元WBC世界バンダム級チャンピオンの辰吉丈一郎さん。
愛称は「浪速のジョー」で、現在もボクシングを続けていると言われています。
そんな辰吉丈一郎さんについて、調べてみました。
辰吉丈一郎の経歴
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辰吉丈一郎さんは、1970年5月5日に岡山県倉敷市で生まれました。
生後間もなく、両親が離婚し父親に男で一つで育てられました。
ボクシングファンであった父親に、幼少期からボクシングを仕込まれたそうです。
中学校卒業後に、当時の担任の勧めでプロボクサーを目指し、大阪帝拳ジムに入門しました。
アルバイトをしながら練習に明け暮れる
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辰吉丈一郎さんは、サウナ、立ち食いうどん屋、かまぼこ屋などでアルバイトをしながらボクシングに打ち込んでいました。
1987年、17歳の時に全日本社会人選手権バンダム級で優勝し、ソウルオリンピックの有力候補にもなりますが、体調不良により予選で敗退しました。
この後、一時的にジムを離れますが復帰し、プロに転向します。
この頃から辰吉丈一郎さんは注目の的になり、アマチュア通算成績は19戦18勝 (18KO・RSC) 1敗でした。
プロ4戦目で日本王者になる
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プロに転校した辰吉丈一郎さんは、順調に勝ち進み1990年9月11日、プロ4戦目で日本王座に初挑戦し、4ラウンドKOで、バンダム級日本王者に輝きました。
プロ4戦目での日本王座獲得は、最短記録という快挙でした。
プロ8戦目で世界チャンピオンに
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辰吉丈一郎さんはその後も快進撃を続け、1991年9月19日に世界戦に初挑戦しました。
当時のWBC世界バンタム級王者グレグ・リチャードソン選手(アメリカ)に挑みました。
アマ275戦、プロ33戦のキャリアを誇る王者に終始優位に試合を進め、10ラウンドTKO勝ちし、国内最短新記録(当時)となる8戦目で世界チャンピオンに輝きました。
左眼を手術後の初防衛戦で敗れる
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しかし、1991年12月、左目の異常を訴え、大阪市内の病院で検査。
「網膜裂孔」の診断を受け、そのまま入院・手術に至りました。
1992年9月17日、初防衛戦を行い、辰吉丈一郎の休養中にWBC世界バンタム級暫定王座に就いたビクトル・ラバナレス選手(メキシコ)と統一戦を戦いますが、9回TKOに敗れました。
世界チャンピオンからは陥落し、プロ初黒星を喫しました。
再び世界戦に挑み、チャンピオンに返り咲く
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辰吉丈一郎さんは1993年7月22日に、世界戦に再挑戦します。
当初、WBC世界バンタム級王者の辺丁一選手(韓国)に挑むことになっていましたが、辺丁一選手が5月の初防衛戦で左手を骨折し、試合が不可能な状態でした。
そのため、同級暫定王座決定戦としてとビクトル・ラバナレス選手と再戦することになりました。
フルラウンドにわたる死闘の末、僅差で判定勝ちし、世界チャンピオンに返り咲きを果たしました。
網膜剥離により引退危機に陥る
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その後、1993年11月25日に正規王者・辺丁一選手との統一戦が組まれました。
しかし9月に辰吉丈一郎さんが、再び左眼の異常を訴えました。
検査の結果、今度は網膜剥離が判明し、日本ボクシングコミッション (JBC) のルールにより試合ができない身とみなされ、暫定世界チャンピオンの座を返上し、引退危機に陥りました。
手術後に現役を続行し、暫定王者になる
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左眼の手術は無事に成功し、退院後、現役続行の意思を表明しました。
その結果、1994年7月2日には復帰戦が行われました。
相手のホセフィノ・スアレス選手(メキシコ)に3ラウンドKOで勝利しました。
この結果、WBCから返上していた暫定王座を再び与えられ、JBCも特例として、辰吉丈一郎さんの現役続行を許可しました。
薬師寺保栄に敗れ、再び引退危機に陥る
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現役続行を認められら辰吉丈一郎さんは、194年12月4日にWBC世界バンタム級正規王者の薬師寺保栄選手との試合に挑みました。
この試合は、かなりの注目を集め、フルラウンドにわたる死闘の末、辰吉丈一郎さんは12回判定負けを喫し暫定王座から陥落しました。
現役続行の条件として「統一戦に敗れた場合は即座に引退」という条件が掲げられていたため、辰吉丈一郎さんは、再度引退の危機に陥ってしまいます。
引退を拒否し、現役続行
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しかし、辰吉丈一郎さんはここでも引退を拒否しました。
1995年、アメリカでノンタイトル戦2試合を強行。遂にはJBCも折れ、辰吉丈一郎さんが世界戦に限り国内で試合を行うことを認めました。
5度目の世界戦で、3年ぶりに世界チャンピオンに返り咲く
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1996年11月22日に、辰吉丈一郎さんは通算5度目の世界戦に挑戦しました。
WBC世界バンダム級王者のシリモンコン・ナコントンパークビュー選手(タイ)に挑みますが、劣勢に立たされます。
しかし、ダウンを奪い、辛くも立ち上がった王者を連打で追撃し、レフェリーストップにより勝利。
辰吉丈一郎さんは、約3年ぶりの世界王座返り咲きを果たしました。
その後、2度の王座防衛も成功させます。
世界チャンピオンから陥落し、引退を表明
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1998年12月29日、3度目の防衛戦で辰吉丈一郎さんは6ラウンドKO負けを喫し、世界チャンピオンから陥落。
1999年8月29日に挑戦者として世界戦に挑みますが、7ラウンドTKO負けを喫しました。
試合後に辰吉丈一郎さんは、「普通のお父っつあんに戻ります」と現役引退を表明しました。
辰吉丈一郎 全KO集 14試合
現在も辰吉丈一郎は現役選手
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実は辰吉丈一郎さんですが、現役への想いが強まったことから、後に1999年の引退を撤回します。
しかし、復帰までに3年以上を要しました。
2008年には引退選手扱いになり、国内で試合が出来なくなる
辰吉丈一郎さんは、現役に強いこだわりを見せていますが、試合が出来ない状態が続きました。
2008年9月26日に、直近の試合から5年が経過しました。
そのため、JBCの規定により「引退選手」扱いとなり、国内では試合を行うことができなくなりました。
しかし、辰吉丈一郎さん本人は、「海外に渡ってでも試合をする」とあくまで現役続行にこだわっています。
辰吉丈一郎は悪あがきをしているのか?
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「世界チャンピオンのまま引退する」というのが辰吉丈一郎さんのこだわりです。
その為に、現役を続けることにこだわっているのでしょうか?
しかし、ライセンスははく奪されている為、国内では試合が出来ません。
2009年3月にタイでの試合以降、リングには上がっておらず、それ以降は無収入の状態が続いているそうです。
悪あがきをしているのか、世界チャンピオンに返り咲くことを本気で考えているのかは分かりませんが、辰吉丈一郎さんが「ボクシング界のカリスマ」であったことは間違いありません。
個人的には、指導者になって世界チャンピオンを育るのもありなのかと思います。