今回は、著者の独断と偏見を含む部分も多々あるかと思いますが、テレビや映画を観て、あるいは書籍で読んだ中から、日本史上最強の剣士(武士)のTOP 10ランキングを考えてみたいと思います。
また、1位とした武士をなぜ、歴史上最強剣士としたのかについてもコメントさせていただきます。
最強武士たちを選定する上での考え方
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①各流派が完成したであろう室町時代から戦国時代, 徳川時代を経て明治維新の時代の中から選定することにします。
②もっとも強かったと言われている4つのグループの中から最も強かったと言われている剣士を選びだし、また特別シード枠を設けてグループに属さない天才剣士も候補に入れることで考えていきたいと思います。
それぞれのグループは下記の通り。
B) 新選組, 京都見回り組からのノミネート(グループB)
C) 徳川剣術指南役家からのノミネート(グループC)
D)幕末の4大人斬り(グループD)
E) 特別シード(グループE)
江戸三大道場(グループA)
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江戸三大道場とは?
・幕末期には、多くの人に知られていた「江戸三大道場」がありました。
これらの道場には、各地から剣術に優れた剣豪が集まり日々腕を磨いていました。
・それぞれの流儀には特徴があり、当時の道場主の名前からとって、士学館は「位の桃井」、玄武館は「技の千葉」、練兵館は「力の斎藤」と称され大きな注目を集めていました。
士学館(鏡新明智流)
*特徴:
竹刀での打ち込み稽古をしていた正統派
*ノミネート選手:
・桃井直正(もものいなおまさ)
・武市半平太(たけちはんぺいた)
玄武館(北辰一刀流)
玄武館は学者の町である神田於玉ヶ池(かんだおたまがいけ)にありました。
清河八郎や山岡鉄舟、藤堂平助、山南敬助などの達人を輩出しました。坂本龍馬は分道場の桶町千葉で学びました。
ここでは次の二人をノミネートします。
*ノミネート選手:
・千葉周作(ちばしゅうさく)
・坂本龍馬(さかもとりょうま)
練兵館(神道無念流)
学問も重視し多くの志士を生んだ練兵館は、長州の志士を門下生に多く抱えていました。桂小五郎、高杉晋作、井上聞多、伊藤博文などです。
*ノミネート選手:
・桂小五郎(かつらこごろう)
・高杉晋作(たかすぎしんさく)
新選組、京都見回り組(グループB)
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新選組、京都見回り組とは?
どちらも幕末の時代、幕府会津藩主の命により、京の治安を守るために結成された組です。
両組とも腕の立つ剣士をそろえていましたが、テレビや映画などでは新選組の方が注目を受ける場合が多いのですが、京都見回り組の方も相当な達人が揃っていました。
*ノミネート選手:
・沖田総司(おきたそうじ)
・斎藤一(さいとうはじめ)
・永倉新八(ながくらしんぱち)
・近藤勇(こんどういさみ)
・佐々木只三郎(ささきたださぶろう)
徳川剣術指南役(グループC)
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徳川家剣術指南役とは?
室町幕府がそうであったように、徳川幕府でも剣術指南役の家系がありました。
柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)です。
柳生家からは幕府の政治にまで関わっていた人物も輩出しています。
*ノミネート選手:
・柳生石舟斎(やぎゅうせきしゅうさい)
・柳生兵庫介(やぎゅうひょうごのすけ)
・柳生十兵衛(やぎゅうじゅうべい)
幕末の4大 人斬り(グループD)
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幕末の京では「天誅」(てんちゅう)という天に変わって悪者を成敗するという思想が広まり、各藩は殺人のスペシャリストを生み出していきました。
彼らは、好きで人斬りになったわけではなく、腕の立つ藩士の中から選ばれた刺客であり、藩の命に従い利害の反する相手を斬っていきました。
・田中新兵衛(たなか しんべい)(薩摩)
・河上彦斎(かわかみ げんさい)(熊本)
・岡田以蔵(おかだ いぞう)(土佐)
・中村半次郎(なかむら はんじろう)(薩摩)
*ノミネート選手:
・岡田以蔵(おかだ いぞう)(土佐)
・河上彦斎(かわかみ げんさい)(熊本)
特別シード(グループE)
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強い剣士は道場や治安部隊や将軍家指南役や藩の刺客から生まれるばかりではありません。
武芸者や仇討の助太刀(すけだち)をした人の中にも達人はいました。
その後も伝説として語られる剣士をノミネートしました。
*シード選手:
・宮本武蔵(みやもとむさし)
・佐々木小次郎(ささきこじろう)
・荒木又右エ門(あらきまたえもん)
・堀部安兵衛(ほりべやすべえ)
発表 歴史上最強剣士ランキングTOP10
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2位: 沖田総司(おきたそうじ)
3位: 桂小五郎(かつらこごろう)
4位: 柳生十兵衛(やぎゅうじゅうべえ)
5位: 荒木又右エ門(あらきまたえもん)
6位: 近藤勇(こんどういさみ)
7位: 佐々木小次郎(ささきこじろう)
8位: 千葉周作(ちばしゅうさく)
9位: 桃井直正(ももいなおまさ)
10位:坂本龍馬(さかもとりょうま)
ランキング1位は「宮本武蔵」
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・1位 宮本武蔵(みやもとむさし)(1584-1645)
10代のころ武蔵は、「関ケ原の戦い」の西軍に加わり、その後、最強の剣士になることを志した人物。
武蔵の剣は、道場での稽古ではなく、実際に人と人との殺し合いをして生き残る文字通り命を懸けた剣でした。
ランキング1位の理由
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剣一筋の人生
武蔵の人生は正に剣一筋。
17歳のときに関ケ原の戦いに参戦し、人の死や敗走した経験から強くなることだけを目指しました。
人間関係も築かず、ひたすら自ら腕を磨き、自らの命をかけ数々の剣客を倒していく姿は正に剣の神であり、他の剣士たちには真似のできない生き方であったと考えています。
剣客を倒せば倒すほど世に武蔵の名前は知られ狙われる機会も多かった中、武蔵は風呂にも入らず一瞬たりとも油断しないように努めたと言われています。
そのため、髪の毛はベタベタになり、定期的に自分の髪を結ぶ紐を変えていたとも伝わっています。
真剣勝負をした剣士
ランキングを考えるときに実際に真剣勝負をした経験のある人を中心として考えました。
三大道場から、8位に千葉周作(ちばしゅうさく)、9位に桃井直正(ももいなおまさ)を入れています。
彼らは真剣勝負は行いませんでしたが、死ぬほどの稽古を積んでいますし同時代でも千葉や桃井に真剣で挑む人などいなかったでしょうからランキングに入れました。
また、千葉周作に関しては、彼が創設した北辰一刀流千葉道場は現在も続いていますのでリスペクトという点もあります。
真剣勝負をした人の中でも、武蔵は戦った回数がはるかに多かった点も1位にした理由です。
しかも全戦全勝でした。
主要な戦いをいくつか羅列すると、
・21歳 京都の吉岡一門との戦い。
・24歳 伊賀の鎖鎌の使い手 宍戸梅軒との戦い。
槍使いの僧・奥蔵院との戦い
・29歳 巌流島での佐々木小次郎との戦い
がよく知られています。
一対一の戦い一対多の戦い どちらにも挑んだ点
真剣勝負で剣の強さを競うという目的であれば一対一の戦いが基本なのだと思います。
しかし、武蔵の場合は一対多で戦わざるを得ない状況にも追い込まれました。
吉岡一門との戦いです。
兵法指南役の道場へ道場破り
武蔵が道場破りに赴いたのが京にある足利将軍家の兵法指南役の吉岡道場でした。
武蔵は見事に門弟たちを倒したのです。
道場主との戦い
門弟たちを倒したところで兵法指南役の道場を倒したことにはなりません。
武蔵は、道場主である吉岡清十郎宛の挑戦状を書き五条大橋に札を立てかけたのです。
決闘の地は、京都の洛北にある蓮台野(れんだいの)。
墓石などが並ぶ人気のない場所でした。
吉岡清十郎は武蔵が現れず待ちくたびれていました。
ひょっとして武蔵は来ないのかもしれない。そんな気持ちもよぎったことでしょう。
突然現れた武蔵は木刀を振りかざし、清十郎の骨をくだいたのでした。
弟、伝七郎との戦い
吉岡道場の道場主は吉岡清十郎でしたが、腕は弟の方が上という噂があるほど剣に優れた弟の吉岡伝七郎が次に武蔵に挑戦しました。
雪が降る京都三十三間堂が戦いの地に選ばれました。
清十郎のときと同じように遅れて登場した武蔵に対して伝七郎は1.5メートルもある長い木刀で武蔵に向かっていきます。
武蔵は伝七郎から木刀を奪い、伝七郎を撲殺したのでした。
一乗寺下がり松の決闘
吉岡家は、幼い吉岡又七郎を大将として、吉岡の門弟たち数十名は、一乗寺下がり松付近に陣を敷きました。
正面から来るはずだと考えていた吉岡門弟たちでしたが、武蔵は回り込み背後から幼い吉岡又七郎を切り殺します。
慌てたと同時に怒った門弟たちは、武蔵を生きて返すことのないように次々に襲い掛かります。
二刀流で応戦する武蔵。
田んぼ道に入っては必死で防戦しながら逃げる武蔵、追う門弟。
やっとのことで武蔵は逃亡に成功します。
二刀流を使いこなせた武蔵
武士が刀を使い始めて長い年月が経ちましたが、二刀流を使いこなせたという点では武蔵以外の剣士はそんなに多くはいません。
太刀は元来、両手で使うものであり、かなりの腕力がないと片手では制御できません。
もちろん、武蔵が相手にしてきたのは、飛び道具のような鎖鎌や相手に接近するのが難しい槍の達人もいましたので、小刀を使う必要があったのかもしれませんが、天才武蔵だとはいえ、かなりの訓練を積んだことは間違いないでしょう。
著者の見解
勝手ながら、自身の知識の範囲で歴史上最強剣士のTOP10を決めさせていただきました。
異論のある方もたくさんいらっしゃることと思います。
今回は、真剣勝負を数多く行ったという点で、宮本武蔵をトップに挙げましたが、本当の強さとは、孫子が言うように「戦わずして勝つ」ことなのかもしれません。
そういう意味では、本当にずば抜けて強いのに暗殺者から逃げ回っていた桂小五郎(かつらこごろう)や護身も含めて拳銃を使用していた坂本龍馬あたりを上位にすべきだったのかもしれませんが、最高剣士という意味から、自らの命をかけて戦った武蔵を1位とさせていただきました。
もちろん武蔵自身が憧れていたように武蔵の本当の目標は、軍勢を動かす軍師になることだったのかもしれませんが、ストイックすぎる剣を目指して生きる武蔵の姿は日本の侍史の中でも際立ったものではなかったかと考えています。
最後に敗れはしましたが、書籍などを見ると武蔵のライバル佐々木小次郎も非常に強かったようですのでランキングの中では7位に入れています。
一説には、小次郎が武蔵と闘ったとき、かなり年齢的にピークを過ぎていたとも言われています。
歴史に「もし」はありませんが、一番つよいときの小次郎であれば武蔵に勝利していたかもしれません。
参考文献
https://matome.naver.jp/odai/2146349545952221201
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4661
http://www.yagyu-shinkage-ryu.jp/wordpress/?page_id=715