2000年前後に同世代の心情を歌った青春ソングで人気を獲得したデュオと言えばジューク(19)です。
とても印象的な曲を残しましたが、瞬く間に消えてしまったので気にしている方も多いと思います。
今回はジューク(岡平さん・岩瀬さん)のプロフィールや現在の様子について見て行こうと思います!
※アイキャッチはメルカリより引用しました。
ジューク(岡平健治・岩瀬敬吾)のプロフィール
https://www.instagram.com/p/x37S3MtZS6/
※画像左
- 岩瀬 敬吾 (いわせ けいご) 生年月日:1978年8月29日
※画像右
- 岡平 健治 (おかひら けんじ) 生年月日:1979年3月28日
ジュークは高校3年生の時に岩瀬敬吾さんが同じコンテストに参加していた岡平健治さんに声をかけ、岩瀬敬吾さんが作ったオリジナル曲を聞かせた事で面識を持ったそうです。
それ以降は「少年フレンド」というユニット名を組んで一緒に弾き語りをするようになり、地元の呉駅(ロータリー)で路上ライブをするようになったそうです。
高校卒業後は別々になりましたが、上京した後に合流して1998年に「ジューク」を結成しました。
1998年11月21日に発売されたデビュー曲「あの青をこえて」は注目されませんでしたが、1999年3月20日に発売された「あの紙ヒコーキ くもり空わって」で大ブレイクしました。
ジュークの由来については様々ありますが、上記の動画でも「19歳という微妙な年齢をバンド名にしたかった」と発言している事から年齢説が一番有力だと思いました。
また、2ndシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」のヒットでデビュー曲も売れたそうです。
ところが、2002年2月に同年3月末に解散することを突然発表しました。
解散理由については「事務所とのトラブル」が有力でメンバー同士の不仲説は否定していました。
326(中村満)もメンバーだった
イラストライターの326(中村 満)さんは元々ジュークのメンバーだったのですが、デュオで売り出したかった事務所の意向もあって、不本意ながら1999年10月頃に脱退したそうです。
326さんは作詞やジャケットデザインを担当していましたが、脱退後の2002年にシングル「火曜日の唄」を発売し、他にもアルバムを2枚発売するなど歌手としても活動していました。
ちなみに、2013年8月からは「タイタン」に所属してイラストレーターの活動を続けています。
ジューク(岡平健治・岩瀬敬吾)の現在
ジュークを解散したふたりは別々の道を歩むことになりました。
不仲説は否定したものの、音楽性のズレがあったのか今のところ共演はしていません。
この項目では岡平健治さんと岩瀬敬吾さんの現在についてリサーチして行こうと思います!
岡平健治は会社を設立して大金持ちに!
ジューク解散後の岡平健治さんはロックバンド「3B LAB.☆」として活動しましたが、2007年にグループ活動を休止してソロアーティストとして活動していました。
一方で、会社経営者や投資家として現在は5棟のビルを所有する不動産オーナーになっていました。
2ndシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」がヒットした際も“今だけだろうな”と冷静に見ており、早い内から不動産投資をするなど堅実性も見せていました。
他にも音楽会社「Rock Ford Records」を設立して後進の育成にも興味を示していました。
また、2018年8月10日にYoutubeチャンネル「Mutuber KENJI CHANNEL」を開設しています。
岩瀬敬吾はアーティスト&3児のパパとして活動中!
岩瀬敬吾さんはジュークを解散した同じ年に早くもソロデビューをしていました。
ソロ以外にも「BOØWY」や真心ブラザーズの作品にバンドの一員として参加するなど音楽に専念しており、2011年には自主レーベル「Näkemiin Records」を立ち上げています。
2019年現在もソロやアコースティックトリオ「ノロッストリオ」などで各地のイベントに参加しており、10月や11月のライブスケジュールもギッシリと詰まっていました!
また、プライベートでは3児のパパで広島カープファンとしても親しまれています。
ジューク再結成の可能性は?
ファンなら誰しも考えてしまう「ジューク再結成」の可能性はあるのでしょうか?
岡平健治さんは岩瀬敬吾さんとの不仲説を否定しており、現在も交流があるとコメントしていました。
さらに、再結成について前向きな発言をしつつも「ソロで売れなくなったから再結成した」とは思われたく無いと述べており、なんとも複雑な胸の内を語っていました。
ジュークが再結成するには何かしらのキッカケが必要ですが、それが何なのか悩ましいところです。