平成の間も数々の芸能人がこの世から旅立ってファンや関係者から惜しまれていました。
亡くなられた方は昭和期に生まれた方が多いので、少し懐かしい顔ぶれとなっています。
今回は平成期に旅立った芸能人(俳優・歌手・タレント)について見て行こうと思います!
第10位 逸見政孝さん (平成5年没)
第10位は元フジテレビのアナウンサーで司会者・タレントの逸見 政孝 (いつみまさたか) さんです。
非常にまじめで武骨そうな外見ながら、ビートたけしさんや明石家さんまさん、とんねるずと言った大物お笑いタレントとの絡みが絶妙だったことから人気が爆発しました。
勤続20年を過ぎ管理職に昇格して現場に出る事が減り、信念の「生涯、一アナウンサーでありたい」との思いが強くなった事から1988年3月末にフジテレビを円満退社しました。
タモリさん・ビートたけしさん・明石家さんまさんの(BIG3)の操れる司会者として多くの番組に出演しますが、1993年 (平成5年) 1月に胃がんと診断され、9月6日に記者会見を行いました。
9月16日に約13時間に及ぶ大手術を受けたものの回復までには至らず、12月25日に末期のスキルス胃がんのため東京女子医科大学病院で息を引き取りました (48歳没)
第9位 飯島愛さん (平成20年没)
出典:朝日新聞デジタル
第9位はセクシー女優出身で後にタレントへ転向して成功した飯島 愛 (いいじま あい) さんです。
本名は大久保 松恵 (おおくぼ まつえ) ですが、ホステス時代に店のママが「みんなから愛される子になるように」との意味を込めて付けてくれた源氏名を使用していました。
腎臓病やモチベーションの低下もあって2007年3月末で芸能界を引退し、2008年 (平成20年) 12月24日に渋谷区の自宅マンションで亡くなっていたところを親戚に発見されました。
病理検査によって死因は肺炎と判明し、死後1週間ほど経っていたそうです (36歳没)
第8位 いかりや長介さん (平成16年没)
出典:ORICON NEWS
第8位はザ・ドリフターズのリーダーや俳優として活躍したいかりや長介 (ちょうすけ) さんです。
ザ・ドリフターズとして1966年に武道館でビートルズの前座を務め、ミュージシャン・お笑い・俳優の3つの分野で大活躍した非常に珍しいキャラクターでした。
ドラマ「踊る大捜査線」での老刑事役で若年層にも知られる存在になっていました。
2003年 (平成15年) 5月末に「頸部リンパ節がん」の症状で緊急入院して同年7月17日に退院しますが、主治医から家族へ「余命はもって数ヶ月」と説明があったそうです。
いかりや長介さんは退院後も精力的に仕事をしますが、2004年 (平成16年) 3月20日に都内の東京慈恵会医科大学附属病院にてリンパ節がん転移によって亡くなりました (72歳没)
晩年の髪型やヒゲは尊敬するショーン・コネリーを意識したものと言われています。
第7位 小林麻央さん (平成29年没)
出典:ザ・テレビジョン
第7位はフリーアナウンサーで市川海老蔵さんと結婚した小林 麻央 (こばやし まお) さんです。
フジテレビ「めざましどようび」のお天気キャスターや日本テレビ「NEWS ZERO」のサブキャスターを務め、2010年 (平成22年) 3月3日に市川海老蔵さんと入籍しました。
その後、長女の麗禾 (れいか)さんと長男の勸玄 (かんげん) さんを授かりました。
長男出産後の2014年 (平成26年) 10月に乳がんと脇への転移が確認され、闘病生活をブログに綴っていた事でイギリス・BBCの「今年の女性100人(2016)」にも選ばれました。
しかし、周囲の祈りも届かず2017年 (平成29年) 6月22日に自宅で亡くなりました (34歳没)
まだ年齢的に若く、小さな子供の母親であった事で一層多くの悲しみを誘う形となりました。
第6位 森光子さん (平成24年没)
出典:ORICON NEWS
第6位は女優やタレントとして活躍した”日本の母親”と言える森 光子 (もり みつこ) さんです。
1961年 (昭和36年) に自身の代表作となる「放浪記」の主役に抜擢され、作品内で見せる”喜びのあまりのでんぐり返し”は森光子さんを表現するシーンとして何度も紹介されています。
森光子さんは終生「死んでもこの役は渡したくない」と語っていたそうです。
2005年 (平成17年) 11月に文化勲章を授与しますが、晩年は体力的な衰えが隠せなくなり、代名詞とも言える「でんぐり返し」も失敗して以降は封印して万歳三唱に切り替えていました。
2012年 (平成24年) 11月10日に都内の順天堂医院で肺炎のため死去しました (92歳没)
また、こだわり続けていた「放浪記」は仲間由紀恵さんが引き継いで”側転”を披露していました。
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