村主章枝(フィギュアスケート)の現在。引退後はヌード写真集も発売・・そして最近は?

村主章枝の生い立ちや妹との関係

出典:村主章枝さんのインスタグラム(画面右が本人)

村主章枝さんは 1980年12月31日、千葉県千葉市生まれで育ちは横浜市でした。

父親は日本航空国際線パイロットで母親は客室乗務員だった事もあり、3歳から5歳までの間をアメリカのアラスカ州アンカレッジで過ごしました。

アラスカ州は寒冷地でウィンタースポーツが盛んな地であり、村主さんも自然とスケートやスキーに親しみを覚え、結果としてフィギュアスケートを始めるきっかけとなったようです。

日本に帰国後は鎌倉市にある清泉女学院(小学校・中学校・高等学校)に属し、卒業後は早稲田大学教育学部へ入学後は本格的にフィギュアスケート選手として活躍しました。

妹・千香との関係

出典:所属事務所「TLAROCK」HP

千香さんは村主さんの3歳年下の妹であり同じフィギュアスケート選手でした。

村主さんは千香さんと大変仲が良く、競技後の「キス・アンド・クライ」でテレビカメラを向けられた際には毎回“Chika, I love you!”と呼びかけていました。

千香さんはオリンピックに出場する事は出来ませんでしたが、2006年の引退後も愛らしい容姿と表現力でプロスケーターや競技解説者として現在も人気を集めています。

2012年7月に同い年の一般男性と結婚し、翌年10月に第1子となる男の子を出産しました。

 

競技者としての村主章枝の足跡

出典:mantan-web

村主さんは6歳から本格的にスケートを始め、小学6年生の時に「全日本ジュニア選手権」に初出場して19位と言う結果を残しました。

中学1年生で国際大会「ガルデナスプリング杯」で世界デビューし、初海外ながらも7位入賞と言う好成績を残して次世代を担う存在として注目され始めます。

中学3年生の時に4度目の「全日本ジュニア選手権」で2位となり初の表彰台に上がり、日本代表として世界ジュニア選手権で初出場ながら4位に入賞して周囲を驚かせました!

その後ジュニアからシニアデビューし、2度目の挑戦で「全日本選手権」を制覇(高校1年生)して女王に輝くも、長野オリンピックの出場枠が掛かる「世界選手権」ではジャンプミスが響いて総合18位に終わり、日本女子代表枠は最小の1名となってしまいました。

この事が結果として村主さん本人をオリンピックから遠ざけてしまう原因になってしまいました。

オリンピック出場や荒川静香との戦い

出典:毎日新聞

1歳年下の荒川静香さんと村主さんは国際大会の代表権を巡る良きライバルだったそうです。

1997-1998にかけては長野オリンピック出場枠(1つ)や世界選手権代表を巡って戦いますが、結果として荒川さんに敗れてオリンピックへの出場は叶いませんでした。

その後、早稲田大学に進んで名コーチと評判の佐藤信夫氏の指導を受けるようになりました。

20歳を過ぎた頃から佐藤コーチとの相性や精神的成長が上手く作用して、今まで多く見られていた「好不調の波」が少なくなり、安定した成績を残すようになりました。

2000~2001シーズン:全日本選手権優勝(2)・四大陸選手権初優勝

2001~2002シーズン:荒川を破り全日本選手権優勝(3)・ソルトレイクシティ五輪5位

2002~2003シーズン:全日本選手権優勝(4)・四大陸選手権優勝(2)・世界選手権銅メダル

2003~2004シーズン:NHK杯優勝・GPファイナル優勝(日本人初)

2004年4月にダイナシティと所属契約を結び練習拠点をアメリカ・シカゴに移しますが、この頃から怪我が目立ち始め、挙句シカゴでコーチから満足な指導を受けられなかったため日本に帰国。

再び佐野コーチとコンビを組み四大陸選手権で3度目の優勝を果たしました。

2005~2006のオリンピックシーズンでは五輪最終選考会の「全日本選手権」を優勝(3年ぶり5度目)し、選考ポイント最下位からの大逆転でトリノ五輪出場を果たしました。

トリノ五輪では日本選手団の副将を任され、相当の決意を持って本番に挑みましたが、あと一歩及ばず4位に終わり、金メダルはライバルの荒川選手が獲得しました。

荒川選手が獲得した金メダルは日本勢がトリノ五輪で獲得した唯一の金メダルだった事もあり、世間の注目は一気に荒川選手に注がれました。

度重なる怪我と成績低迷からの決断

トリノ五輪以降は度重なる怪我だけでなく、毎年の様に練習拠点やコーチを替える悪循環に入り、2008~2009シーズンの「全日本選手権」2位と「四大陸選手権」6位が最後の表彰台と日本代表の成績となりました。

この後も国内外の大会で表彰台に上る事は無く、晩年には何度も制覇した「全日本選手権」に出場すらできなくなりました。

バンクーバー・ソチと2連続でオリンピック出場を逃した事もあり、2014年11月13日に会見を開き引退を表明しました。

 

現在の村主章枝は芸能界や振付師として活動

出典:村主章枝さんのインスタグラム

村主さんは現役引退した後は芸能界に属し、フィギュアスケートについての番組にゲスト出演したり解説などで人気を博していました。

また、ツイッターやインスタグラムなどで私生活について公開して話題を呼んでいました。

引退後はヌード写真集も発売

村主章枝 引退後はヌード写真集も発売

出典元:こちら

現役引退後は週刊誌などでヌードグラビアに挑戦して話題を集め、2017年2月15日にヌード写真集「月光」を発売した際には”脱ぐ事に抵抗はない、スケートも衣装一枚なのであまり変わらない”と発言し周囲を驚かせました。

現在「振付師」に

現在は引退会見で語っていた「振付師」になるためにカナダのトロントへ移住し、日本とトロントを交互に3週間ずつ生活するなど多忙な日々を過ごしているようです。

すでにフィギュアスケートのシーズンが始まっていますが、近いうちに「振付師・村主章枝」としてお目に掛る日も遠くないと思いました!