みんなが1番好きな歴史上の人物って誰?ランキングTOP10

歴史上の人物で誰が好きですか?

そんな質問をされたら一人や二人すぐに出てくる方も多いのではないでしょうか。

今回は、インターネットの画面で発表されている好きな歴史上の人物についてふたつのページをご紹介させていただきます。

また、著者がそれぞれの歴史人物のキャッチフレーズを考えてみましたので発表させていただきたいと思います。

さらに、No.1に輝いた人物についてテレビや映画などで語られている人物像が本当に正しいのか否かについて、いくつかのポイントで考えてみたいと思います。

一番好きな歴史上の人物ランキング

「ランキングー」の「一番好きな歴史上の人物ランキング【2020年版】」の結果

出典元:こちら

 

1位:織田信長(おだのぶなが) (1,059票)

2位:坂本龍馬(さかもとりょうま) (1,047票)

3位:杉原千畝 (すぎはらちうね)(603票)

4位:聖徳太子(しょうとくたいし) (582票)

5位:真田幸村(さなだゆきむら) (561票)

6位:伊達政宗(だてまさむね)(508票)

7位:上杉謙信(うえすぎけんしん) (458票)

8位:徳川家康 (とくがわいえやす)(440票)

9位:土方歳三(ひじかたとしぞう) (426票)

10位:黒田官兵衛(くろだかんべい) (380票)

引用:https://rankingoo.net/

「好きな歴史上の人物ランキング・高校生アンケート」結果

出典元:こちら

 

1位:織田信長(おだのぶなが)(95票)

2位:坂本龍馬(さかもとりょうま)(47票)

3位:徳川家康(とくがわいえやす)(41票)

4位:豊臣秀吉(とよとみひでよし)(26票)

5位:真田幸村(さなだゆきむら)(20票)

(アンケート期間:2016年6月28日~7月11日。回答者数:348名)

引用:https://school.js88.com/

ふたつのランキングからわかること

出典元:こちら

やはり、一般の人のアンケートにおいても高校生のアンケートでも、NHK大河ドラマで取り上げられた主人公が多いですね。

高校生アンケートでは5人全員が、かって大河ドラマで主人公として取り上げられた人物でした。一般のアンケートの方でも10名中7名がランクインしています。

一般のアンケートで杉原千畝 (すぎはらちうね)さんが3位に選ばれていますが、近現代の人で選ばれているのは彼だけです。 「一人の男が世界を変えた。」が2015年に公開された映画のキャッチフレーズでしたが、自己の判断でナチスに迫害を受けているユダヤ人たちにビザを発給した話は、本当に感動的ですよね。

あと1点疑問に思う点は、高校生ランキングでは4位に入っている豊臣秀吉が一般ランキングでは10位にさえ入っていない点です。

やはり秀吉の後半の人生に共感できない人が多いからでしょうか?

高校生ランキングの中でも、3位が徳川家康、4位が豊臣秀吉になっています。 以前から「好きな歴史人物ランキング」は見てきましたが、華やかさで優る秀吉よりどちらかというと我慢強く耐える人のイメージの強い家康が上回るという結果は初めて見ました。

我慢をしいられる時代になったためなのか、高校生の知性や感性の発達が伸びて家康の良さがわかるようになったのかどちらなのでしょうか?

著者が考えてみた歴史ランキング人物のキャッチフレーズ

1位 織田信長 (1,059票)/武士/戦国:

“運も実力もある天下取りに一番近かった尾張のファッショナブル魔王“

2位 坂本龍馬 (1,047票)/武士/幕末:

“剣も強い自由闊達で人に好かれる土佐のネゴシエーター“

3位 杉原千畝 (603票)/外交官/現代(活躍は昭和):

“正しいことを最後までやり抜く人道的な名古屋の外交官“

4位 聖徳太子 (582票)/政治家/飛鳥時代:

“謎が多い馬小屋生まれの飛鳥の超人天皇ヘルパー”

5位 真田幸村 (561票)/武士/戦国時代(秀吉・家康の時代):

“苦しい状況もなんのその。名も家も残した信濃の赤い甲冑の次男坊“

6位 伊達政宗 (508票) /武士/戦国時代(秀吉・家康の時代):

“頭も切れる刀オタクな東北の独眼竜”

7位 上杉謙信 (458票) /武士/戦国:

“百戦百勝、戦いの神に守られた越後の大酒飲み”

8位 徳川家康 (440票) /武士/戦国:

“我慢強さと短気な両面を持ち合わせる実力No.1の三河の将軍様”

9位 土方歳三 (426票)/武士/幕末:

“日野の裕福農家出身のイケメン鬼副長”

10位 黒田官兵衛 (380票) /武士/戦国:

“農民出身の主人に天下を取らせた負けなしの姫路生まれの天才軍師”

総合1位の人物は「織田信長(おだのぶなが)」

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一般の部門でも高校生の部門でも好きな歴史人物1位は織田信長(おだのぶなが)(1534年-1582年)でした。

1位になった人物が好きな理由(高校生アンケートより)

カリスマ性があるから(高1・神奈川県・男子)
きっかけはドラマも映画化もされた信長協奏曲です!そのドラマではまって、教科書とかでもついつい織田信長のページを読んでしまいます(高2・大分県・男子) ・リーダーシップのある人だから(高1・群馬県・男子)
型破りで破天荒で格好いいから(高2・茨城県・女子)
厳しい人だけど、新しい戦法を考えたり、天下を本気で目指した所(高3・千葉県・男子)
新しいことをどんどん取り入れたところ(高2・愛知県・男子)
民衆のために様々な政策を考えたから(高2・愛媛県・女子)

引用:「日本の学校」 https://school.js88.com/

 

高校生のみなさんが的確に信長のことを見られていて、どのご意見にも賛成です。

この章では、信長がなぜヒーローになれる条件を持ち合わせることができたのかを考えてみたいと思います。

なぜ、織田信長はヒーローになれたのか?

出典元:こちら

信長はなぜカリスマ性やリーダーシップを持てたのか?

信長がカリスマ性を発揮できてリーダーシップを持てた理由のひとつが織田家の潤沢な財力によるものであったのだと考えられます。豊富な財力があったからこそ、当時登場したばかりの鉄砲を大量に購入できたのです。

財力で購入できるのは武器だけではありません。情報もそのひとつです。

今の世の中で言えば、信長はソフトバンクの孫正義会長のように正確な情報をより早く得るために資金を使うことができたのではないでしょうか。

ひとつの例

1560年信長が27歳のとき今川義元に勝利した「桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)です。

2万5千とも3万とも言われる今川軍に対して、わずか2千から3千の信長軍が奇襲して今川義元を討つ話は、戦国史上でも飛びぬけてスゴイ話ですよね。

当時は誰もが今川軍勝利を疑っていなかったことでしょう。

しかし、信長は今川義元が出陣した日からどれだけ西へ進んで、どこにいるのかをキチンとつかんでいました。

義元が出陣してから7日後、ちょうど今川軍に疲れが出始めて桶狭間で休憩を取っていたところを信長は狙いますが、この地で農民たちに頼んで義元に食料や酒などを届けさせ、休憩をとらせたのも信長の計画だったのだと考えられます。

農民を協力させるだけの財力があったのです。

なぜ、信長は型破りで破天荒になれたのか?

信長が型破りで破天荒に育った理由のひとつは天真爛漫に少年時代を過ごせる環境が整っていたからだと考えられます。

信長は織田家の嫡男であり、織田家の家督を継ぐ候補第1位として誕生したのです。

当時の風習では嫡男は実父母に育てられるのではなく預けられます。

信長を幼少期から育てたのは織田家の重臣、平手政秀(ひらて まさひで)でした。

自分の主人の嫡男を育てるのは、それほど簡単なことではありません。 どうしても自分の子どもを育てるよりもしつけ面では甘くなりがちになりますし、立場上ひどくしかりつけるのも難しい面もあったことでしょう。

封建的で身分制度もあった時代に信長は野放図に自由に少年時代を過ごすことができたのだと考えられます。

また、これも織田家に限った話ではありませんが、嫡男以外の弟たちは実際の父母に育てられ、母親が弟たちを溺愛するケースは少なくありません。

信長の母の土田御前(どだごぜん)も信長の弟、信勝を溺愛しました。

当然、子としての信長は自分だけが家族から隔離され父親や母親とのコミュニケーションがとりにくくて、うまく自分を表現できず、つい悪ぶってしまったこともあったのではないでしょうか?

なぜ、信長は新しいことを取り入れることができたのか?

信長はたしかに新しいことを理解し応用するのが得意な人物でした。

もともと、頭がよく、柔軟で、自分の目で物事を見る人で、好奇心も強かったようです。

これらの才能も、生まれた時の先天的な部分もあったのかと思いまが、育つ過程においても、人が知らず知らずに縛られているしきたりやルール、固定観念や因習に毒されず生きることができたのだと考えられす。

同じ時代の人が、気にしていた身分や性別の違いや肌の色や宗派の良し悪しなどに捕らわれることなく、脳の中で新しいものに目をむけ優先させる回路を発達させていったのかもしれません。

私の少ない経験から申し上げますと、天真爛漫で野放図で社会のルールに捕らわれずに生きられる人は、極めて裕福な経済環境で育った坊ちゃん、嬢ちゃんが多いように思うのですが、みなさんはどう思われますか?

信長が民衆のための政策がとれたのはなぜか?

半分は織田家のDNAであり、半分は信長の育った環境にあると考えています。

信長は、幼少より織田家の跡を継ぐべく教育を受けており、民衆の大切さやお金の大切さを理解していたと考えられます。

信長が天下取り間近まで近づけた理由のひとつに、父親、信秀が築いた経済的な基盤があったからであることは間違いがありません。

信長は、父、信秀を見て、民衆を大切にすることが後には自らに利益をもたらすことをよく理解していたのでしょう。

岐阜の街に楽市楽座を作ったのは信長ですが、人の集まる賑やかな場所を人々に提供してきたのは信秀の時代からでした。

信秀は、津島神社や熱田神宮の近辺に門前町を作り、人々が集まる場所を提供したのです。

これらの門前町から得られる利益が織田家の財力の基盤であったのです。

著者の見解

一般の方や高校生たちのアンケートの結果を見てきましたが、ランクインしている歴史上の人物はそれぞれの魅力があり、精一杯生きてきた人たちばかりで納得できる結果でした。

その中でも、両方のアンケートで1位になった織田信長のバイタリティーは他の人物を圧倒しており、何年先かに同じようなアンケートが行われても信長は必ず上位にあがる人だと思います。

著者自身も信長は好きですが、その理由のひとつが勝ちっぷりがいいだけでなく負けっぷりもいいところです。

浅井・朝倉に攻められた時の信長の撤退の速さも素晴らしいと思いす。

もうひとつは、足利義昭の信長包囲網の命で各地から攻められて苦労させられた信長でしたが、義昭を京から追放するも殺さなかった点です。

そんなところにも信長の人間としての魅力を感じるのですが、みなさんはいかがでしょうか?