元・巨人、日ハムの木佐貫洋の現在

プロ野球選手になるまでの木佐貫洋

鹿児島県の薩摩川内市(木佐貫が中学高校時代は川内市)の出身。

あの松坂大輔が高校野球で活躍した1980年生まれの俗にいう松坂世代です。

 

川内南中学校で地元では有名だったピッチャーの木佐貫は、県内の強豪校からいくつか声がかかりましたが、地元川内の高校に進学。

川内高校は公立では地域でも優秀な高校で、木佐貫が学問の成績も良かったことがわかりますね。

 

高校3年の時は鹿児島県で優勝。

しかし、現在巨人で活躍している杉内俊哉も当時は鹿児島実業にいたため、夏は惜しくも鹿実に敗北を期し甲子園出場は成しえませんでした。

 

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その後、スカウトからは目をかけられていたものの、亜細亜大学に進学。

 

大学でももちろん好成績を収めた木佐貫は最優秀投手などを受賞し、大学の日本代表にも名を連ねました。

 

 

 

 

巨人時代の木佐貫洋

巨人には自由獲得枠で入団した木佐貫ですが、1年目に新人王に選ばれました。

そこからエースとして活躍すると期待されましたが、年俸は億を超えることはありませんでした。

 

抑えで登板したこともありましたが、スタミナに関して評価が高かったので先発としてマウンドに上がり続けます。

2008年には年俸5600万円で、巨人時代で一番稼ぎました。

結局、巨人にいた8年間では勝ち越したものの、勝率は6割に満たない成績。

 

ただ、巨人の選手だったし、コンスタントに成績を出す選手でしたので知名度は抜群でしたね。

 

2010年からはオリックスに移籍します。

 

 

 

オリックス・日ハム時代の木佐貫洋

オリックスに入団した1年目、リーグでもっとも負け数の多い12敗、85失点という記録を残してしまいます。それでも、10月には月間MVPを初めて受賞しているので、少し波が大きかったという印象が残りました。

10月の波が翌年に続けばよかったのですが、2年目、2勝7敗と大きく負け越してしまいます。

それでも課題の不安定さを克服し、起用され続け、3年目にはキャリアハイとなる防御率2.60を記録。

 

翌年には日ハムに移籍することになり、二ケタ勝利には惜しくも届きませんでしたが、9勝8敗で防御率3.66のまずまずの成績。

 

最終的に2015年にケガにより実力を発揮できず、引退を表明することになります。

 

 

巨人→オリックス→日ハムで合計13年間もプロとして活躍しましたが、プロ通算の成績は、

勝率4割6分3厘、62勝72敗、防御率3.76

でした。

 

 

 

引退後、現在の木佐貫洋

2015年に日ハムで引退会見を行ってから、地元の鹿児島県川内市で慰労会など行われました。テレビでも木佐貫の引退は大きく報道されました。

それだけ長い間プロで頑張ってきていたということ。

几帳面な性格で知られる木佐貫が引退後についた職業は、スカウト。

 

スカウトという仕事は、全国各地の高校生、さらには注目される中学生をくまなく観察する大変な仕事です。

木佐貫は几帳面でとても真面目、さらに頭が良いので細かく選手を分析して試合に臨んでいたため、現在のこのスカウトという仕事はとてもピッタリ。

 

2016年の夏の甲子園の前、テレビやメディアで高校球児にフォーカスされる場面では、何度か木佐貫スカウトもテレビに登場。紙面でもコメントを出したりしていました。

 

スカウトは給料が選手ほど高くはありませんが、木佐貫にはピッタリです。

さらに木佐貫の場合、南国鹿児島出身で、関東、関西、北海道でプレーしてきたので全国の広い範囲で土地勘もあり知り合いも多いはず。

 

どんどん木佐貫バリの好投手や野手を発掘して、8年間プレーした巨人に恩返しをしてもらいたいですね。

現在はスカウトですが、今後はコーチや監督などもしてもらいたいような、ファンに愛される素晴らしい選手でした。