角界のレジェンドと呼ばれた旭天鵬
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旭天鵬と言えば、史上最高齢での幕内優勝で有名ですね。(37歳8か月)
出身はご存知の通りモンゴル。
日本に帰化していて、日本での名前は太田 勝(まさる)といいます。
なぜレジェンドと呼ばれたかというと、30代後半で幕内力士として活躍できていたことから。
普通はそのくらいの歳になると足腰が弱り、体がついていけなくなります。
特に相撲は厳しいけいこで有名。練習中にケガをすることも普通ですので、37歳で優勝し40歳にして白星を上げたことは奇跡に近いそうです。
昭和以降で初めての40代で三賞受賞、さらに二ケタ勝利も史上初の快挙。
引退する年は3勝12敗と大きく負け越して、逆にそれが引退を決意するきっかけになりましたが、通算成績は927勝944敗22休。
大相撲を生で見たことがある人は、力士が1試合に命がけで臨むのをよくわかると思います。
そんな中で40歳を過ぎても戦い続けた旭天鵬。
モンゴルが生んだ日本の伝説と言われるのもわかりますね。国籍は現在は日本人ですが。
旭天鵬の驚きのエピソード
とても賢いそうです。
モンゴルから来日した際は日本語が全然しゃべれませんでしたが、すぐに日本語を勉強して通訳がつかなくなったスピードはモンゴル人の中でもかなり早かったそう。
奥さんも仲良くなるまで日本人かと思っていたらしく、それくらい流ちょうに日本語を話していて、しかも外国人には珍しいほど短期間でマスターしたみたいです。
モンゴル人力士の間で、「モンゴル語をしゃべったら罰金!」という罰ゲームをして、それで貯まったお金でみんなで食事などによく行ったそうですが、そういう遊び心が大切なのかもしれません。
また、自身が優勝をした際には、
「日本人が優勝する機会をよくも潰したな!」
という内容の手紙が届いたそうですが、全然気にすることはなく、そんな手紙を出すなんて凄いなと感心したそうです。
本当にお相撲さんらしくどっしりとした性格のようです。
また、親方になるために日本国籍を取ったそうですので、将来設計がしっかりできている真面目な一面も持ち合わせています。
引退後、すぐに親方になった旭天鵬
引退時に親方になることは決まっていました。
大島部屋に所属していましたが、2代目の大島親方が引退したため部屋が閉鎖されてしまいました。そして、2012年に友綱部屋へと移りましたが、引退後は大島親方を襲名し、そのまま親方になりました。
部屋の女将となる奥さんとは現役時代に出会っています。
引退する年にモンゴルで結婚式を挙げましたが、子宝にも恵まれていて、旭天鵬もイケメンだったし奥さんも美人だったので、子供も整った顔立ちをしているそうです。
また、白鵬とも同郷ということもあり仲良しで、家族ぐるみの付き合い。
親方として、今なお現役の横綱・白鵬と女将となる奥さんがいて、良い力士を育てられる環境にありそうですね。
旭天鵬の現在は親方よりも・・・
引退後、大島部屋の親方になった旭天鵬ですが、本人のツイッターを見てみると相撲関係の仕事をしているというイメージが強いですね。
一度は閉鎖されてしまった部屋ですが、弟子を毎日のように指導しているような感じはありません。
子供の相撲大会に顔を出したり、解説などをしています。
本人も親方の仕事よりもそっちの普及活動の方が楽しんでいる様子。
性格のとても良いお相撲さんだったので知り合いも多いし、相撲好きじゃなくても旭天鵬という名前を知っているくらいですからイベントには呼ばれやすいのでしょう。
角界のレジェンドと呼ばれるほどの大物ですので、いろんな相撲関連のイベントに引っ張りだこの現在。
これからもケガの少ない勝てる相撲を指導して、モンゴルと日本の相撲のために頑張っていって欲しいです。