マネーの虎 社長達(14名)の現在まとめ

マネーの虎」は深夜番組としてスタートし番組内容が話題を集めました!

プレゼンをする挑戦者を吟味する虎(社長達)の個性の強さも番組の特色でした。

今回は虎達(マネーの虎の社長たち14名)のその後や現在の様子について見て行こうと思います!

  1. 加藤和也(ひばりプロダクション社長)の現在
  2. 川原ひろし(なんでんかんでん社長)の現在
  3. 小林敬(ジャパンフードシステムズ代表取締役)の現在
  4. 高橋がなり(ソフト・オン・デマンド代表取締役)の現在
  5. 堀之内九一郎(社生活創庫社長)の現在
  6. 安田久(エイチ・ワイ・ジャパン社長)の現在
  7. 吉川幸枝(よし川 社長)の現在
  8. 上野健一(ノシアスグループ代表)の現在
  9. 文野直樹(イートアンド社長)の現在
  10. 尾崎友俐(オリエンタル代表取締役CEO)の現在
  11. 樋口道也(株式会社ドリーム代表取締役社長)の現在
  12. 南原竜樹(オートトレーディングルフトジャパン社長)の現在
  13. 岩井良明(株式会社モノリス社長)の現在
  14. 貞廣一鑑(株式会社ラヴ代表取締役CEO)の現在

もくじ

マネーの虎とは?

「¥マネーと虎」は2001年10月~2004年3月まで日本テレビ系列で放送されました。

起業を目指す志願者が事業計画を説明し、審査員(投資家)から出資を引き出す内容の番組で、引き出せなかった場合は立会人の吉田栄作から「ノーマネーでフィニッシュです」と通告される。

番組名の「マネーの虎」は太平洋戦争時の山下奉文(やましたともゆき)大将の異名「マレーの虎」から引用された説が有力ですが、詳細は明らかになっていませんでした。

最初は深夜番組としてスタートし、7%という深夜帯としては異常とも言える視聴率を獲得し、日本テレビはゴールデンタイムへ移す決断をしますが、過激な内容から視聴率は低迷しました。

その後、深夜帯に戻るものの人気は回復せず打ち切りとなりました。

コンセプト自体の出来が良かった事から「Dragon’s Den」名称でイギリスで番組化された他、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエルなど世界25ヶ国で現地版が作られました。

ロゴには「NO CHALLENGE, NO SUCCESS ※チャレンジしなければ成功なしの意」が添えられており、その言葉に番組としての主張が全て詰まっている印象を受けました。

 

加藤和也(ひばりプロダクション社長)

出典:ザテレビジョン

加藤 和也(かとう かずや)さんは1971年8月10日に東京都で生まれました。

昭和の歌姫・美空ひばりの長男(弟の子だったが7歳の時に養子縁組)として知られ、中野高校を停学後に中退して若干16歳でひばりプロダクションの副社長に就任(翌年社長に就任)

ひばりさんが亡くなった後も「ひばりプロダクション」の社長として版権を一手に扱いながら、音楽プロデューサーや芸能プロモーターとしても活動していました。

虎としての加藤和也さん

出典:bokete

虎としての加藤さんは基本的に穏やかな口調で語りかけるスタイルでした。

主に芸能系や接客関係の志願者に対して関心を寄せる一方、得意分野ではないジャンルだと他の社長のやりとりを聞いて理解するタイプのキャラクターでした。

事業内容より志願者の人格を重視するタイプで、定期的に出資をしていましたが、何か筋を通していないタイプの志願者に対して激怒する事も度々ありました。

「志願者と一緒に成長して行きたい」が出資者としてのポリシーと語っていました!

現在は結婚して仕事も順調

出典:post.tv-asahi.co.jp

加藤さんは2000年に俳優の浜田光夫さんの長女(友香さん)と結婚しました。

ハワイで極秘に挙式し、2005年2月13日に結婚を祝う会が東京都の新高輪プリンスホテルで行われ、多くの芸能人に交じり虎たちも出席していました。

現在のところ子供を授かったとの情報はありませんでした。

事業面では第三者が開業して負債を抱えていた「京都嵐山・美空ひばり座」を買い取り、再建を計るも2013年5月に負債を清算して廃業させていました。

同じ時期に東京にあるひばりの自宅を記念館として公開する一方、京都の映画文化館1階に「京都太秦・美空ひばり座」を開業しひばり座を再スタートをさせていました。

 

川原ひろし(なんでんかんでん社長)

出典:netgeek

川原 ひろし(本名:浩史)さんは 1964年3月13日に福岡県福岡市で生まれました。

川原さんはクラシック音楽の魅力に嵌まりピアノを練習し、オペラ歌手を目指します。

音大を目指したが断念するも歌手を目指して上京し、雑誌に掲載されていた作曲家の募集に応募して東芝レコードから「打碁一代」という曲で作曲家デビュー。

しかし、自分が歌いたい思いを捨てきれず銀巴里(ぎんパリ)のステージにも立ちました。

その後は漫才師や漫談家として活動しつつ、師匠の宮城けんじの応援もあり「博多ラーメン」を修得する為に帰省して実家の台所で研究を重ねます。

1987年7月に再上京して環七通り沿いにとんこつラーメン店「なんでんかんでん」を開業し、5年後には1日で120万円を売り上げるほどの繁盛店となりました。

その後も店舗を拡大して最盛期には年商5~6億円とも言われていました。

虎としての川原ひろしさん

出典:naver.jp

虎としての川原さんは細かな数字や理論的な話題はしない感情型のタイプでした。

志願者への好き嫌いがハッキリするタイプで、波長が合わない志願者には厳しく当たる傾向があり、理論派の岩井さんや南原さんとは対立する構図が頻繁に見られました。

事業内容より志願者の人格や人間性を重視するタイプで、比較的多く出資していました。

「天才肌や宇宙人みたいな人に出資したい」と語っていました。

現在はラーメン屋を復活させていた

出典:飲食店.com

2012年に環七添いの本店が閉店し、残りの店も2015年末で全て閉店しました。

転落の理由は「ラーメンのスープを4倍に薄めていた」とテレビ番組で告白していましたが、実際のところは少し内容が違っていたと振り返っていました。

「スープが足りなくなった時に、どうしても食べたいという人がいる時には店を閉めて“お金はいいから”と薄めて出して食べさせた事はあります、とは言いました。それが、あの番組は収録の前日深夜に台本が出来上がるのですが、その台本を見たら“4倍に薄めた”になっているわけです。さすがに4倍って事はなかったです(笑)」

引用:飲食店.com

テレビで行われている演出や大げさに言う悪癖を見てしまった感じですね(笑)

2018年9月3日に東京・高円寺でついに「なんでんかんでん」が復活しました!

店には行列が出来るほど繁盛し、川原さんも調理や接客にあたっているそうです。

 

小林敬(ジャパンフードシステムズ代表取締役)

出典:小林さんのtwitter

小林 敬(こばやし たかし)さんは1957年11月22日に北海道函館市で生まれました。

函館有斗高校を卒業後は大阪の「あべの辻調理師学校」へ進み調理の道へ入りました。

専門学校を卒業後はフランス料理店に勤務し、1979年に函館へ戻り「らんぷ亭」を開業。

1982年に再び大阪へ行きフランス料理店に務めながら、食肉卸売会社のシステムエンジニアとしてシステム開発に携わり、1991年に小林事務所を設立しコンサルタント業も開始しました。

虎としての小林敬さん

 出典:毒女の黒いウワサ.com

小林さんは料理人としての感覚と「フランチャイズ経営」の面から志願者を吟味し、ここで手を抜いた資料を作ってきた場合は即座に激怒するタイプでした。

ただ、キチンとした資料や方針を描いている志願者には丁寧に接し、穏やかな態度で話しますが関西弁の口調も相まって恐ろしい印象を受けてしまいます(笑)

「信念とフロンティアスピリッツを持った人に投資したい」と語っていました。

現在もコンサルタント業で活躍

出典:みんなの飲食店開業

2005年に廃業した長崎オランダ村の跡地を再開発した「食」のテーマパーク「キャスビレッジ」をプロデュースし、その親会社「CASジャパン」の取締役に就任しました。

しかし、開業からわずか半年後の2005年10月3日に「CASジャパン」は経営破綻し、関連施設は即日閉鎖となり、小林さん自身も約20億円の負債を背負って自己破産していました。

小林事務所はシダックス傘下の「ヴァスフードサービス」に移管され、2007年4月には合併する形で「シダックスレストランマネジメント」にに経営統合されました。

2008年6月:シダックスの執行役員に就任 (翌年2月に退任)

2009年2月:ジャパンフードシステムズの社長に就任(同年8月に辞任)

2009年10月:新たに小林事務所を開業。

2010年2月:京都市にプロデュースした「QUATTRO CINQUE」を開業(6月に閉店)

2010年3月:大阪府高槻市に「QUATTRO CINQUE」を開業。

2013年7月:テンポスバスターズ取締役商品部統括本部長に就任(翌年7月に退任)

2016年12月:ビーパワーソリューションズのアドバイザーに就任(~現在)

随分と転々としていますが、辞めてもすぐにそれなりの役職に就けるのが凄いですし、小林さんの才能は同業者から高く評価されていると言えますよね。

 

小林さんのツイッター:@kobayashi_money

 

高橋がなり(ソフト・オン・デマンド代表取締役)

出典:目黒FM

高橋 がなり(たかはし がなり)さんは1958年12月15日は神奈川県横浜市で生まれました。

本名は雅也(まさや)さんで、いわゆるペンネームとして「がなり」を使用しています。

大学受験に2回連続で失敗し、貿易関係の専門学校へ進みました(卒業したかは不明)。

様々な職を転々とし、テレビ番組制作会社「IVSテレビ制作」へ入社してテリー伊藤(同社の先輩ディレクター)と出会い師弟関係を結んだと言われています。

その後はテリー伊藤氏らから投資を受け、1995年12月にSOD(ソフト・オン・デマンド株式会社)を設立して2000年から2005年まで社長を務めヒットを連発させました。

虎としての髙橋がなりさん

出典:meigen-web.com

細かな計画やら事業内容はあまり気にしていない様子で、何よりも応募者の人間性や経歴(学歴ではなく生きてきた流れ)を重視する傾向がとても強い人物でした。

ある程度の資金力や人脈がある応募者には投資せず、いわゆる「弱者」に対しての投資意欲が強く、応募者を通じて社会貢献を果たす事を望んでいました。

他の虎達と比べても出資する事が多く、穏やかな人柄が特徴的でした。

現在は農業経営に没頭?

出典:髙橋さんのtwitter

2005年に「ソフト・オン・デマンド」代表取締役を退任し、2007年に国立(くにたち)ファーム有限会社を設立して自らが代表取締役に就任しました。

新たな事業として農業経営に注目し、採用時には過去の経歴を問わない姿勢を貫き現在では100名を超える社員が所属していると言われていました。

「ソフト・オン・デマンド」退任後も影響力を保持しており、2013年に会社へ乗り込み「こんなSODはいらない!」と発言し、2016年春に役員・部長職を全員クビにしたそうです!

その後は「ソフト・オン・デマンド」の相談役のような立場と国立ファーム有限会社の二足のわらじで忙しい日々を過ごしている様子でした!

 

髙橋がなりさんのTwitter:@ganari_t

 

堀之内九一郎(社生活創庫社長)

出典:livedoor.blog.jp

堀之内 九一郎(ほりのうち きゅういちろう)さんは1947年10月5日に鹿児島県鹿屋市で生まれますが、珍しい名前でもある”九一郎”は九番目にして初の男子だったからでした!

九州産業大学を中退後に堺化成工業株式会社へ入社しますが、両親が相次いで他界したため家業の雑貨屋を継いで経営をしますが倒産してしまいました。

2億円ほどあった親の遺産を女遊びで使い切ったり、40種以上の職種で起業と倒産を繰り返してホームレス生活にまで経験しますが、それでも諦めない精神力が凄いですよね。

捨てられてあった家電を売るなどして集めた18万円を元手に、倉庫で「リサイクルショップ・生活創庫」を開店させ、1992年に法人化し最盛期の年商は102億円だったそうです。

虎としての堀之内九一郎さん

出典:meigen-web.com

番組開始からほぼ毎回出演しますが、とにかく出資をしない事で有名になりました。

番組MCの吉田栄作さんからも「なぜ出資しないんですか?」などと追及されるも、自身の経験からシッカリとした経営ビジョンを持たない人に出す気はサラサラ無い様子でした。

志願者に対して攻撃的な姿勢を取る事が多く、他の社長達とも衝突していました。

その一方で、リハビリを乗り越えてアクロバットパイロットになりたいと志願してきた女性には、細かな計画を聞く前に出資を宣言する人情味がある場面もありました。

堀之内さんが出資した(出資しようとした)志願者は成功している場合が多いです。

現在は鑑定士として再出発

出典:livedoor.blog.jp

最盛期の年商が102億円もあった「生活創庫」は2013年5月1日に倒産していました。

ネットオークションなどでの個人売買が主流となり、店舗を構えて中古品の売買をするシステムが時代に合わなくなったのが倒産の大きな原因だと思います。

赤字の穴埋めとして自宅などの資産も全て手放しましたが、最近ブームのお宝発掘系の番組に「鑑定士」として登場して目利きや評価額を付けていました。

 

安田久(エイチ・ワイ・ジャパン社長)

出典:フードリンクニュース

安田 久(やすだ ひさし)さんは1962年7月15日に秋田県男鹿市で生まれました。

本人によると貧乏な家庭で生まれ育ち、大学進学を志すも3浪してしまい断念しました。

以後は飲食系のアルバイトなどを転々としながら経営ノウハウを学んで行き、1997年に「株式会社エイチワイジャパン」を設立し社長に就任しました。

監獄や遊郭といった変わったコンセプトのレストランをヒットさせていました。

虎としての安田久さん

出典:lets-business.com

虎としての安田さんは何よりも”利益を出せるか”についてこだわっていました。

試食が美味しかったとしても「経営が成り立つかどうか」を極めて重視し、志願者の人柄や国籍などについては特にこだわってはいない様子でした。

基本的に飲食関係の志願者に対して興味を強く示す傾向がありました。

現在はコンサルタントとして再出発

出典:外食虎塾

安田さんは2006年4月に株式公開を目指して「株式会社エイチワイシステム」を設立し、新たに「47都道府県47ブランド」という大きなキャンペーンを始めました。

これは全国各地の郷土料理をブランド化する目的であり、徳島県をテーマにしたレストラン「阿波おどり」が「外食アワード2010」を受賞していました!

しかし、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災の余波で会社は破産しました。

ところが安田さんの場合はある程度準備して破産処理をした部類らしく、他の社長達と比べても家財や資産についても余り失っていない様子でした。

現在はコンサルタントや次世代の経営者を応援する講演活動などを積極的に行っています。

 

安田さんのツイッター:@yasudahisashi

 

吉川幸枝(よし川 社長)

出典:blogspot.com

吉川 幸枝(よしかわ さちえ)さんは1935年9月21日に愛知県で生まれました。

驚く事に13人兄弟の末っ子だったそうで、5歳の頃に父親を亡くしたために家賃が払えなくなり、母子は家から追い出されてしまったそうです。

その後は母とふたりで布団や梅干しの壺をリヤカーに乗せて名古屋へ向かい、母と住み込みの仕事で働きながら高校に通って無事に卒業しました。

20代半ばで不動産会社の代表となった事も驚きですが、今では普通に使っている「マンション」という名称を付けたのは吉川さんでした(マンションはアメリカで豪邸の意味)

その後はレストラン経営やブライダル事業を幅広く手掛ける「よし川」を設立しました。

虎としての吉川幸枝さん

出典:nicoblomaga.jp

吉川さんは前述の安田さんとは正反対で「利益よりも人柄重視」を徹底しており、事業内容よりも自分や他の社長達とのやりとりや生い立ちで判断するタイプでした。

理想や夢を語る志願者を好み、理路整然とした志願者には余り関心を示しません。

その点から言えば「白黒がハッキリ」していて分かりやすいタイプの虎でした。

現在はますます事業を拡大

出典:Deskgram

吉川さんは現在も事業を拡張しており、名古屋市千種区の一角に「よし川ビレッジ」と呼ばれているレストラン街を経営し、他にも名古屋市内に複数のレストランを展開中です。

ブライダル事業の経営も順調で、むしろ放送時より事業規模は成長していました。

個性的なキャラを買われてバラエティー番組に出演する事も多々あるようでした!

 

上野健一(ノシアスグループ代表)

出典:livedoor Blog

上野 健一(うえの けんいち)さんは1961年2月21日に沖縄県浦添市で生まれました。

最初はログハウスや建設機材の輸入販売だけでなく飲食関係などを手掛け、30歳手前で年商100億円のグループを作り上げる剛腕ぶりに注目が集まっていました。

不動産業の「ノシアス理想都・株式会社グループ」や株式会社「ZKR・全管連」の創業者であり、代表を務めていました(全管連とは分譲地の総合管理をする会社)

虎としての上野健一さん

出典:TOK2.com

上野さんは志願者に対し、かなり高圧的な質問攻めをしたりするのが特徴でした。

志願者のプランや人間性を評価するものの、出資したことはほとんどありません。

あの堀之内さんよりも上野さんの方が出資していない印象があり、やりとりの高圧的な物言いも含めて評判はあまりよくありませんでした。

自身のHPや週刊誌「女性自身」で番組降板を発表し、2002年5月以降出演していません。

ZKRが破産後は僧侶として活動

2013年8月16日に民事再生法を申請し「ZKR・全管連」は破産しました。

負債総額は167億円にも上り、負債の多くがユーザーからの預り金であった事から多くのユーザーに対して経済的な損失を与える結果となってしまいました。

現在は上野 玄津(うえの げんしん)の名義で僧侶としても活動する一方、ZKRと同じ様な会社「KRGグループ」を設立し会長に就任していました。

会社経営だけでなく、宗教法人・千光寺の代表役員も務めていました。

 

文野直樹(イートアンド社長)

出典:毒女ニュース

文野直樹(ふみの なおき)さんは1959年11月29日に大阪府枚方市で生まれました。

大阪学院大学経営学部を中退後に父親が経営する「大阪王将」を引き継ぎ、フランチャイズシステムに日本古来の「のれん分け」を組み込む改革を行いました。

ボクシングやマラソンなどで体を鍛えるほどのスポーツ好きと言う一面もありました。

虎としての文野直樹さん

番組初期から登場していましたが、出資した様子は見られませんでした。

穏やかな物言いで志願者に一定の理解は示すものの自身は投資は行わないタイプだったので、もしかするとあまり投資意欲自体が無い虎だったのかもしれませんね。

2003年10月の番組リニューアル前に自ら降板した模様です。

現在はイートアンド株式会社の会長

出典:ベンチャータイムス

2002年10月に「大阪王将」から「イートアンド株式会社」に改称していました。

冷凍食品事業に参入し「大阪王将羽根つき餃子」などヒット作品を生み出し、現在では会社全体の売上高でも約半分が食料品販売にまで成長していました。

アジア各国へ出店するなど多国籍化も進め、更なる発展を目指しています。

現在は社長から会長へ退いていますが、未だ筆頭株主として影響力を保っています!

 

尾崎友俐(オリエンタル代表取締役CEO)

出典:レッツ起業

尾崎 友俐(おざき ゆり)さんは1968年2月18日に東京都で生まれました。

意外にも高校の時からヨット部に夢中になったらしく、洗足学園短期大学ではヨット部主将を務め第43回~第44回国民体育大会に代表として出場したそうです。

1995年からはバックパッカーとして世界一周旅行を経験し、アジアからヨーロッパまで約40の国と地域を放浪し、帰国後に炭火焼肉店を起業しました。

2001年にはBSEとアメリカ同時多発テロで輸入が滞って売上が30分の1になる大打撃を受けますが、急いで焼肉屋を焼き鳥屋に業態変更させて乗り越えたと言われています。

虎としての尾崎友俐さん

周囲の虎達と比較すると極めて穏やかで罵倒したりすることはありませんでした。

ただし、数字の見積もりには厳しい見方をするタイプの経営者で、一番多いのが「家賃や店舗などの初期費用が掛かり過ぎですよね」との指摘でした。

いきなり大きな店舗ではなく、身の丈に合った方法を模索するように指導していました。

現在は女性起業塾の塾長もしていた

出典:career.mag2.com

尾崎さんは2006年に女性総合研究所を立ち上げ、女性を対象とした起業アカデミーを開催。

その後も講演活動などを積極的に行い、2017年にはトレンダーズ株式会社に託していた女性起業塾を引き継いで自らが塾長として携わっていました。

現在は直営店舗を全て売却し、コンサルティングとプロデュースに転職していました。

過去に離婚経験があると番組で語っていましたが、現在結婚しているのかは不明でした!

 

尾崎さんのツイッター:@yuriokinawa

 

樋口道也(株式会社ドリーム代表取締役社長)

出典:asahi.com

樋口 道也(ひぐち みちや)さんは1962年に鹿児島県で生まれました。

波乱に満ちた虎たちが多い中、樋口さんは市役所勤務や警察官としてスタートしていましたが、どうしても起業したいとの思いから古本屋を開業しました。

1996年に有限会社ドリームを設立し「ほんだらけ第一号店」を開店しました。

1998年には事業規模の拡大に伴い有限会社から株式会社へ改編していました。

虎としての樋口道也さん

こんな言い方をして良いか分かりませんが、樋口さんは虎ではなく仏だと思いました(笑)

とにかく志願者の可能性や熱意を信じるタイプで、出演した回では早い段階で出資をする事から番組内で「スピード投資男」と呼ばれていました。

準レギュラーの立場でありながら投資をした回数はトップと言われています。

自分の店で本を万引きした青年を警察に渡さず諭し、その青年に店を任せたそうです。

甘いと言われればそうですが・・樋口さんのような社長が居るとホッとしますね(笑)

現在はセミ・リタイアして妻と石垣島へ移住

出典:Twitter.com

現在は愛妻の知恵子さんとセミ・リタイア生活に入ったとブログに記載されていました。

全盛期と比べれば事業規模はコンパクトになりましたが、今では会社を後進に任せて相談役のような立場になっているのかもしれませんね(※現在も肩書はドリームの社長職)

虎たちの中では、ある意味で最も幸せな人生を過ごしているのかもしれませんね

 

南原竜樹(オートトレーディングルフトジャパン社長)

出典:AbemaTIMES

南原 竜樹(なんばら たつき)さんは1960年5月29日に岡山県で生まれました。

6歳の頃に名古屋へ引っ込し、以後は名古屋や愛知県内を活動拠点としました。

24歳の時に自動車輸入業(主にヨーロッパ)を始め、為替の差額を利用して他よりもとにかく安い価格設定で外車を売りまくる手法で会社を急成長させました。

南原さんの自動車販売会社は年商55億円をあげる企業にまで成長しました。

虎としての南原竜樹さん

虎としての南原さんについては、とにかく「クール」な対応だったのが印象的でした。

感情的になる社長が多い中で淡々と計画の不備を突いたり、見通しの甘さを指摘する事が多く、決して冷静だからと言って温厚という訳ではありませんでした。

堀之内さんや川原さんとは志願者への接し方を巡って頻繁に衝突していました。

クールを通り過ぎて冷たい印象がありましたが、志願者に対しては丁寧な対応でした。

ホームレスに転落するも現在はムキムキになって復活

 出典:フィジーク・オンライン

2005年にイギリスのローバーが倒産した事が南原さんの会社に大打撃を与えました。

南原さんは大量の「ローバーの車の在庫」を持っていましたが、製造元が倒産して保証が無くなった事から価値が暴落して巨額の負債を抱える事になりました。

会社は倒産してしまい、貯金も無くなりカードも止められ六本木ヒルズの公園で野宿しますが、警備員から「私有地だから出て行ってください」と促されバス停のベンチで就寝。

その後は人材派遣業や不動産業で成功し、医療系アウトソーシングや飲食店も大成功させ会社も「LUFTホールディングス」に改称し社長に就任していました。

ちなみに、なぜムキムキのマッチョになったかと言えば仕事のテストだったそうです(笑)

少し前に流行ったライザップの先取りしたようなフィットネスジムを経営するにあたり、自分自身でトレーニングを試し、結果として宣伝効果も狙ったのかもしれませんね。

 

南原さんのツイッター:@nambaratatsuki

 

岩井良明(株式会社モノリス社長)

出典:livedoor Blog

岩井 良明(いわい よしあき)さんは1960年3月13日に愛知県江南市で生まれました。

高校までは愛知で過ごし、大学は京都(同志社大学文学部)へ進み応援団に在籍しました。

大学を中退後はリクルートの営業マンを経て1989年に学習塾の”大志塾”を立ち上げ、1992年に「株式会社モノリス」を設立して社長に就任しました。

虎としての岩井良明さん

岩井さんは教育者らしく志願者の話を最後までしっかりと聞くのが特徴的でした。

他の社長の質問で答えに窮した志願者に助け舟を出したり、志願者のフォローをする丁寧な性格が印象的ですが、堀之内さんや川原さんとはよく衝突していました。

番組での出資については、通算で8組に資金提供したと本人が振り返っていました。

それとは別に裏話になりますが、当初は志願者で番組に応募したそうですが年齢制限で落とされるも、経歴を知ったスタッフから虎として出ませんか?と誘われたそうです(笑)

現在は「MONOLITH Japan」の社長

出典:Twitter.com

岩井さんは2007年に「株式会社MONOLITH Japan」を設立して社長に就任し、モノリスの方は家族(おそらく妻の岩井詠子さん)に社長の座を譲り会長へ退いていました。

新会社の「株式会社MONOLITH Japan」は直接的な教育よりも、塾や教育活動のサポートや広報を主な仕事とするコンサルティング系の会社でした。

今まで以上に幅広い分野で教育に携わる熱意が伝わってきますよね!

まさかのYouTuberデビュー!

【就活の虎第一弾!!】ゲストはあの冷徹な虎 "南原竜樹" 社長(1/5)

2018年12月に入ってから岩井さんがYouTuberデビューしていました(笑)

主に岩井さんが気になる人物との面接(対談形式)のトーク番組の作りになっていました。

現時点で南原さんと川原さんがゲストとして登場していました。

 

岩井さんのツイッター:@shukatsunotora

 

貞廣一鑑(株式会社ラヴ代表取締役CEO)

出典:livedoor.blog.jp

貞廣 一鑑(さだひろ かずみ)さんは1963年に広島県で自衛官の息子として生まれました。

父の厳しい教育に嫌気がさして高校3年の時に家出をし、広島県内の飲食業界に携わります。

当時の勤め先が倒産したのをきっかけとして1993年1月27日に起業し、広島県で和食居酒屋やビストロ系の店舗を数店経営するまでの規模になりました。

2000年に東京や大阪にも出店し、2002年6月に「株式会社ラヴ」に名称変更しました。

穏やかな話し方からは想像が付きませんが、実は空手五段という武闘派でもありました。

虎としての貞廣一鑑さん

何よりもまず人柄に注目し、志願して来た人に対しても「わざわざこのような場」に出て来てくれた勇気に対して敬意を払う態度を示しています。

自身も4000万円の借金を背負った経験があり、その点からも事業内容や周囲の人への配慮に対しても細かく見る一方、厳しい教育を嫌うので威圧的な社長とはウマが合わない様子でした。

口下手な木工職人とのマネー成立でも人柄の良さが見られ、借金があった事についても「自分も借金があった、働いて返せば良いじゃないですか」と励ましていました。

謙虚で物腰が柔らかく、若者の視点から助言できる貴重なタイプでした。

現在は「商業藝術」の社長

出典:livedoor.blog.jp

貞廣さんは自身の会社名を「ラヴ」から「Jellyfish.株式会社」を経て2012年8月1日から「株式会社商業藝術」に改称しており、業務内容もブライダルや美容にも拡大していました。

2017年4月27日に「株式会社 ダイヤモンドダイニング」に会社が買収されましたが、現在も変わらず商業藝術の社長として忙しい日々を過ごしています。

社員330人とアルバイト2000人を雇用している大企業であり、起業後は大きな失敗が無く今も発展をし続けているのは貞廣さんの人柄が大きいのかもしれませんね。

 

印象に残った放送「フラワーアレンジメント」

【マネーの虎】虎たちが泣いたありえない感動回「フラワーアレンジメント」吉川社長の神対応

花屋さんを開きたいと志願してきた女性の回が1番心が温まりました。

もちろん「マネーの虎」と言えば虎たちの激怒のイメージが強いですが、みなさんも怒りたくて怒っているわけではなく、あまりに酷い場合にのみ怒っているのです(笑)

この回は「マネーの虎」の本質的な部分である「支援を必要としている人を応援する」に合致しており、26分過ぎには堀之内・加藤両社長が思わず涙を堪える部分も。

実はこの案件、マネーは成立しましたがその後の動きが未だに確認されていないのです。

成立後に何か違反があったのか、もしくは心境的な変化があったのかは分かりませんが、円満に進んでいただけにファンの間でも不思議な事例だと話題になっていました。

 

虎たちのその後のまとめ

出典:abematimes.com

企業のトップというのはまさに「栄枯盛衰」であり、一夜にして大富豪からホームレスにまで転落する例があるほど厳しく過酷な世界であると改めて思いました。

それでもほぼ全ての虎たちがドン底から復活するだけでなく、過去の失敗をも自らの武器にして以前より一回り以上大きくなって帰って来ていました。

経営の才能以上に「諦めない」という精神的な強さが共通点だと思いました。

それ以外に注目する点では、驚く事に大学卒業などの高学歴の虎は少なく、どちらかと言えば貧しい環境で生まれ育った人が多いのも印象的でした。

頭で学ぶよりも体で仕事を覚え、それを身に着ける能力と改良して実行する能力に秀でている事が“起業家と従業員との大きな差”なのかもしれませんね。

恐らく今では「パワハラ」や「圧迫面接」と世論から叩かれそうな番組なので、出来れば変にマイルドになった続編などは作って欲しくないな・・と思いました(笑)

虎たちの厳しい指摘によってマネー成立しなかった人でも成功した人が居るようですし、指導方法については厳しいのも良い面と悪い面があると改めて思いました!