日本の元祖ロックンロールと言えば矢沢永吉さんで間違いないですよね。
来年70歳になりますが、衰えを微塵も感じさせていないのが凄いです!
今回はアーティスト・矢沢永吉さんの経歴と現在について見て行きます。
矢沢永吉さんのプロフィール
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矢沢 永吉(やざわ えいきち)さんは1949年9月14日に広島県広島市南区で生まれました。
矢沢さんの幼少期はまさに極貧生活だったらしく、母親は矢沢さんが3歳の時に蒸発、父親は広島で原子爆弾によって被爆し小学2年の時に亡くなりました。
幼少期は親戚中をたらい回しになり、その様子は火垂るの墓の主人公と似ています。
近所の子供に「貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの欠片を投げつけられるなどされ、貧しさといじめ体験から矢沢さんの名言「BIGになる」が頭に浮かんだそうです。
中学の頃にラジオから流れるビートルズでロックに目覚め、地元広島でザ・ベンチャーズの公演を見てアーティストとしてスターになることを目指しました。
矢沢伝説の始まり
1968年に高校を卒業し、トランクとギターと現金5万円を握りしめて夜行列車で上京。
東京に向かう予定でしたが道中の横浜とビートルズの出身地(リバプール)が同じ港町だったことが頭をよぎって急いで横浜駅で途中下車をしました。
日雇いバイトをしながらバンド活動を始め、自作の曲を「ビートルズのレコードを扱っている」との理由から東芝EMIに持ち込むもまったく相手にされなかったです。
キャロルを結成してブレイク
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1972年に矢沢さんが張り紙でバンドメンバーの募集をかけ、集まったジョニー大倉・内海利勝・ユウ岡崎(デビュー後に参加)らとロックバンド「キャロル」を結成しました。
当時は歌謡曲やフォークが全盛期でロックは流行っていませんでしたが、このキャロルは新しい風をもたらして若者を中心に人気を集め、日本のロック界に大きな爪痕を残しました。
活動期間は1975年4月13日までと短かったのは意外な印象を受けました。
ソロシンガーとしてデビュー
1975年に現在の「ソニー・ミュージックエンタテインメント」に移籍し、キャロル関係のスタッフを総入れ替えし「I LOVE YOU, OK」でソロデビューしました。
1977年:日本のロック・ソロシンガーとしては初の日本武道館で単独公演
1980年代:アメリカ西海岸に活動の拠点を移してアルバム数作を世界・全米で発売
1980年:現在の「ワーナーミュージック・ジャパン」に移籍
1983年:全国ツアーを開催し、2007年まで毎年欠かさずツアーを主催
1988年:現在の「EMIミュージック・ジャパン」に移籍
2008年:一時活動休止し、自らのレーベル「GARURU RECORDS」を立ち上げる
ソロデビューから一気に日本のロック界の頂点へ駆け上る一方、メディアには極力出演しないスタイルもカリスマ性を高める事になりました。
現在の矢沢永吉さんの活動
栄光の道を驀進して来た矢沢さんですが、還暦を迎えた頃からより渋さを増して来ただけでなく、CMや歌番組で少しずつですが見掛けるようになりましたよね。
還暦から現在にかけての矢沢さんの活動について見て行こうと思います!
中断していた全国ツアーを再開
2009年10月30日より「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を再開させました。
このツアーは今年(2018年)も続いていますが、年齢や体力的な事も考慮して数多く開催するのではなく、5大ドームなど大規模な厳選したステージ公演を行っていました。
2018年7月13日に平成30年7月豪雨の発生を受けて、同年9月11日に開催される広島グリーンアリーナ公演の収益を被災地に寄付することを表明しました。
また、ライブを「WOWOW」で中継する試みも積極的に行っていました。
CMで娘の矢沢洋子さんとデュエット
2016年6月に「ザ・プレミアム・モルツ」の新シリーズCMで娘・洋子さんと共演しました!
矢沢さんには前妻(すみ子さん)と現在の奥さん(マリアさん)との間に合わせて6人の子供がいると言われており、洋子さんはマリアさんとの間の子供だそうです。
2017年に洋子さんが「ギターウルフ」のU.Gさんと入籍したため、7人の子供と表記する場合もあるそうですが、家庭についてほぼ公表していないので情報が曖昧でした。
洋子さんは歌手やモデルとして活動しているので共演が成り立った訳ですね。
まさかの紅白出演
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2009年の「第60回NHK紅白歌合戦」に白組のサプライズゲストとして出演し、1人1曲が原則の紅白で持ち歌を2曲「時間よ止まれ」と「コバルトの空」を披露しました。
また、2012年「第63回NHK紅白歌合戦」に今度は白組特別出演歌手としてサプライズ出演して「IT’S UP TO YOU」を披露しました。
厳密には出場歌手ではなく、ゲストなので矢沢さんは紅白出場0回のままでした(笑)
1982年の雑誌で紅白を「年越しそば歌合戦」と皮肉を込めて表現しましたが、紅白出場は円熟味を増した矢沢さんを表す代表的なエピソードと言えるかもしれません。
もしかすると、近いうちに再びサプライズゲストとして見られるかもしれませんね!