LUNA SEAの現在は?解散からの復活までの軌跡。メンバーががん?

今なお、絶大な人気を誇り、日本だけでなく世界でも有名なヴィジュアル系ロックバンドである

LUNA SEA(ルナシー)」。多くのロックバンドに影響を与え続けるバンドが歩み続けた

輝かしい栄光や苦難につづられた経歴と現在の状況について迫ってみることにしましょう。

LUNA SEAとは?

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LUNA SEA(ルナシー)」は、1989年にボーカルであるRYUICHIさん、ギターのSUGIZOさん、INORANさん、ベースのJさん、ドラムの真矢さんというメンバーで結成されたヴィジュアル系ロックバンドです

バンド名の由来とは

LUNA SEAとはラテン語でを意味するLUNAと英語でを表すSEAを掛け合わせた名前になっています。当初は英語で狂気を意味する「LUNACY」というバンド名で活動していました。

しかし、もっと大きな舞台で活躍したいと考えていたメンバーは狂気ということよりも一つの意味に縛られず、音楽的にも「月のように変化があって、海のように深く」という考えのもとで「〜CY」という部分を「〜SEA」に変更しました。ちなみにこの案を提案したのはJさんだったそうです。

伝説の始まりは小さなライブハウスから

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1989年に1月にINORANさんとJさんが組んでいたバンドLUNACYへPINOCCHIOで活動していたSUGIZOさんと真矢さんが加入したところからバンドが大きく動き出します。

5月にそれまでのボーカルが脱退。直後にSLAUGHTERというバンドで活動していたRYUICHIさんが加わり、インディーズ活動を開始しました。当時RYUICHIさんはRAYLA(レイラ)という名義で活動をしていました。

デモテープもすぐに完売するほどの人気ぶり

同月末には東京都の町田プレイハウス初ライブを行い、10月には早くも活動の拠点を都内へと移します。当時、ロックバンドの聖地とされていた目黒鹿鳴館や目黒ライブステーションライブを開始します。

デモテープを発売してもすぐに完売というほどにバンドは人気を持ち始め、12月には町田プレイハウスにて初のワンマンライブを敢行しました。

インディーズ1stアルバム「LUNA SEA」を発売

1990年に入り、前述のバンドの方向性、考え方からバンド表記を今のLUNA SEAに改名。翌年の1991年の2月には目黒鹿鳴館ワンマンライブを実施し、4月にはインディーズ1stアルバム「LUNA SEA」をX JAPAN(当時 X)のYOSHIKIさんが主宰するExtasy Recordsより発売しました。

このとき初回プレス盤を1万枚用意していたのですが、予約だけで完売してしまいました。

この時、LUNA SEAのメンバーはXJAPANのhideさんと公私共に仲が良く、のちのインタビューでSUGIZOさんは、

鹿鳴館に来てくれたんです、hideさんが。それ以前からX界隈というか、エクスタシー界隈との交流が始まっていて、噂を聞きつけて観に来てくれたんですね。なんかすごく意気投合してそのまま飲みに行ったよね。

すごく気に入ってくれてね。意気投合して、「是非エクスタシーから出したいんだけど」っていう話になって、次にYOSHIKIさんを紹介してくれたんですよ。そこからあれよあれよという間に、その年のうちに話がまとまって、次の年の頭にはもうレコーディングしてたよね。

引用:【インタビュー】SUGIZO × J、<LUNATIC FEST.>を語る_第一夜「これは奇跡だ」
– BARKS 2015年6月22日

と語っています。

その後3度の全国ライブハウスツアーで実力を付けたバンドは12月29日,30日の「UNDER THE NEW MOON TOUR EPISODE III FINAL」日本青年館2 DAYSライブ時に満を持してメジャーデビューをファンに報告しました。

インディーズのラストツアーをスタート

翌年の1992年1月にはオフィシャルファンクラブ「SLAVE」を発足させ、3月よりインディーズのラストツアー「DEAR SLAVES TOUR」をスタートさせました。

そしてメジャーデビュー前日の5月20日に初ライブの地である町田プレイハウスにてインディーズラストライブ「LUNA SEA3周年記念黒服限定GIG」を実施し、インディーズの活動を終了させました。

MCAビクターからメジャーデビュー

メジャーデビュー後、破竹の勢いで人気を獲得していくLUNA SEA

1992年5月21日にLUNA SEAはMCAビクター(現在のユニバーサルミュージックK.K.)から2ndアルバム「IMAGE」でメジャーデビューをします。この時はオリコン初登場9位を記録しました。

同年に実施された全国13か所を回る「LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 AFTER the IMAGE」のツアーを実施。

9月27日のツアーファイナルである日比谷野外音楽堂まで、今まで達成できなかった1万人という総動員数の壁を越え、16,000人を達成。10月には日本武道館での「EXTAST SUMMIT 1992」に参加しました。

「嵐を呼ぶバンド」

1993年になり、バンド結成以来初めてのシングル「BELIEVE」を発表します。この時はオリコン初登場11位でした。このシングルから終幕までに出した全シングルはなんと売上10万枚以上を記録しています。

8月には「LUNA SEA CONCERT TOUR 1993 SEARCH FOR MY EDEN ENCOREツアー」を実施。東名阪3ヶ所4公演を行い、総動員数約24,000人を記録しました。

その際、8月26日、30日に行われた日本武道館の2 Daysでは当初27日の予定でしたが台風が上陸し、延期となってしまい、30日に振替公演が行われました。

一昨年の日本青年館公演でも台風によりライブに影響が出たこともあり、「嵐を呼ぶバンド」との異名を得ました。その後のLUNA SEAのライブでは何かとこのワードが登場するようになります。

「TRUE BLUE」では初のオリコン初登場1位獲得!

1994年7月にリリースした3rdシングルの「ROSIER」がオリコン初登場3位でロングヒットを記録し、勢いそのままに9月21日リリースの4thシングル「TRUE BLUE」では初のオリコン初登場1位獲得しました。

タイアップのなかったこの曲が1位を取ったことは当時、とても珍しい現象でもありました。

1995年発表の「MOTHER (Single Version)」、「DESIRE」もヒットし、同年の12月23日には初の東京ドームライブ「LUNATIC TOKYO」を敢行。チケットは即日SOLD OUT総動員数56,000人を記録します。

名実ともに日本を代表するロックバンドへと成長していきました。

LUNA SEA – 「ROSIER」 1994年
LUNA SEA -「TRUE BLUE」 1994年

 

バンドとしての活動から個々の活動へ

LUNA SEAとしてのバンドの勢いは止まらず、1996年に入ってリリースした「END OF SORROW」、5thアルバムであった「STYLE」がともにオリコン初登場第1位を獲得します。

7月の横浜アリーナ2DAYSから始まった全国9か所16公演のツアー「LUNA SEA CONCERT TOUR 1996 UN ENDING STYLE」ではついに総動員数で大台の10万人を超え 12万人を記録しました。

1年間の充電期間

しかし同年12月23日に実施された「UN ENDING STYLE TOUR FINAL Christmas STADIUM〜真冬の野外〜 in 横浜スタジアム」を最後に1年間の充電期間に入るのでした。

1997年9月号のJ-ROCKmagazineに掲載されたJさんのインタビューによると7月からの全国ツアーが始まる頃に、メンバー間での話し合いがあったそうです。

その際に「次のビジョンへ行くためには、一人ひとりのメンバーが力を付けて、新しいルナシーを作らなければダメ」であり、1997年を「みんなの自主トレーニングの期間にあてよう」という結論になったそうです。

この提案をしたのはSUGIZOさんで賛成したのがRYUICHIさん。中立はINORANさんで反対がJさんと真矢さんであったといいます。個人のそれぞれの思いが解決しないまま、活動休止になりました。

河村隆一のソロアルバムが320万枚のメガヒット

1997年から1年間、メンバーはそれぞれにソロ活動を開始します。特にその活動が光ったのがRYUICHIさんで、本名である河村隆一の名で活動を開始します。

その際に発表したアルバム「Love」は約320万枚の売り上げを記録し、男性ソロシンガーで歴代最高の記録を打ち立てます。年末にはソロでNHK紅白歌合戦にも出場し、ソロシンガーとしての地位を確立していきました。

河村隆一 「Love is…」

その他メンバーもそれぞれに音源を製作・ライブ活動を実施し、自分たちの実力に磨きをかけていきます。

ベストアルバム「SINGLES」をリリースしてバンド復帰!

そして同年の12月に2枚組ベスト・アルバム「SINGLES」をリリースと同時に、赤坂BLITZにて活動再開ライブ&記者会見を行い、充電期間からの復帰を果たしました。ベストアルバムはオリコン初登場第1位を記録し、バンド初のミリオンセラーを達成。

翌年の1998年は4月から新譜のリリースラッシュとなり、シングルの「STORM」、「SHINE」、そして6thアルバム「SHINE」はすべてオリコン初登場第1位を獲得、ミリオンヒットとなります。

動員数が10万人規模のライブ、ツアーも敢行し、年末の12月31日にはバンド初となる「NHK紅白歌合戦」出場しました。

1999年アジアにも進出し、「LUNA SEA FIRST ASIAN TOUR 1999」をスタートさせます。台湾、香港 、 上海の3か所でライブ開催し、大盛況となりました。

そしてLUNA SEAの「嵐を呼ぶバンド」という異名が完全に印象づけられたライブとして5月30日に「LUNA SEA 10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY ∞」を東京ビッグサイトスペシャルオープンステージで開催しています。

開催3日前に会場を襲った強風で数十億円をかけたステージセットが倒壊という前代未聞の状況になります。当日はメンバー間でもライブの決行と安全面からの中止という意見で考えが割れたそうです。

この時はSUGIZOさんが提示した案「観客に危険が及ばないことを確認した中で廃墟をセットにしてしまおう」ということでメンバーが納得し、実施しました。この1回のライブで総動員数 は10万人を記録しました。

 

バンド終幕。そして1夜限りの復活を経て、REBOOTしたLUNA SEA

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翌年の2000年は1月1日からZepp Tokyoにて「START UP GIG2000」を実施し、午前0時0分からライブを行うという奇想天外な活動からスタートしています。

この年も音源リリースが続き、バンドも好調と思われていた中、11月8日に14thシングル「LOVE SONG」リリースと合わせて、LUNA SEA終幕発表公表されました。

この時のバンドの状態について、復活後のTV出演では以下のように語っています。

では、LUNA SEAが終幕した理由はなんだったのか。SUGIZOが「ぶっちゃけ、みんな顔が見たくなくなった」と本音を話すと、RYUICHIは「僕は仲が悪くなった理由もなんとなく分かる。性格が合わないというよりも、顔を合わせると『音を出さないといけない』、『モノを作らなければならない』といった強迫観念があり、仲が悪くなってしまった」と話した。

引用:【エンタがビタミン♪】LUNA SEAが終幕と復活の真相語る。「ここで終わらせるのは罪だと思った」。-Livedoor news 2013年12月4日

12月23日にベスト・アルバム「PERIOD 〜THE BEST SELECTION〜」を発表。20世紀最後のオリコンチャートで1位を獲得するという記録を立て、12月26日, 27日に東京ドームで「LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME」を敢行。

ライブで演奏された曲は終幕発表以前に公式WEBサイト上で行われた曲投票が反映して行い、最後の曲はラストナンバーの定番「WISH」にてバンド活動終幕させました。

一夜限りの復活ライブ。そして奇跡の再結成。

終幕から7年後の2007年7月末に突如オフィシャルサイトの特設ページが開設します。1ヶ月後の皆既月食の日を目指してカウントダウンが開始。8月28日の午前3時にそのオフィシャルサイトにて12月24日(月・祝)に東京ドームで一夜限りの復活ライブの開催が発表となりました。

実際この年はLUNA SEAメジャーデビュー15周年、各ソロ活動10周年という節目ということがあり、一夜限りの復活で祝うことを目的としていたようです。

そして12月24日に予定通り、東京ドームで「GOD BLESS YOU 〜One Night Déjàvu〜」を実施し、一夜限りの復活を果たしました。

ライブ発表の日は皆既月食が見られ、復活ライブが開催された日は満月という粋な演出も話題となりました。10月のチケット一般発売では55,000枚が僅か5分足らずで完売という記録を樹立。

しかしこれで再結成という動きにはつながりませんでした。

しかし翌年2008年5月4日にhideさんの追悼イベント「hide memorial summit」参加のためメンバー全員が再集結します。

このライブの発表記者会見にはRYUICHIさんがバンド代表として出席。LUNA SEAとして「最大限の感謝とリスペクトを込めて…」というコメントを残しています。

ついに固まった気持ち。REBOOT発表。

結成20周年を2009年に迎えたLUNA SEA。期待された再結集もない中、翌年の2010年5月29日午前0時に公式サイト上に「REBOOT」なるメッセージを発表されました。

表示された日から6月、7月、8月の満月の日に映像が変化し、8月最後の更新でメンバー全員の集合した映像が公開。そして8月31日に香港においてメンバー5人による記者会見があるとアナウンスされます。

そして8月31日に15:00(日本時間16:00)より緊急記者会見が行われ、「LUNA SEA 20th ANNIVERSARY WORLD TOUR REBOOT – to the New Moon-」をドイツ、アメリカ、香港、台湾、日本でライブを行うという発表をもって活動を再開することが発表されました。

LUNA SEA – 「STORM」live

LUNA SEA 20th ANNIVERSARY WORLD TOUR REBOOT

復活からフルスロットル

復活ライブからバンド初の本格的な世界ツアーということも大きなトピックスでしたがツアー最中に突如12月25日の東京ドーム公演「LUNACY 黒服限定GIG 〜the Holy Night〜」を開催し、東京ドーム公演では史上初となる完全無料ライブ敢行するなどREBOOT当初からバンドはフルスロットルで駆け抜けていきました。

2011年3月にREBOOT後初の音源となる1stアルバム「LUNA SEA」のセルフカバーアルバム「LUNA SEA」を発表し、6月にはバンドとしての新たな取り組みとして世界ツアーのロサンゼルス公演を収録したバンド初のデジタル3D映画「LUNA SEA 3D IN LOS ANGELES」を公開しました。

2012年はユニバーサルミュージックへのレーベル移籍をし、オリジナルアルバムの製作を開始。12月には東日本大震災復興支援チャリティーライヴとして仙台サンプラザホールで 「LUNA SEA For JAPAN A Promise to The Brave 2012 in Sendai」を敢行。

2014年にはバンド結成25周年を迎え、記念の音源のリリースやライブを実施。そして2015年6月27日、28日には初の主催フェス「LUNATIC FEST.」をメンバーが厳選したミュージシャンと共に幕張メッセにて開催しました。

2016年10月14日、16日にはXJAPANのYOSIKIさん主催のロックフェス「VISUAL JAPAN SUMMIT 2016」に出演し、終幕前以上にアクティブな活動を行っていきました。

 

社会的な考え方を持ち、政治的問題にも向き合っているLUNA SEA

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バンドというとどうしても破天荒なイメージを持つ方もいらっしゃるかと思いますが、どちらかというとLUNA SEAというバンドはとても社会性のあるバンドであると考えます。

著作権から発生する印税収入などの権利公平にするということを目的に初期の作品以外は作詞・作曲のクレジットはすべて「LUNA SEA」として、5人全員で作品を作っているという意味が込められているそうです。

併せてバンドには明確なリーダーが存在しないそうです。民主主義的な考え方で意思決定をする場合はメンバー全員の意見一致が原則としているそうです。

1人でも否定すれば、その案は棄却されるとのこと。Jさんはインタビューで

「他のバンドさんの前に、5人がライバルだ」

と語っていたそうです。このことによりほどよい緊張感があり、そして洗練された音楽が出来上がっていくことがわかります。

2011年の東日本大震災で収益金を寄付

社会貢献活動も行なっており、2011年の東日本大震災の発生時には、4月9日に新曲「PROMISE」を世界7ヶ国のAmazon MP3及びLUNA SEA MOBILEにてリリース。収益金を全額義援金として寄付しています。

同年に復興支援チャリティーライヴ 「LUNA SEA For JAPAN A Promise to The Brave」をさいたまスーパーアリーナで開催。特にSUGIZOさんは震災後の政治の流れについて様々な発言をしており、脱原発の運動や被災地へのボランティア運動を熱心にされています。

そういう流れから2017年の5月に行われた「LUNA SEA The Anniversary 2017」の日本武道館公演では電源供給をすべて水素燃料電池によって賄う取り組みを行ったそうです。

 

LUNA SEAの現在は?

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ロックバンドとして絶対の地位を得ながらもそれに甘えず、前進をつづけるバンドLUNA SEA。

現在はどんな活動をしているのでしょうか?

REBOOT以降国内外係わらず、毎年ライブツアーを実施しているLUNA SEA。2017年8月26日には国内最大級の野外フェス「SUMMER SONIC」が上海で行われた際にヘッドライナーとして出演しています。

10月には「テレビ朝日ドリームフェスティバル2017」にも出演。12月に9thアルバム「LUV」を発売しています。

2018年には2度目となる主催フェス「LUNATIC FEST. 2018」を6月23日、6月24日:幕張メッセにて開催。9月には「イナズマロック フェス 2018」、10月は「フジソニック 2018 SPECIAL」に出演と精力的に活動をしていました。

そして迎える結成30周年に向け12月4日に記念ロゴ発表しました。

ボーカルのRYUICHIが肺腺癌の手術を受ける

徐々に士気も上がり始めた2019年。これからという矢先にボーカルのRYUICHIさんが1月11日、肺腺癌の手術を受けるという衝撃的なニュースが流れました。

少し前にみつかった・・
肺の腺癌を切除する手術を11日に行いました。
術後は良好に回復しております。
今回のオペは部分切除・・
肺活量も今までとほぼ変わらないだろうということ!!
ヴォーカリストとしては一番気になるところ・・
まだ小さな癌だったので術後の放射線や抗がん剤も使う必要がないそうです。
さらに・・
これからの残された時間、一本一本のライブが大切になっていきます。
後悔を残さぬように、自分のもてる最高のパフォーマンスを出し切れる様にのぞんで参ります。
これからも応援よろしくお願いします。

一時大変話題となりましたが、術後も安定しており、出演スケジュールなどの更新があったことから心配がない場であることが分かります。この報道により、INORANさんと真矢さんが次のようにツィートしています。

今、一番バンドしての絆が強いことを表してますね。

そしてLUNA SEAとして2月27日にはライブBD&DVD「LUNA SEA The Anniversary 2018 The LUV –World left behind- FINAL 5.29 日本武道館」が発売されることが発表されました。

5月にはFC限定ライブ「LUNA SEA The 30th Anniversary SLAVE限定GIG」と5月30日、6月1日の2daysでライブ「LUNA SEA The 30th Anniversary Special Live 日本武道館 2days」を開催予定あることも決まっています。

様々な苦難がありながらもそれを5人の力で乗り越え、輝かしい歴史にへと変えてきたLUNA SEA。今後の活動にも期待しています。

LUNA SEA
公式サイト:LUNA SEA公式サイト