まだテレビが元気だった時代だからこそ成立したリアリティー番組が「マネーの虎」です。
今放送したら間違いなく「パワハラだ」とバッシングを受けてしまうハードな内容でした。
今回は虎達を納得させ、マネー成立後に起業して成功した主な志願者について紹介します!
マネー成立後に起業して成功した挑戦者
2001年10月から2004年3月末まで放送されたリアリティー番組が「マネーの虎」です。
リアリティー番組と言えば馴染みが薄いですが、今の感じで言えば「やらせなしのガチ番組」のテイストが視聴者に受け、2年半の放送期間とは思えないほどのインパクトを与えました。
今回は番組内でマネーが成立し、実際に起業して一定の成功をした主な志願者9名を見て行きます。
※成功後に廃業した例も成功例に含めさせて頂きます。
1.辻 康裕さん (モンゴルでタクシー会社設立)
出典:日本テレビ マネーの虎
辻 康裕(つじ やすひろ)さんはモンゴルでタクシー会社を設立したい夢を持って志願して来ました。
辻さんはモンゴルで7年間ほど生活しており、現地で観光会社などを経営していたことから経営計画は完璧と言える内容でしたが、高橋がなり社長は少し納得いかなかったそうです。
高橋がなり社長のポリシーは「強者の手助けは出来ない」であり、現地で会社経営をしている”辻さんはすでに強者なのではないか?”との疑問から現地へ飛びました。
視察の結果「売上の5%を社会福祉へ寄付」を条件にマネーが成立しました(希望金額1,752万円を高橋がなり社長、川原ひろし社長、加藤和也社長が600万ずつ出してマネー成立)
会社は繁盛して月商も最高で100万(日本円だと約2000万)まで成長しましたが、モンゴル自体が発展してバスや自家用車が普及した事が原因で経営が悪化し、後に事業を売却しました。
その後もモンゴルで飲食店や百貨店で経営し、2012年に日本へ帰国したそうです。
https://twitter.com/OsakaPuchiko/status/669060877576855552
帰国後はなんと政治家へ転向し、日本維新の会から第46回衆議院選挙へ出馬するも落選。
その後は国会議員で現・大阪市長となった吉村洋文氏の秘書を務め、2019年の統一地方選挙(神戸市議選 東灘区)に日本維新の会から出馬して見事当選を果たしていました。
2.菊野 慶吾さん (高級ハンドメイド家具店)
出典:日本テレビ マネーの虎
菊野 慶吾 (きくの けいご)さんは一生使える家具を低価格で売りたい夢を持って志願して来ました。
父親から引き継いで家具店をさらに大きくし、より多くの方に良い家具を提供したいと虎たちに訴えかけ、あの堀之内九一郎社長に開始3分で”資金を出す”と言わせる人柄の持ち主。
貞廣一鑑社長か堀之内社長を選ぶ形になり、菊野さんは最終的に貞廣社長を選びました(希望金額500万円 貞廣一鑑社長が全額提供でマネー成立しました)
その後は有限会社「カントリーウッドガーデン」として家具のネット通販を展開し、現在は長年の夢だったカフェと家具店を併設した店舗を開業していました!
テレビで知り合った岩井良明社長と菊野さんがYoutubeで再会するとは思いませんでしたよね(笑)
ふたりとも同じ「ユーチューバー」になっているのは時代の流れを感じさせますし、久々に見ても相変わらず気さくな岩井社長と職人気質のままの菊野さんで安心しました。
3.立花 洋さん (世界一のピザとパスタのレストラン)
出典:日本テレビ マネーの虎
立花 洋 (たちばな ひろし)さんは世界一のレストランを開店したい夢を持って志願して来ました。
44歳無職ながら過去に22年間ほど飲食関係に携わっていた経験を活かし、利益追求よりも“お客様第一”とする経営理念を持ってオーディションに参加してきました。
何よりも「お客様の笑顔にする」との思いが通じ、加藤和也社長から980万円を引き出しました。
マネー成立後にパスタ料理店「ラ・パットータ」を開業し、ピーク時には本店(茅ヶ崎)、平塚店、鎌倉店に加え大船に作ったカフェを含めた4店舗を展開するまで成長しました。
「マネーの虎」で有名なラ・パットーラ。
とうとう平塚店も閉店。
でも、なんでんかんでんも高円寺で復活戦したし、
年数経っても復活して欲しい。
あの蟹パスタは絶品だったんで。 pic.twitter.com/hfKzL43gGv— しゅがごん (@sugargone) November 9, 2018
しかし、2018年6月22日に突然「閉店のお知らせ」が店頭に掲示されたそうです。
詳細な経緯については判明していませんが、立花さんのブログに気になる記述がありました。
20年前の11月6日、スタートしました。そして、昨年の11月6日、全てを失いました。
いろんな事がありました。
良い時もあれば悪い時もあるのは当たり前です、大震災の時も本当に苦しかった、しかし本当に辛かったのは部下の裏切り?!
レストランの創業は7月らしいので11月6日に何がスタートしたのかはわかりませんが、もしかすると奥様との関係についてだったのかもしれません。
現在は配膳会に登録して「配膳人」として様々な店舗で働いているそうです。
4.黒澤 文昭さん (パソコンの救急車)
出典:日本テレビ マネーの虎
黒澤 文昭 (くろさわ ふみあき)さんはパソコンの出張修理会社を設立する夢を持って登場しました。
当時では珍しかったパソコンの出張修理や代替機を置くビジネスでしたが、堀之内社長や加藤社長、吉川幸枝社長から人格まで否定されるほど批難を受けてしまいました。
しかし、岩井社長や小林敬社長が将来性を見込んで希望額670万を折半する形でマネーが成立。
「パソコン救急バスターズ」を設立後の半年はお客さんも少なくて苦しかったそうですが、徐々に問い合わせや依頼が増えて繁盛し、現在は本社・営業所など8店舗を経営しています。
今でも岩井社長とは交流があり、他の志願者たちと共に親睦会を開く事があるそうです。
黒澤さんは長男なので将来的には岩手に帰る可能性が有るらしく、仮にそうなったとしても安定して事業が継続できるような会社作りをしているそうです。
現在は53歳だそうですが、色々と苦労があったのは白髪具合から察する事が出来ますね。
5.メスット・シェネルさん (ケバブ料理屋)
出典:日本テレビ マネーの虎
メスット・シェネルさんはトルコの伝統料理ケバブを日本で広めたいとの夢を持って登場しました。
シェネルさんと先輩のトルコ人のふたりは「日本でトルコ料理を広める」ためにファストフード化する計画を立て、人格や企画、料理の味など全てで高評価を受けていました。
人柄や将来性を買って虎達が競って資金を出す展開になり、堀之内社長、貞廣社長、小林社長が600万円ずつ出して希望額の1800万円に達してマネー成立しました。
表参道に「グッド・スタート・コーポレーション」を起業し、まずは店舗では無く屋台で営業を始めたらしく、味の良さに加えて当時は珍しかった事もあって繁盛したそうです。
その後は渋谷のセンター街に出店が決まり、さらに以前から知り合いだったトルコの大手企業の社長が「ケバブ計画」に賛同して約1億円を投資してくれたそうです。
しかし、シェネルさんはジョギング中に急性心不全を発症して2010年6月18日に亡くなりました。
31歳という若さで旅立ってしまいましたが、シェネルさんが目指した日本でのケバブ文化の普及は達成され、今では縁日などでもケバブを見掛けるほど普及しています。
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