浜田省吾 人気絶頂からうつ病へ、そして復帰
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時代は昭和から平成へ。人気を絶対的なものにした浜田省吾
一年後の1990年6月21日に久々のアルバム「誰がために鐘は鳴る」を発売します。
しかし作風はそれまでのロックを基調にしたものではなく、すこしモノトーンな感じのするダークな内容になりました。このことから歌手を引退するのではという噂が立ったそうです。
しかしその噂とは裏腹にアルバム発売と共に久々となるツアーを開催。2年間でホールとアリーナツアー合わせて109公演というコンサートをこなします。
ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌『悲しみは雪のように』
1992年2月から始まったフジテレビ系テレビドラマ「愛という名のもとに」の主題歌として「悲しみは雪のように」が抜擢され、オリコン・シングルチャートでは初の第1位を獲得します。
売上170万枚のビッグセールスとなり、ついに「浜田」さんの時代がやってきたのでした。
こちらは「悲しみは雪のように」のライブ映像です。
しかし、実はこの時期に「浜田」さんはうつ状態となっていました。
いままでの母親の大病や父親の死なども重なり、心身ともにぎりぎりの場所で戦っていたようです。そのためメディアへの出演は全くできない状態でした。この時の思いとして「このまま音楽人生を終わらせてもいいかなと思った」と後に語っていました。
うつからの復帰。よりたくましく
うつから立ち直り、1993年9月にオリジナル・アルバム「その永遠の一秒に 〜The Moment Of The Moment〜』を発表します。シンセサイザーを取り入れた全く新しい音楽性を示す一方で歌詞では前のアルバム『誰がために鐘は鳴る」で見せた世界がまだ続いていました。
徐々に心身に生気が戻り始めた1996年には2月29日、映像作品「ROAD OUT “MOVIE”」、アルバム「青空の扉 〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜」、アリーナツアーを挟んでの1997年1月22日には1970年代の楽曲のセルフカバー・アルバム「初夏の頃 〜IN EARLY SUMMER〜」を発売し、怒涛のリリースラッシュを迎えます。
こちらは「PAIN」という楽曲のライブ映像です。
この時には作品内には暗さがなく、ポップで明るい楽曲が多く収録されていました。
同年の10月22日には「吉田拓郎」さんの生誕50年を祝って拓郎のデビュー曲「イメージの詩」をカバーするなど、精力的に活動を続けました。
新たな挑戦を開始
この頃からコンサート・ツアーの在り方について疑問を抱き始めた「浜田省吾」さん。
原点を見つめなおすということから1998年4月10日から20世紀から21世紀を跨ぐという壮大な構想のライブツアー「ON THE ROAD 2001」をスタートさせます。
ホール、ライブハウス、アリーナ、野外といった様々な場所での公演を織り交ぜてライブは行われました。4年間に及ぶ世紀を跨いだロングツアーは計198公演で、延べ60万人を動員するものになりました。
47都道府県のすべてでコンサートを実施。まだ未踏の地であった奄美大島などの初となる会場へも足を運び、自身の音楽に対するスタンスをストイックに向き合った時間でありました。
ロングツアーの中で面白い出来事、そして悲運な出来事にも遭遇
こちらは「もうひとつの土曜日」のライブ映像です。
4年ともなるとやはり様々な出来事に遭いました。
1999年の夏に北海道の「キロロリゾート」で行った野外コンサート「ON THE ROAD 2001 LET SUMMER ROCK ’99 “SUNSHINE PICNIC&MOONLIGHT DANCING”」。
このライブに向かうメンバーとスタッフを載せた飛行機ANA61便がハイジャックされるという事件に遭遇。
浜田さん自身は前日に北海道入りしていて無事でしたがこの事件で犠牲となった機長へ公演中に黙祷が捧げられました。
2000年の奄美大島の名瀬市でのコンサートでは、地元新聞である「南海日日新聞」の中ではこのように掲載されたそうです。
「久々の大物歌手が名瀬で公演するチケットの売出し日、(中略)全盛期を過ぎても、まさかここまで根強い人気があるとは」
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この内容はライブ当日のネタにされ、「俺はこれからが全盛期だと思ってるんだよ!」と笑いながら語ったそうです。後日、同紙に『あの一言は撤回します。素晴らしいコンサートでした』との記事が掲載されました。
同年の黒磯でのコンサートでは開始2曲目でふくらはぎが肉離れしてしまうアクシデントに遭遇します。コンサートはやり遂げましたがその後の四日市市文化会館、名古屋国際会議場は振替公演となりました。
この出来事は当時ワイドショーでも話題になったそうですが、けがをしたことよりもニュース映像が昔のもので、BGMが20年前のヒット曲「風を感じて」が流れていたことにショックを受けたそうです。
浜田省吾 デビュー25周年
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21世紀になり、デビュー25周年を迎えた浜田省吾
2000年にはデビュー25周年を迎えた「浜田省吾」さん。
11月8日に記念として初のベストアルバムとなる「The History of Shogo Hamada “Since1975″」を発表しました。チャートでは1位を獲得し、120万枚の大ヒットとなりました。
まさかの冠番組⁉
翌年の2001年にはNHKの地上波、BS、BS-hiで「THE SHOGO MUST GO ON」という自身の音楽活動を広く紹介する番組が放映されました。
制作の段階から「浜田」さん自身が参加し、20年振りのテレビ出演としても話題となる。内容では浜田さんと俳優・ミュージシャンの「陣内孝則」さんがコントを披露したりとかなり攻めた内容でした。
その時のインタビュー音源がこちら。
実は浜田さんはコンサートのMCが饒舌であることが知られています。
メディアに出ないので意外さがあるとおもいます。必ず開催地の感想や思い出を語り、ファンへ感謝の気持ちを伝えているそうです。
関西のコンサートでは笑いを取ろうとするそうですが、気づかない時に自分で「今の笑うとこなんだけど…」と言ってしまうそうです。
4年間のツアーが終わり、2002年1月には特別公演として20年振りに日本武道館でライブを行いました。その後は表立った活動がない状態となります。
しばらくの沈黙の後にアッと驚く形で復帰
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しばらくの休養期間を経て、活動を開始した浜田省吾さん。
その復帰策がなんと2003年3月に本人を題材とした異色作のゲームソフト「OVER THE MONOCHROME RAINBOW featuring SHOGO HAMADA」が発売でした。「浜田」さんも本人役で声優として出演しています。
同年11月1日〜12月27日にはコンサート形式でかつツアー型としては初のファンクラブイベント「official fan club special event 100% FAN FUN FAN 2003」を開催しました。
音楽の幅はより広がっていく
2004年からは「春嵐」こと小説家の「小川糸」さん、アレンジャーの「水谷公生」さんと結成したユニット「Fairlife」にメンバーとして参加し、活動を開始します。
「Fairlife」で「浜田」さんがボーカルを取った「てがみ」の音源です。
ボーカルに「ポルノグラフィティ」の「岡野昭仁」さんや「プリンセス・プリンセス」の「岸谷香」さんなどの豪華なメンツを迎え、楽曲を作成しました。シングル「永遠のともだち」、アルバム『Have a nice life』を発売します。
翌年の2005年7月に4年振りのアルバム「My First Love」を発表し、その後、「Mr.Children」の「桜井和寿」さんや音楽プロデューサーの「小林武史」さんらが主催する「ap bank fes ’05」に最終日の大トリとして出演。9月から全国アリーナツアー「ON THE ROAD 2005 “MY FIRST LOVE”」を開催し、大盛況を収めました。
浜田省吾 デビュー30周年
デビュー30周年から大災害を受けて尽力する浜田省吾
2006年にはソロデビューして30周年の節目を迎えた「浜田省吾」さん。
記念として9月に2枚のベストアルバム「The Best of Shogo Hamada vol.1」、「vol.2」を同時リリースし、ライブツアー「ON THE ROAD 2006-2007 “MY FIRST LOVE IS ROCK’N’ROLL”」をスタートさせました。
ソロデビュー30周年ということもあり、何か大きなイベントの開催も検討したとのことですが、原点に帰って全国のホールでの演奏をすることにしたそうです。53ヶ所83公演を行い、奈良県を除く全国46都道府県のホールを回りました。
ツアーの合間を縫って制作された2007年3月7日には「Fairlife」として2ndアルバム『パンと羊とラブレター』を発表する。
30周年ツアーの中から「MONEY]のライブ映像です。
「アラフォー・チルドレン」からの支持でダウンロード1位!?
翌年2008年4月に6年振りとなるライブDVD「ON THE ROAD 2005-2007 “My First Love”」をリリースし、同年9月から着うたフルの配信を開始しました。
その際に親世代の影響で聴き始めたと思われるアラフォー世代の子供たち、いわゆる「アラフォー・チルドレン」(10代後半から20代前半)に支持され、ダウンロード・チャートで上位に食い込むという珍しい現象が起きました。
現在までに配信されている着うたフル(R)は、「悲しみは雪のように」「もうひとつの土曜日」「J.BOY」などの、浜田の代表曲も多く含まれている。そのためか、今まで浜田省吾を聴いてこなかったユーザーや、親世代の影響で聴き始めたと思われる“アラフォー世代の子供達”にも支持され、ダウンロード・チャートで上位に食い込む現象が起きているという。
新譜のリリースやライヴなど、表立った活動が無いなかで、月間の累計ダウンロード数は10万DLを突破。着うたフル(R)配信サイト「音楽をモーラ」ではアーティスト別月間ダウンロード・ランキングで1位を獲得している。
ネットでのBBSや掲示板などの書き込みによると、「歌詞の魅力に気付いた」という10代の意見が多く見られ、若い世代にも浜田省吾の歌詞が支持されているようだ。
この内容の裏付けとしてコンサートでは、お客さんの年齢層を確かめる「年代別チェック」が恒例になっているそうです。その際チェックした時には10代の比率が増えてきていたとのこと。実際は30代と40代の客が圧倒的に多いという結果が出ました。
この内容をうけて、浜田さんは10歳未満の子供をコンサート会場に連れてきた方に、
「胎教のときから聞かせてたんでしょ?
生まれたときにサングラスかけてなかった?」
と冗談をいうこともあったそうです。
2009年になってからもファンクラブイベント「Officail Fan Club Presents “100% FAN FUN FAN” featuring Katz Hoshi 2009年春の音楽会「春来たりなば夏遠からじ…」」を15公演開催したり、7月には神奈川県横浜市の「赤レンガ倉庫」にて展覧会「浜田島」が開催するなど精力的に活動していきます。
東日本大震災。復興へ力を…
約3年半ぶりのアリーナツアーを2011年4月から約5年半ぶりに「ON THE ROAD 2011 “The Last Weekend”」を開催しました。実際は12都市全34公演の日程だったですが、ツアー直前の3月11日に東日本大震災が発生。
復興の支援として「神戸ワールド記念ホール」での公演を追加、翌年の2012年5月19日・20日、東日本大震災の影響で延期されていた「宮城セキスイハイムスーパーアリーナ」での公演を開催しました。
宮城公演の後にも「ON THE ROAD SPECIAL “The Last Weekend”」と題し、東日本大震災の2回目の復興支援コンサートをさいたまスーパーアリーナにて6月2日・3日の2日間に亘って行いました。8月10日から「YouTube公式チャンネル」も開設し、過去のプロモーションビデオやライブ映像などの配信をスタートさせます。
「YouTube公式チャンネル」から「I am a father」の動画になります。
10月1日付のオリコン総合DVDランキングで「ON THE ROAD 2011 “The Last Weekend”」が初登場1位を獲得し、59歳9ヶ月での「最年長音楽DVD総合首位獲得記録」を樹立した。
『ROAD OUT “MOVIE”』以来、16年7ヶ月ぶりの映像作品首位となりました。
2013年に入ってからはファンクラブ創立30周年を記念したファンクラブイベント「Shogo Hamada Official Fan Club Presents “100% FAN FUN FAN” On The Avenue 2013 「曇り時々雨のち晴れ」」を開催。
同年7月28日には、NHK-BSプレミアムで特別番組「浜田省吾ライブスペシャル〜僕と彼女と週末に〜」が放映されました。
2001年のNHK特番への出演以来、12年ぶりのテレビ出演となり、番組内では「浜田」さんがクマの着ぐるみを着るというとてもレアな映像が放映されました。
福祉や復興活動などにも力を入れている
前述した東日本大震災のための活動から見て取れるように浜田省吾さんは社会福祉や復興に対しての活動を積極的に行っています。
1995年に発生した阪神・淡路大震災の際には復興を願い、「浜田省吾 with THE R&S INSPIRATIONS」名義でシングル「我が心のマリア」を発表しました。その印税収入を全額寄付しています。このシングルは事務所の後輩である「スピッツ」さんなどと共に制作されました。
1998年からはそれまでのチャリティー活動の経験から、有志と共に「J.S.Foundation」という基金を設立。毎回コンサート会場の受付で募金を行うようになりました。
最新作の「Love Train」のライブ映像になります。
東日本大震災発生時には復興支援コンサート1回目を神戸ワールド記念ホールで開催。そのチケットとグッズの売上の収益(約2,100万円)は南相馬市の幼児施設除染の義援金として寄付された。2回目のさいたまスーパーアリーナでのコンサートでもチケットとグッズの売上の収益(約1億2,200万円)は復興支援金として寄付しました。
2013年のファンクラブイベント「Shogo Hamada Official Fan Club Presents “100% FAN FUN FAN” On The Avenue 2013 「曇り時々雨のち晴れ」」では4公演をチャリティーイベントとして実施。
「SHOGO HAMADA ON THE AVENUE 2013 specialチャリティーライブ For 東日本震災復興支援 & 海外人道支援プロジェクト」と題して、東日本大震災と海外人道支援という名目で開催されました。