巨人の歴代4番打者についてご紹介いたいと思います。
巨人の4番というと、伝統がある、プレッシャーが凄いというイメージががありますよね。
その辺についてまとめてみました。
巨人の歴代4番打者一覧
巨人の4番打者を務めた選手を一覧にしてみました。
代 | 選手名 | 4番初試合 | 対戦チーム(4番初試合で) | 4番での試合数 |
1 | 永沢富士雄 | 1936年7月1日 | 名古屋 | 1 |
2 | 伊藤健太郎 | 1936年7月3日 | 大東京 | 17 |
3 | 中島治康 | 1936年7月11日 | 阪急 | 410 |
4 | 筒井修 | 1936年11月19日 | 名古屋 | 6 |
5 | 前川八郎 | 1937年9月25日 | タイガース | 1 |
6 | 水原茂 | 1937年9月29日 | ライオン | 4 |
7 | 川上哲治 | 1939年5月11日 | イーグルス | 1658 |
8 | 青田昇 | 1943年4月10日 | 大和 | 47 |
9 | 木暮力三 | 1943年7月1日 | 西鉄 | 11 |
10 | 中村政美 | 1943年11月7日 | 阪神 | 27 |
11 | 須田博 | 1944年4月10日 | 阪急 | 1 |
12 | 近藤貞雄 | 1944年5月8日 | 朝日 | 2 |
13 | 川畑博 | 1944年7月23日 | 阪神 | 6 |
14 | 黒沢俊夫 | 1946年4月27日 | セネタース | 37 |
15 | 小松原博喜 | 1947年7月27日 | 金星 | 1 |
16 | 平山菊二 | 1949年7月19日 | 急映 | 3 |
17 | 宇野光雄 | 1951年3月29日 | 松竹 | 7 |
18 | 南村侑広 | 1951年5月30日 | 大洋 | 17 |
19 | 手塚明治 | 1953年5月16日 | 洋松 | 5 |
20 | 宮本敏雄 | 1955年6月16日 | 国鉄 | 21 |
21 | 樋笠一夫 | 1955年10月8日 | 国鉄 | 4 |
22 | 柏枝文治 | 1955年10月9日 | 阪神 | 2 |
23 | 藤尾茂 | 1955年10月10日 | 阪神 | 13 |
24 | 与那嶺要 | 1958年6月14日 | 国鉄 | 35 |
25 | 長嶋茂雄 | 1958年8月6日 | 広島 | 1460 |
26 | 坂崎一彦 | 1959年7月21日 | 広島 | 12 |
27 | 国松彰 | 1960年10月3日 | 広島 | 4 |
28 | 王貞治 | 1962年4月7日 | 阪神 | 1231 |
29 | 池沢義行 | 1963年6月26日 | 広島 | 1 |
30 | 森昌彦 | 1964年7月19日 | 国鉄 | 6 |
31 | 相羽欣厚 | 1965年10月17日 | 阪神 | 4 |
32 | 吉田勝豊 | 1965年10月22日 | 広島 | 1 |
33 | 田中久寿男 | 1967年9月9日 | 阪神 | 2 |
34 | 高倉照幸 | 1967年10月11日 | 広島 | 3 |
35 | 森永勝也 | 1967年10月16日 | 大洋 | 1 |
36 | 柴田勲 | 1967年7月3日 | 阪神 | 1 |
37 | 末次利光 | 1970年6月2日 | 中日 | 15 |
38 | 柳田真宏 | 1974年9月6日 | 広島 | 1 |
39 | 張本勲 | 1976年4月24日 | 中日 | 126 |
40 | 淡口憲治 | 1976年4月25日 | 中日 | 1 |
41 | D.ジョンソン | 1976年9月1日 | 大洋 | 4 |
42 | J.シピン | 1978年6月14日 | 阪神 | 52 |
43 | 山本功児 | 1979年7月8日 | 阪神 | 7 |
44 | R.ホワイト | 1980年7月13日 | ヤクルト | 77 |
45 | 中畑清 | 1981年4月11日 | 阪神 | 219 |
46 | G.トマソン | 1981年5月15日 | 阪神 | 26 |
47 | 松原誠 | 1981年10月5日 | ヤクルト | 1 |
48 | 原辰徳 | 1982年6月4日 | 広島 | 1066 |
49 | R.スミス | 1983年4月14日 | ヤクルト | 30 |
50 | W.クロマティ | 1984年6月27日 | 中日 | 174 |
51 | 呂明腸 | 1988年7月17日 | 大洋 | 2 |
52 | 駒田徳広 | 1988年8月27日 | ヤクルト | 34 |
53 | 吉村禎章 | 1990年7月30日 | 阪神 | 32 |
54 | M.ブラウン | 1990年9月9日 | ヤクルト | 1 |
55 | P.ブラッドリー | 1991年4月29日 | 大洋 | 3 |
56 | L .モスビー | 1992年5月12日 | ヤクルト | 12 |
57 | J.バーフィールド | 1993年4月23日 | 阪神 | 22 |
58 | 岡崎郁 | 1993年8月11日 | ヤクルト | 3 |
59 | 大久保博元 | 1993年10月2日 | 広島 | 2 |
60 | 落合博満 | 1994年4月9日 | 広島 | 331 |
61 | 広沢克巳 | 1995年5月3日 | 阪神 | 56 |
62 | 松井秀喜 | 1995年8月25日 | 阪神 | 470 |
63 | S.マック | 1996年5月26日 | 広島 | 18 |
64 | 清原和博 | 1997年4月4日 | ヤクルト | 297 |
65 | 石井浩郎 | 1997年6月28日 | 中日 | 35 |
66 | 高橋由伸 | 1999年5月5日 | 阪神 | 142 |
67 | D.マルティネス | 1999年6月27日 | 広島 | 63 |
68 | R.ペタジーニ | 2003年4月15日 | 広島 | 76 |
69 | 小久保裕紀 | 2004年7月23日 | 横浜 | 173 |
70 | 李承燁 | 2006年3月31日 | 横浜 | 233 |
71 | 二岡智宏 | 2006年6月8日 | ソフトバンク | 1 |
72 | 阿部慎之助 | 2007年6月9日 | 楽天 | 494 |
73 | 小笠原道大 | 2007年7月24日 | 横浜 | 38 |
74 | A.ラミレス | 2008年4月4日 | 阪神 | 511 |
75 | 長野久義 | 2011年7月14日 | 阪神 | 73 |
76 | 村田修一 | 2012年5月1日 | 広島 | 161 |
77 | J.ロペス | 2013年4月28日 | ヤクルト | 3 |
78 | J.ボウカー | 2013年8月17日 | 中日 | 1 |
79 | L .アンダーソン | 2014年4月26日 | 広島 | 16 |
80 | F.セペダ | 2014年5月15日 | ヤクルト | 18 |
81 | 大田泰示 | 2014年9月27日 | 横浜 | 12 |
82 | 坂本勇人 | 2015年4月11日 | ヤクルト | 48 |
83 | 中井大介 | 2015年4月29日 | 中日 | 1 |
84 | 亀井義行 | 2015年7月7日 | ヤクルト | 17 |
85 | ギャレット.J | 2016年3月25日 | ヤクルト | 41 |
86 | L.クルーズ | 2016年4月14日 | ヤクルト | 9 |
87 | C.マギー | 2017年5月28日 | 広島 | 19 |
88 | A.ゲレーロ | 2018年3月30日 | 阪神 | 13 |
89 | 岡本和真 | 2018年6月2日 | オリックス | 93 |
引用元:こちら
現在(2019)の岡本和真選手は89代目の4番になります。
外国人選手も名を連ねていますが、伝統あるジャイアンツの4番はプレッシャーもあり、4番を固定できなかった時期もあり、チームも低迷しています。
そんな中でも、特に印象の強い選手、活躍した選手をピックアップしてみました。
巨人で活躍した歴代の4番打者
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中島治康(第3代)
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名前:中島浩康(なかじまはるやす)
生年月日:1909年6月28日
没年月日:1987年4月21日(77歳没)
出身地:長野県松本市
身長:175㎝
体重:73㎏
投球投打:右投げ右打ち
ポジション:右翼手
プロ入り:1934年(読売ジャイアンツ)
中島浩康さんは、1936年の春季リーグから、右翼手のレギュラーとしてクリーンナップを打ち、同年7月15日には巨人の球団通算第1号本塁打を放っています。
秋季リーグからは主に四番打者を務め、チームトップの打率.267を記録。
1938年秋季リーグには、打率.361、本塁打10、打点38と2位以下を大きく引き離す圧倒的な成績を挙げ、日本プロ野球史上初の三冠王に輝きました。
当時は三冠王という概念はなく、1965年に野村克也さんが三冠王を獲得した際に、中島浩康さんの評価が見直され、1938年秋の中島浩康さんがプロ野球初の三冠王と認定されています。
中島浩康さんは、類い希なパワーと悪球打ちで「ボール打ちの名人」として知られており、守備でも打者をライトゴロでアウトにする強肩を持っていました。
現役引退後は、巨人の監督として活躍し、1963年には野球殿堂入りを果たしています。
川上哲治(第7代)
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名前:川上哲治(かわかみてつはる)
生年月日:1920年3月23日
没年月日:2013年10月28日(93歳没)
出身地:熊本県人吉市
身長:174㎝
体重:75㎏
投球投打:左投げ左打ち
ポジション:一塁手、投手
プロ入り:1938年(読売ジャイアンツ)
「打撃の神様」として知られる川上哲治さんは、当初は投手として巨人に入団しますが、後に野手に転向します。
1939年には19歳ながら、首位打者のタイトルを獲得。
1941年にも首位打者のタイトルを獲得しています。
1950年のシーズン途中に、打撃練習をしていた時に球が止まって見えるという感覚に襲われました。
これが「ボールが止まって見えた」という、川上哲治さんを語る上での有名なエピソードです。
1956年5月31日の中日戦で、プロ野球史上初の2000安打を達成し、1646試合での2000安打到達は、プロ野球最速記録になっています。
巨人の4番としては、1658試合に出場しています。(球団歴代最多出場)
川上哲治さんはは大正生まれであるため、日本プロ野球名球会(1978年発足)の入会資格はありません。(※当初の名球会の入会資格は昭和生まれであるため)
現役引退後は、巨人の監督として活躍し、「V9」時代と言われる巨人の黄金期を築きました。
長嶋茂雄(第25代)
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名前:長嶋茂雄(ながしましげお)
生年月日:1936年2月20日
年齢:83歳(2019年5月現在)
出身地:千葉県佐倉市
身長:178㎝
体重:76㎏
投球投打:右投げ右打ち
ポジション:三塁手
プロ入り:1958年(読売ジャイアンツ)
「ミスタージャイアンツ」、「巨人軍終身名誉監督」として有名な長嶋茂雄さん。
初めて、大卒のプロ野球選手で「400本塁打・2000安打」の同時に達成しています。
ルーキーイヤーの1958年から活躍し、29本塁打・92打点を記録し、本塁打王と打点王の二冠を獲得しています。
1959年の天覧試合(昭和天皇、光淳皇后が観戦)では、サヨナラ本塁打を放つ勝負強さをみせ、プロ野球人気の立役者になりました。
王貞治さんとの3、4番コンビ(多くが3番王貞治、4番長嶋茂雄)はON砲と呼ばれ、巨人の黄金期であるV9時代を支えました。
1974年10月12日、中日の優勝が決まり巨人のV10が消えた日に、現役引退後を発表。
引退セレモニーでは「我が巨人軍は永久に不滅です」という有名な言葉を残しました。
現役時代の獲得タイトルは、
- 首位打者:6回 (1959年 ~1961年、1963年、1966年、1971年)※6回は右打者記録、セ・リーグ記録。3年連続は右打者、セ・リーグタイ記録。
- 本塁打王:2回 (1958年、1961年)
- 打点王:5回 (1958年、1963年、1968年 ~ 1970年)
- 最多安打:10回 (1958年 ~1963年、1966年、1968年 ~1969年、1971年)※6年連続・通算10回は共に日本記録。
王貞治(第28代)
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名前:王貞治(おうさだはる)
生年月日:1940年5月20日
年齢:78歳(2019年5月現在)
出身地:東京都墨田区
身長:177㎝
体重:79㎏
投球投打:左投げ左打ち
ポジション:一塁手
プロ入り:1959年(読売ジャイアンツ)
通算本塁打868本の世界記録を持つ王貞治さん。
しかし、1959年~1961年は伸び悩み「王は王でも三振王」と揶揄されたこともありました。
1961年シーズン終了後、打撃フォームを「一本足打法」に改良し、打撃が開眼しました。
1962年には22歳で初めて、4番に起用されています。
1964年、24歳でシーズン最多本塁打記録(55本)を達成し、長らくプロ野球記録となりました。
その後も巨人の主力選手として活躍し、1973年、打率.355・51本塁打・114打点で史上3人目の三冠王を獲得しました。
この年は、通算本塁打数でも野村克也を抜き、プロ野球歴代1位に踊り出ました。(1973年シーズン終了時、王貞治:585本、野村克也:579本)
翌1974年も打率.332・49本塁打・107打点で史上初の2年連続三冠王に輝いています。
1977年には756本目の本塁打を放ち、通算本塁打の世界記録を更新、この偉業を称えて初の国民栄誉賞受賞者になりました。
1980年に現役引退を表明し、翌1981年以降、選手時代の活躍を讃え、後楽園球場が閉場となる1987年まで1番ゲートは「王ゲート」と呼ばれていました。
現役時代の主な獲得タイトルは、
- 首位打者:5回(1968年 ~1970年、1973年 ・1974年)※3年連続はセ・リーグタイ記録
- 本塁打王:15回(1962年 ~1974年、1976年 -~1977年)※15回、13年連続はいずれも歴代最多
- 打点王:13回(1962年、1964年 ~ 1967年、1971年 ~1978年)※13回、8年連続はいずれも歴代最多
- 最多出塁数:12回(1967年 ~ 1978年)※1967年からタイトルとして表彰される。12回、12年連続はいずれも歴代最多
- 最多安打:3回(1969年、1970年、1973年)※1994年からタイトルとして表彰される。
通算:868本塁打、2170打点、1967得点、5862塁打、2390四球、427四球は、プロ野球最多記録。
王貞治さんの背番号「1」は永久欠番になり、現役引退後は巨人、ダイエー(ソフトバンク)で監督して活躍。現在はソフトバンクホークスの球団会長を務めています。
原辰徳(第48代)
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名前:原辰徳(はらたつのり)
生年月日:1958年7月22日
年齢:60歳(2019年5月現在)
出身地:神奈川県相模原市
身長:181㎝
体重:84㎏
投球投打:右投げ右打ち
ポジション:三塁手、外野手、一塁手
プロ入り:1980年ドラフト1位(読売ジャイアンツ)
2019年現在、巨人の監督を務めている原辰徳さん。
現役時代は1980年代から1990年代中盤にかけて、巨人の4番打者として活躍。
ルーキーイヤーの1981年から出場し、打率.268、22本塁打、67打点の成績を収め、新人王を獲得しました。
1982年には33本塁打を放ち、翌1983年には、初めて打率3割を記録し、打点王、最多勝利打点を獲得して巨人の優勝に貢献し、MVPに選出されました。
また3割30本塁打100打点をマークし、巨人では球団史上4人目の達成者となりました。
1986年9月24日の広島戦で、津田恒実投手の直球をファウルした際に左手首の有鉤骨を骨折、残り試合の欠場を余儀なくされました。
「事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わりました」と、原辰徳さん本人も発言する程の影響があり、これ以降ケガに悩まされるようになりました。
1987年、1988年は2年連続で3割30本塁打を記録。
その後、外野や一塁手へとコンバートされ、1993年に三塁手として復帰し、4番出場が通算1000試合に到達しています。
1995年シーズンを最後に現役を引退し、引退セレモニーでは「巨人軍の4番打者には何人も犯すことのできない聖域がある。今日、私の夢は終わります。しかし、私の夢には続きがあります。」との言葉を残しました。
現役引退後は、評論家、巨人のコーチを経て、監督に就任(2回)します。
チームの立て直しのため、2019年シーズンから3度目の巨人監督に就任しました。
同一チームにおける3度目の監督就任は、球団史上初になります。
松井秀喜(第62代)
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名前:松井秀喜(まついひでき)
生年月日:1974年6月12日
年齢:44歳(2019年5月現在)
出身地:石川県能美市
身長:188㎝
体重:95㎏
投球投打:右投げ左打ち
ポジション:外野手
プロ入り:1992年ドラフト1位(読売ジャイアンツ)
「ゴジラ」こと松井秀喜さん。
日本が誇るホームランバッターでもありますが、松井秀喜さん本人は連続試合出場にこだわりを持っていたそうです。
鳴り物入りで巨人に入団しますが、活躍が目立つようになったのはプロ2年目からになります。
プロ2年目の1994年には、20本塁打を記録し、翌1995年には22本塁打を放ち、ベストナインを受賞しています。
1996年には、開幕戦で初の4番を任されますが、5月に落合博満選手が4番に復帰したため、3番に戻りました。
1999年には、自身初のシーズン42本塁打を記録します(日本人のシーズン40本塁打到達は、1989年の落合博満以来10年ぶり、巨人では1977年の王貞治以来22年ぶりの快挙)
2000年の開幕戦から2002年シーズンが終了するまで、4番を務め、他の選手に譲ることはありませんでした。
日本での最後のシーズンになった2002年には三冠王目前に迫りますが、シーズン終盤に調子を落とし、首位打者のタイトルを逃してしまいました。
しかし、打率、本塁打、出塁率では自己最高の成績で、本塁打王(50本)、打点王、最高出塁率、シーズンMVPを獲得。
松井秀喜さん以降、シーズン50本塁打を記録した日本人選手は今日まで出てきていません。
2003年からは活躍の舞台をメジャーリーグに移し、日本に戻ることなく、現役生活をメジャーリーグで終えています
現在は、メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースでGM特別アドバイザーとして活動しています。
平成を代表する野球選手といっても過言ではない松井秀喜さん。 日米通算507本の本塁打を記録し、日本のプロ野球、米:メジャーリーグでも活躍されました。 そんな松井秀喜さんの経歴、実績や現在についてまとめてみました。 もくじ 1 松井秀喜は子供のころから凄かった!1.1 甲子園では5打席連続敬遠を受ける2 巨人に入団し、プロ野球選手になる2.1 巨人の4番として活躍3 活躍の場をメジャーリーグに移す3 […]
日本での主な獲得タイトルは、
- 首位打者:1回 (2001年) ※史上3人目のフルイニング出場での獲得
- 本塁打王:3回 (1998年、2000年、2002年)
- 打点王:3回 (1998年、2000年、2002年)
- 最高出塁率:3回 (1998年、2000年、2002年)
阿部慎之助(第72代)
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名前:阿部慎之助(あべしんのすけ)
生年月日:1979年3月20日
年齢:40歳(2019年5月現在)
出身地:千葉県浦安市
身長:180㎝
体重:97㎏
投球投打:右投げ左打ち
ポジション:捕手、一塁手
プロ入り:2000年ドラフト1位(逆指名、読売ジャイアンツ)
強打の捕手として注目されてきた阿部慎之助選手。
活躍し始めたのは2002年からで、2005年には5番を任される選手に成長しました。
2007年シーズンからは主将に任命され4番を継承、33号本塁打を放ち、自身初のシーズン100打点を達成しています。(史上4人目の捕手登録選手のシーズン100打点達成)
その後2014年まで「主将」、「4番」として巨人の中心選手として活躍しました。
2015年からは一塁手へとコンバートされますが、2016年には捕手に復帰します。
2017年には、史上49人目の通算2000本安打を達成。
2019年に、再び捕手の道を歩むことを決意し、現在は主に代打としての出場が多くなっています。
まとめ
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歴代の巨人の4番打者の中でも、活躍した選手、印象が強いと思われる選手を紹介してきました。
外国人選手やFAで移籍してきた選手も4番を務めていますが、やはり巨人の生え抜きの選手の方が活躍してる気がします。
2019年現在は、生え抜きの岡本和真選手が4番を務めています。
去年は3割30本100打点を達成し、待望の生え抜きの4番打者として期待されていますが、今年は苦戦している感じがします。
プレッシャーは大きいと思いますが、気負わず頑張ってほしいと思います。
読売ジャイアンツ
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