松岡修造の経歴と現在。名言が刺さるぅ!家系も家族(妻・娘)もすごかった!

元プロテニスプレイヤーの松岡修造さん。

最近では、テレビのスポーツ中継などで「暑苦しいおじさん」のキャラクターで有名ですよね。

今回は、松岡修造さんの経歴、現役時代の成績、家族、現在についてまとめてみました。

松岡修造プロフィール

出典元:こちら

名前:松岡修造(まつおかしゅうぞう)

生年月日:1967年11月6日

年齢:51歳(執筆時)

出身地:東京都

身長:188㎝

体重:85㎏

利き手:右

バックハンド:両手打ち

デビュー年:1986年

引退年:1998年

通算成績:173勝207敗

シングルス:145勝163敗

ダブルス:28勝44敗

4大大会最高成績(全豪、全仏、全英、全米)ベスト8(1995年、全英<ウインブルドン>)

世界ランキング最高位(シングルス)46位(1992年7月6日)

裕福な家庭に育つ

出典元:こちら

松岡修造さんは、父親の松岡功さん(東宝第11代社長)と、母親の千波静さん(元宝塚歌劇団の星組男役スター)間に、3人姉弟の次男として生まれます。

両親よりも先の家系を辿っていくと、実業家や政治家などのすごい人が親族にいました。

まさに「華麗なる一族」だった訳です。

父親が元テニス選手だったこともあり、元国内トップ選手の一人だったこともありましたが、当初、松岡修造さんも父親がテニス選手だったことは知らなかったそうです。

8歳で姉、兄の影響でテニスを始めますが、当時は背も低く、テニス選手として大成するのは兄の方だと思われていました。

幼稚園から慶応義塾に進みますが、学業の方の成績は芳しくなく、落第する当落線上にいたそうです。

転機が訪れたのは、中学2年生の時に全国中学生テニス選手権大会で優勝したことで、次第に頭角を現すようになりました。

その後、慶応義塾高校に進みますが、自身に、

こんなことばかりしていていいのか?テニスがもっと強くなりたいと思っていたんじゃないのか?目標のないまま大学に進学し、成り行きで就職して社会人になるのか。そんな人生でいいのか?このままでは自分は駄目になる。自分が本当に好きなものはテニスなんだ

との葛藤が生じ、慶応義塾での学生生活を捨て、テニスの名門校である柳川高校に転校を決意。

これは両親の猛反対に遭いますが、決意は固く、1984年に柳川高校の2年生に編入入学しています。

柳川高校に転校し、ヨーロッパ遠征

出典元:こちら

柳川高校に編入後の松岡修造さんは、すぐにテニス部に入部。

当時の柳川高校は超スパルタ指導で、全てが軍隊式で上下関係にも大変厳しいことで有名でした。

しかし、何かを求めて柳川高校にやってきた松岡修造さんにとっては、こうした恐怖の練習でさえ、毎日新しい自分を見つけられると思うようなこともあったそうで、次第に練習が楽しいものに変わっていったそうです。

編入から2ヶ月後に、国内ジュニア大会(ウィンブルドンの道と称される)出場し、優勝し、ヨーロッパ遠征のメンバーに選ばれますが、インターハイの時期と重なってしまったために、これを辞退。

インターハイでは、シングルス、ダブルス、団体戦の全てを制し三冠達成に貢献しています。

翌年も「ウィンブルドンの道」で優勝しますが、またしてもインターハイの時期と重なってしまいます。

監督や母親は、「インターハイを優先すべき」と説得しますが、松岡修造さんは、「柳川高校を一年間休学し、また一年後に戻るという条件でウィンブルドンに行く!」

と、同校を休学し、ヨーロッパに遠征。

全米オープンジュニア、ウィンブルドンジュニアなどの大会に出場し、一定の手ごたえを掴んだ遠征となりました。

プロ転向

出典元:こちら

ヨーロッパ遠征後に日本に帰国した松岡修造さんですが、この時にプロテニス選手になるということは考えていないかったようです。

ある日、世界的な名コーチ:ボブ・ブレッド氏に練習を見てもらいますが、特にアドバイスなどはなく、ボブ・ブレッド氏は後日、アメリカに帰国する言い残し、立ち去ってしまいます。

翌日、ボブ氏から伝言があり、

明日にでもアメリカに来い。日本に居たら強くなれないよ

との言葉で、アメリカ行きを決意し、両親を説得し、単身アメリカに渡りました。

その後、1986年にプロ転向した松岡修造さんは、1988年に初の世界ランキング100位入りを果たし、1992年には当時日本人最高位(世界ランキング46位)にまで到達します。

※これは、2011年10月17日に錦織圭選手が、更新するまで日本の男子選手が記録したシングルス最高位でした。

1995年にウィンブルドンベスト8を果たし、オリンピックも(ソウル、バルセロナ、アトランタ)と三大会連続で出場しています。

1998年に30歳の若さで現役を引退しています。

 

松岡修造の家族(嫁、子供)について

出典元:こちら

松岡修造さんは、奥さんと子供3人(娘2人、息子1人)の5人家族の父親のようです。

家族については、分かる範囲でまとめてみました。

嫁について

出典元:こちら

松岡修造さんの奥さんは、田口惠美子(元テレビ東京アナウンサー)さんという方でした。

2人の出会いは、松岡修造さんが27歳で世界4大大会の1つ、ウィンブルドンへの切符時で、その頃テレビ東京アナウンサーだった田口惠美子さんと運命的な出会いをしたそうです。

松岡修造さんは海外の遠征先から日本の惠美子さんに毎日のように電話。

しかし、惠美子さんの対応は冷静。

熱い松岡修造さんに対して、冷静な惠美子さんの相性がピッタリだったそうです。

この大会で、松岡修造さんは、日本人男子62年ぶりのベスト8進出という偉業を成し遂げましたが、続く準決勝で、当時の世界ランク1位の選手に敗退。

その2年後、現役の引退年に、ここまで支えてくれた惠美子さんに結婚を申し込み、1998年の4月19日、2人は結婚しています。

子供について

出典元:こちら

長女の恵さんは宝塚へ

松岡修造さんの子供は3人(長女:恵さん、長男:修くん、次女:笑美(えみ)さん)で、長女の恵さんは、2017年3月30日に宝塚音楽学校に合格し、2019年3月に卒業しています。

一時期はコネ入学も疑われましたが、恵さんも2回目(3回目だったかも?)の挑戦でようやく入学しているので、コネ入学の線は薄いかと思われます。

フジテレビのアナウンサーの方が、よほどコネ入社の感じがします。(有名人の息子、娘が多すぎるので)

稀惺かずと(きしょう かずと)という芸名で、同年4月19日から宝塚大劇場で上演されたの宙組公演中「オーシャンズ11」で初舞台を踏んでいます。

どうやら男役のようで、千波静さん(惠さんの祖母、修造さんの母親)も男役のトップスターだったので、宝塚に縁があったのかもしれません。

宝塚出身の女優さんも芸能界にはたくさんいるので(大地真央さん、黒木瞳さん、天海祐希さん、真矢ミキさんなど)、そのうち芸能界デビューもあるかもしれませんね。

確か、先日お亡くなりになった八千草薫さんも宝塚出身だったと記憶しています。

長男、次女の情報については、詳しいことは分かりませんでした。

 

松岡修造の名言は?

出典元:こちら

熱苦しいキャラクターで知られる松岡修造さんですが、様々な名言を残しています。

一部ですが、ご紹介したいと思います。

プレッシャーが人を強くする!

人前で緊張するのは自然な反応です。プレッシャーが人を強くします。逃げ出したくなるような感覚がなくなったら、モチベーションもなくなってしまうような気がします

悪い状況から抜け出す方法

僕の場合、悪い状況から抜け出す方法は、「嫌なことはすぐに忘れる」「悔しいときは一人になって思いっきり叫ぶ」といった単純なものが多いです

忙しいと思ったことはない!

僕は忙しいと思ったことが1回もありません。たぶん、本当に忙しくないのでしょう。「お疲れさま」と言われても、たいていは疲れていないので、冗談を言える人には「疲れてません」といいます

「やってられないよ」と思ったとき

「やってられないよ」と思ったとき、「でも俺、頑張ってるよな」とつぶやいてみてください。「頑張ってる私って、結構いいな」と、自分を好きになってください。その方が生きやすくなるとは思いませんか?

幸せだったらいいんじゃない

予想外の人生になっても、そのとき、幸せだったらいいんじゃないかな

勝ち負けはちっぽけなこと

勝ち負けなんか、ちっぽけなこと。大事なことは、本気だったかどうかだ!

崖っぷち最高!

崖っぷちありがとう!最高だ!

熱くなったときがホントの自分に出会える!

もっと熱くなれよ!熱い血燃やしてけよ!!人間熱くなったときがホントの自分に出会えるんだ!!

などと熱い言葉が並ぶところが、松岡修造さんらしいですね。

 

松岡修造の現在は?

出典元:こちら

松岡修造さんは現在、テレビのスポーツ中継でキャスターを務めています。

現役時代は寡黙な印象でしたが、引退後は暑苦しいキャラクターのイメージが定着しましたよね。

オリンピック中継でも、長野オリンピック(1998年)、ソルトレークシティオリンピック(2002年)、アテネオリンピック(2004年)などの解説やキャスターとしても登場しています。

2004年4月からはテレビ朝日の「報道ステーション」でもスポーツキャスターを務めています。

2012年3月、日本テニス協会強化副本部長に就任し、後進の育成にもあたっています。

「松岡修造テニス塾」なんてのもありましたよね。

出典元:こちら

確か、錦織圭選手も小学生時代に塾生だったそうですよ。

2020年の東京五輪でも、松岡修造さんの暑苦しいキャラクターが見れると思いますので、楽しみの一つにして置くのも良いのではないでしょうか?

以上、ここまでお付き合いありがとうございました。

松岡修造

松岡修造オフィシャルサイト:http://www.shuzo.co.jp/

松岡修造Youtube公式チャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCix3CP_r1-t3GMymVnyskpw/featured