平成を代表する野球選手といっても過言ではない松井秀喜さん。
日米通算507本の本塁打を記録し、日本のプロ野球、米:メジャーリーグでも活躍されました。
そんな松井秀喜さんの経歴、実績や現在についてまとめてみました。
松井秀喜は子供のころから凄かった!
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松井秀喜さんは、1974年6月12日に石川県能美市で生まれました。
小学校1年生の時に地元の野球チームに入団し野球を始めますが、監督の指示が理解できなかったことから、一時的に野球を辞めてしまいます。
しかし、野球をやっていた兄の影響で、小学5年生の時に再び野球チームに入団し、本格的に野球を始めました。
中学入学時には、身長170㎝、体重95㎏と立派な体格をしていました。
中学校時代には野球部に所属し、通算打率は6割を超え、3試合連続本塁打を放ったこともあり、打球の飛距離は最大130mにも達しました。
甲子園では5打席連続敬遠を受ける
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松井秀喜さんは、中学卒業後は名門:星稜高校に進学しました。
1年生から4番を務め、「北陸の怪童」とも呼ばれていました。
高校3年生の時に出場した春の甲子園では、1回戦で2打席連続本塁打、1試合7打点と当時の大会記録をマークしましたが、チームは準々決勝で敗退しました。
この年の夏の甲子園にも出場したが、2回戦の明徳義塾戦で、チームは敗退。
この試合で松井秀喜さんは、相手チームから5打席連続敬遠を受け、当時の社会問題にまで発展しました。
高校時代は、打率450、本塁打60本という驚異的な成績を残しています。
1992年8月16日 甲子園 松井秀喜 5打席連続敬遠
巨人に入団し、プロ野球選手になる
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松井秀喜さんは、1992年11月21日に行われたプロ野球ドラフト会議で、4球団から1位指名を受けました。
抽選の結果、交渉権を獲得した巨人に入団しました。
- 巨人入団時の契約金は1億2000万円、年俸720万円
- 背番号は「55」
- 愛称は「ゴジラ」
当時の松井秀喜さんの希望球団は阪神タイガーズでしたが、13シーズンぶりに復帰した当時の長嶋茂雄監督から、直接電話を受け巨人入りを決めたと言われています。
巨人の4番として活躍
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松井秀喜さんですが、プロの投手の速球の苦しみ、1年目は三振と凡打の山を築いてしまいます。
しかし、2年目の1994年にブレイク。
20本塁打を記録し、チームも日本一に輝きました。
当時の巨人には、落合博満選手、清原和博選手などの4番打者がいたため、松井秀喜さんが本格的に4番を務めたのは、2000年以降になります。
2000年以降からは、米:メジャーリーグに移籍するまで他の打者に4番を譲ることはありませんでした。
2000年シーズンは、「打率316、42本塁打、108打点」をマークし、本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVP、日本シリーズMVP、ゴールデングラブ賞とタイトルを総なめにし、巨人の日本一に大きく貢献しました。
2002年シーズンには、史上8人目のシーズン50本塁打を達成し三冠王目前でしたが、終盤に調子を落とし、首位打者争いに破れ、惜しくも三冠王を逃してしまいました。
この年は、打率、本塁打、出塁率では自己最高の成績を残し、タイトルは、本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVPを獲得しています。
活躍の場をメジャーリーグに移す
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松井秀喜さんは2003年シーズンから、巨人から米:メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースに移籍しました。
当初の契約金は、総額2100万ドル(当時約25億4100万円)の3年契約でした。
ヤンキースではワールドシリーズMVPを獲得
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2003年シーズンにはオールスターに選ばれ、ワールドシリーズでは日本人初の本塁打を放ちました。
この年の本塁打は16本に終わってしまいますが、得点圏打率はチーム最高の.335、打点もチーム2位の106打点を記録し、勝負強さを見せています。
その後もヤンキースの中心選手として活躍し、2009年に出場したワールドシリーズでは、タイ記録となる1試合6打点をマーク。
ワールドシリーズでMVPを獲得し、ヤンキースの9年ぶりの世界一に貢献しました。
松井秀喜さんは日本人で初めて、「日本シリーズMVPとワールドシリーズMVPを共に受賞した初の選手」になりました。
チームを転々とし、引退
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ヤンキースとの契約満了後の2010年以降は、エンゼルス、アスレチックス、レイズとチームを転々としています。
2012年12月27日に松井秀喜さんは、ニューヨーク市内のホテルで緊急記者会見を開き、2012年シーズン限りで引退することを明らかにしました。
引退の理由としては、「命がけでプレーし、メジャーで力を発揮するという気持ちで10年間やってきたが結果が出なくなった」と語っています。
松井秀喜の引退に国内外で惜しむ声続出
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松井秀喜さんの引退に国内外で話題になり、惜しむ声が相次ぎました。
松井秀喜さんの恩師である巨人の長嶋茂雄元監督は「現代で最高のホームランバッター」と賛辞を送り、菅義偉官房長官、岸田文雄外務大臣など政府関係者からもコメントが寄せられました。
また松井秀喜さんと、ヤンキースでチームメイトだったデレク・ジーター氏は「ヒデキは特別な存在」と惜別の言葉を贈りました。
ヤンキースのオーナーや、ヤンキース時代の監督のジョー・トリ―氏もコメントを寄せています。
現在は何をしているの?
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松井秀喜さんは、日米通算507本の本塁打を記録しています
そんな松井秀喜さんですが、現在は何をしているのでしょうか?
現在の肩書はヤンキースの特別GMアドバイザー
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松井秀喜さんは、2015年からヤンキースの特別GMアドバイザーとして活動しています。
就任の記者会見では、「ヤンキースでは素晴らしい時間を過ごした。今度は若い選手の力になれるように頑張っていきたい。僕にとっても大きなチャレンジ」と話しています。
国民栄誉賞を受賞し、巨人の臨時コーチも務めた
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2013年には、巨人時代の恩師である長嶋茂雄さんと共に、国民栄誉賞を受賞しました。
また、2014年には古巣である巨人の春季キャンプで臨時コーチも務めています。
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