昭和後期から平成前半にかけて相撲界に君臨した大横綱と言えば千代の富士関ですよね!
小柄で引き締まった体型でありながら大きな力士を投げ飛ばす姿にファンは熱狂しました。
今回は名横綱・千代の富士関を偲びつつ功績などについて振り返って行こうと思います!
千代の富士関のプロフィール
出典:sankei.com
千代の富士(ちよのふじ)関は1955年6月1日に北海道の松前郡福島町で生まれました。
本名は秋元 貢(あきもと みつぐ)さんと言い、小さな頃は家業の漁業を手伝っていた事で足腰が鍛えられたらしく、中学時代には陸上競技で地区大会で優勝するほどの実力でした!
中学1年の時に盲腸炎を発症させて手術を受けますが、その際に腹部の筋肉の厚さに医師が手こずり、手術終了直前に麻酔が切れるハプニングがありました。
苦痛を耐え続ける姿に感銘を受けた病院長が九重(千代の山)に連絡し相撲への道を斡旋しますが、元々相撲が嫌いだったらしく両親も入門に反対したため話は立ち消えになりました。
諦めきれない九重親方は秋元さんに「とりあえず東京に行こう。入門するなら飛行機に乗られるよ」と持ちかけ、当時は珍しかった飛行機をご褒美としてチラつかせ勧誘に成功しました(笑)
当時のスカウトでは金銭や物で誠意を示すのが一般的な時代だったのです。
名力士として各界に名を残す
1970年9月場所で「秋元」として初土俵を踏み、1971年1月場所で「千代の冨士」に改名。
四股名の由来は九重部屋の名である”千代”と、同じ部屋の先輩であり大横綱の”北の富士”にあやかって命名され、周囲や千代の山からの期待の大きさを伺う事が出来ますね!
1980年9月:小結に昇進1980年11月:関脇昇進
1980年1月:大関昇進
1981年9月:横綱昇進
千代の富士関と言えば入門して一気に出世したイメージがありますが、入門からしばらくは体格の小ささや怪我もあって十両あたりをウロウロしていたのです。
1980年頃から一気に才能が開花して出世街道を突き進む事になりました!
体力と気力の限界から引退を決意
出典:大相撲取組結果一行メモ
1990年11月場所で31回目の優勝を飾り、翌年の初場所で幕内通算勝利数で大鵬を抜いて第1位の記録になりました(※現在の通算記録は1位白鵬・2位魁皇に次ぐ3位)
3月場所を怪我で休み、復帰した5月場所の初日に若手の貴花田(後の貴乃花)に敗れ、立ち直る事なく初日から3連敗を重ねて緊急会見を開いて引退を発表しました。
体力の限界・・・気力もなくなり、引退することになりました
その後のインタビューで貴花田について言及していました。
最後に貴花田と当たってね、若い、強い芽が出てきたなと、そろそろ潮時だなと
結果として、千代の富士から貴花田へ時代をバトンタッチする形になりました。
現役引退から晩年の千代の富士
出典:ココログ
35歳で現役を引退した千代の富士関は九重部屋を継承して後進の育成をしつつ、相撲協会の役員だけでなく将来の理事長としての働きを期待される存在になっていました。
プライベートでは娘・梢(こずえ)さんとのツーショットでも話題になっていました!
相撲協会の役員として
引退後は九重部屋を継承し相撲協会の審判部副部長に就任しました。
その後は理事に当選し広報部長・指導普及部長としてだけでなく、NHKの相撲中継で解説をするなど活発に行動し、若手力士と共に相撲界の改革に動き出しました。
しかし、その動きに反発する勢力も多く存在しており、国民的人気がありながらも役職の出世は遅く、2014年の理事選挙では5票(最下位)しか獲得できず唯一の落選となりました。
相撲界ならではの「一門重用主義」が千代の富士関の道を閉ざすことになり、最近で言えば元・貴乃花親方と同じ様な立場に追いやられる格好になりました。
4人の子供の父親として
出典:News Labo
千代の富士関は1982年に飲食店に勤務されていた久美子さんと結婚していました。
それから2人の間には4人の子供が生まれて、現在は各分野で活躍しているそうです。
長男の剛(つよし)さん:DJやモデルとしてアパレル関係でも活躍(画像左から2番目)
長女の優(ゆう)さん:DJやショップスタッフとして活躍(画像中央)
次女の梢(こずえ)さん:モデルや松田翔太さんの妻としても有名(画像左端)
1989年2月に誕生した三女の愛(あい)さんは生後4か月で不幸にも亡くなってしまいました。
死因はSIDS (乳幼児突然死症候群)だったらしく、現役が続けられないのでは?と周囲に心配されるものの、持ち前の精神力の強さで出場して優勝をしていました!
出典:フレンディア
特に梢さんはモデルとしてテレビに出演していた事もあり頻繁に共演していました。
梢さんは小さい頃から「力士とは絶対に付き合いたくない」と語っており、その思いを強く持っていたらしく俳優の松田翔太さんと入籍していました(笑)
61歳の若さで病没
2015年6月の定期検診で膵臓(すいぞう)ガンが見つかったので手術を受けました。
約1か月入院治療をして9月場所で復帰して回復ぶりにファンや関係者も胸をなでおろしますが、2016年に入ってガンが再発しただけでなく胃や肺などに転移していました。
ガン再発後の千代の富士関は急激にやせ細って行き周囲を驚かせました。
7月場所3日目(7月13日)に「きついなあ、きついよ」と机に伏せている姿が見られたそうです。
麻酔が切れた手術を根性で乗り切った千代の富士関がそこまで苦しむのは相当だと思いますし、症状の重さから翌日から東京に戻って入院生活に入りました。
7月31日に東京大学医学部附属病院にて膵臓(すいぞう)ガンのため61歳で亡くなりました。
志半ばで病に倒れ無念だと思いますが、小さな大横綱としての輝かしい功績は不滅です!