲きですが、子供の頃に野球のリトルリーグで活躍した過去があり、陸軍でも部下を指導する立場にあった事が息子を指導する際に役立ったと語っていました。
そんな父親の指導の元、タイガー・ウッズは生後9か月からゴルフ歴が始まり、2歳の頃には南カリフォルニアで有名な幼児ゴルファーとして名を馳せました。
4歳になるとSCJGA(南カリフォルニア・ジュニアゴルフ協会)に加盟し、直後の大会(10歳以下の部門)で10歳児を破り、8歳で70台のスコアを叩き出すまで成長したようです。
タイガー・ウッズの生まれ持った才能も大きいですが、1歳未満の頃からゴルフ指導をした(できた)父親の存在はとてつもなく大きいと感じました。
アマチュアから世界の頂点へ
出典:ゴルフニュース
タイガー・ウッズは1992年 「ニッサン・オープン」でPGAツアー大会に初出場し、アマチュア界では全米ジュニア・アマチュア選手権と全米アマチュア選手権を前人未踏の3連覇をすると言う快挙を達成。
この快挙は後に“タイガーズ・トリプル”と呼ばれ、現在に至るまで他に達成した人は居ません。
大学を中退しプロ転向
タイガー・ウッズは名門スタンフォード大学に進み、1995年マスターズ・トーナメント初出場ながらも予選を突破し、第3ラウンドを日本の尾崎将司選手と同組で回る経験をしました。
プロに転向する為に大学を2年で中退を決断し、1996年8月27日に正式にプロへ転向しました。
直後の10月には初優勝のラスベガス招待選手権を含め2勝を挙げ、一気に世界ランキング33位に大躍進して周囲を驚かせました。
同じ年、21歳の誕生日に”Eldrick Tiger Woods”(エルドリック・タイガー・ウッズ)に改名。
1996年がタイガー・ウッズにとってゴルフや私生活の転換期になったのは間違いないですね。
世界の頂点からレジェンドへ
1997年4月13日にマスターズ・トーナメント初優勝(史上最年少の21歳3ヶ月)して勢いに乗ると、それからわずか10か月余りで6大会で優勝し、6月に世界ランキング1位を獲得ました。
PGAツアーの史上最年少賞金王(21歳)に輝くなどタイガー・ウッズは大きく飛躍しました!
・1999年8月15日にPGA選手権で初優勝しメジャー2冠達成
・2000年には全米オープンから2001年マスターズまでメジャー大会4連覇を達成
・2000年に全米オープン、全英オープン、全米プロゴルフ選手権でメジャー大会3連覇
・2001~2002年でマスターズ連覇を達成
タイガー・ウッズ 2005 Masters Championshipでの伝説的ショット
目も眩むような栄光の数々で、タイガー・ウッズの前に多くの記録が過去の物になりました。
しかし、ウッズが駆け抜けている道は眩しすぎ、足元の落とし穴すら見えなくさせていました。
やがて陽は沈み、長い夜が始まる
出典:スポルティーバ
2004年9月7日に「264週」連続で守った世界ランキング1位の座を41歳のビジェイ・シンに譲る事になり緩やかですが輝かしい陽に陰りが見え始めます。
同年10月5日にスウェーデン人で元モデルのエリン・ノルデグレンと結婚。
11月の「ダンロップ・フェニックス選手権」で2年ぶり2度目の出場で日本ツアー初優勝で流れに乗り、翌2005年のマスターズで4度目の優勝を飾り全英オープンも優勝し「ダブル・グランドスラム」を達成する一方、5月には予選落ちをしてしまい連続予選通過の歴代1位記録が「142」で途絶えてしまいました。
2006年5月3日に父親アールが前立腺癌のため74歳で他界。
6月の全米オープンで予選落ちによって、1997年のマスターズ以来連続していたメジャー大会の連続予選通過記録が(37)で途絶えました。
私生活ではふたりの子宝に恵まれますが、ゴルフでは予選落ちをするなど不調が目立ちました。
度重なるスキャンダル
2009年11月に不倫が発覚し、夫婦喧嘩がエスカレートして妻がゴルフクラブで殴り掛かったため車で逃亡しますが、途中で交通事故を起こして怪我をしたそうです。
以後、無期限のツアー欠場を表明した(2010年マスターズより復帰)
この騒動の際に自ら「性依存症」である事を告白し、関係を持った女性は100人を超えると言う。
嫁エリンさんとは離婚する事になり、支払ったが慰謝料7億5000万ドル(現在の円換算で約850億円)と言う巨額だったことも話題になりました。
その後も膝や腰の怪我に苦しみ、2017年に職務質問中された際には治療薬の影響でろれつが回らなかった事などから運転マナー違反として逮捕されました。
出典:BBC.com
タイガー・ウッズが使用していた鎮痛剤からは「麻薬性鎮痛薬のヒドロコドンなど5種類の薬物」が検出され全米のみならず、世界中に衝撃が走りました。
現在のタイガー・ウッズ
出典:ALBA
2018年から正式復帰し、全英オープンではライバルが次々と脱落する中で6位と健闘するタイガー・ウッズの活躍ぶりが大きく報道されました。
その後の全米プロゴルフ選手権はトップと二打差の2位の好成績を残し、9月24日にはツアー選手権で5年ぶりの優勝果たして世界ランキングは13位まで回復しました
来年はマスターズを始めとするメジャー大会での復活優勝が期待されています。
タイガー復活!2019マスターズ優勝
2019マスターズ ファイナルのハイライト(英語版)
「1995年にアマチュアとして初出場し、1997年に初優勝(その後、2001年、2002年、2005年に優勝)。そこから22年後に、またこうやって勝てるとは、感慨深い気持ちですよ。もちろん、苦労もあったからね。ほら、少し髪が薄くなっているだろ?(笑)」
優勝会見の冒頭。ウッズは、静かに、ゆっくりと自分に話しかけるように語っていた。
2005年以来、14年ぶり5度目のマスターズ優勝。それは、長い長い時間でもあった。
引用元:タイガー・ウッズが完全復活。 オーガスタには優勝オーラが漂っていた
一時は世界ランキング1199位まで。
2009年の暮れに始まった不倫騒動は世界を驚かせた。その後の不調や成績低迷は無残だったが、4度にわたる腰の手術後、痛みに顔を歪めるウッズの姿は見るに耐えず、2017年5月の逮捕劇は、もはやウッズがゴルフ界のみならず社会から消え去っていく最悪の事態さえ人々に予感させた。
だが、そんな奈落の底から這い上がり、戦いの舞台へ戻ってくることができた理由は、2人の子供たちが傍にいてくれたこと、母クルティダが見守り続けてくれたこと、そして、一時は世界ランキング1199位まで後退したウッズをチームやツアーの仲間たちが支え続けてくれたことだった。
引用元:ウッズが得た「一番幸せな優勝」。 なぜ彼の雰囲気は変わったのか。
―グリーン脇で家族に迎えられた。1997年は父のアールさん(2006年に他界)と抱き合ったが?
「父は97年当時、心臓の合併症を抱えていて、本当はここに来るべき状態ではなかった。でも彼は飛行機で来て、水曜日の夜にパットを教えてくれた。父はもういないが、今度は母が22年後に来てくれた。そして勝つことができた。(長女)サムと(長男)チャーリーは昨年、バックナインで(一時的に)リードしていた『全英オープン』に来たけれど、僕は負けてしまった。彼らの前で同じことは二度としたくなかった(笑)。パパがメジャーを勝つところを見せたかった。ふたりの忘れられないものになったらいい」
14年ぶり5度目のマスターズ優勝。タイガーのこれまでの歩みを振り返ると何とも劇的な復活劇ですね。
ゴルフは他のメジャースポーツ(サッカーや野球、バスケなど)と違い、選手生命が比較的長いスポーツになるので、中年とはいえまだ40代ですから、これからのタイガーのゴルフがまた面白くなっていきそうですね。