中山功太さんと言えば2009年の「R-1ぐらんぷり」を制覇するなど一躍、時の人になりました。
その後、東京へ進出をしましたが結果として失敗に終わり、見掛ける機会がグッと減りました。
今回は中山功太さんの経歴や現在の様子、実家やしくじり先生などについて見て行きましょう!
※アイキャッチは中山功太さんのTwitterから引用しました。
中山功太さんのプロフィール
本名:中山 功太 (なかやま こうた)
出身地:大阪府大阪市住之江区
血液型:A型
生年月日:1980年6月24日
所属事務所:吉本興業東京本社
中山功太さんは関西ではお馴染みの「吉本新喜劇」を見てお笑い芸人を志すようになり、1999年に大阪NSC(22期生)へ入学して本格的にお笑い芸人の道を歩き始めました。
同期はNON STYLEや南海キャンディーズの山里亮太さん、とろサーモンの久保田さんやダイアンなど今のお笑い界を引っ張る中堅が多数在籍した「黄金世代」とも言われています。
コンビ「7」や「赤い太陽」を組んでいましたが、2001年7月からピン芸人に転向しました。
以後は関西で舞台を中心に活動しつつ、同期のピン芸人ネゴシックスとコンビ「たばこ」を組んでM-1に挑んだものの、3回戦で敗退するなど良い結果は出ませんでした。
また、2003年8月から2008年4月まで「baseよしもと」の新タレントプロデュース組に在籍し、麒麟や千鳥、笑い飯やとろサーモンと言ったメンバーたちと一緒に過ごしています。
その時に千鳥から「ワシらはダウンタウンになるから、お前は明石家さんまさんみたいになれ」という言葉に励みにして、今のもお笑いを続けているとコメントしていました。
当時から中山功太さんの才能は仲間内では認められていたと言うエピソードのひとつですね!
実家は金持ちで母親も芸人だった!?
中山功太さんの父親はかつてソファーベッドの製造販売会社を経営しており、実家は「27LDKKK」でトイレが4つと風呂が2つあり、おまけにサウナまである豪邸だったそうです!
自家用車としてベンツなど高級車を4台所有していた事が話題となり、一児はセレブ芸人として「浜ちゃんと!」に出演し、他にも「アメトーーク!」や「踊る!さんま御殿!」にも登場しましたが、後に父親の会社が倒産して実家も売却しています。
また、母親も吉本に在籍している「アケミ・シャイニング」というピン芸人ですが、母親は先輩どころかNSC36期なので結構な後輩ということになります(笑)
芸人になった理由は前述の会社倒産(2006年)が大きく、生活のために自身もアルバイトを3つ掛け持ちするなど働きましたが、思い立って芸人として生きることを決意したそうです。
息子を「功太兄さん」と呼んでいるそうですが、それほど芸の道は上下関係が厳しいのです。
R-1ぐらんぷり2009で優勝!
出典:スポーツニッポン
中山功太さんは2009年2月17日に開催された「R-1ぐらんぷり2009」で優勝しました。
大会では”技巧派フレーズ王子”のキャッチコピーで「時報ネタ」を披露して会場を爆笑に包み、2位のエハラマサヒロさんに8点差を付ける683点を獲得して優勝しました。
通算5度目の出場(4度目の決勝)でグランプリに輝きましたが、今回の大会を迎えるにあたって禁酒をするなど自分を追い込んで挑戦したというエピソードもあるそうです。
優勝賞金の500万円もありがたかったと思いますが、大会後は30分でオファーが10件以上殺到するなど今後が注目されましたが、関西でレギュラー番組があったので東京の仕事の多くを断らざる得ず、結果としてタイミングを逸する形となりました。
フリップ漫談ネタ「対義語」
コントネタ「美容師」
コントネタ「作文」
中山功太とサッカーの関係は?
実は中山功太さんについて調べると「サッカー」のキーワードが浮上する事があります。
もしかすると学生時代にサッカー選手で活躍したのかと調べてみても特に情報は無く、中山功太さんの趣味はサッカーではなくロック鑑賞で運動系はありませんでした。
これについては仮説ですが、いわゆる名前間違いによる検索ミスがあったのではと思います。
似た様な名前のサッカー選手に中山 雄太(なかやま ゆうた)さんと平山 相太(ひらやま そうた)さんが居るので、何かの間違いでごちゃ混ぜになった可能性もあります。
確かに3人は名前が似ているので間違えても仕方ないかも知れませんね(笑)
ちなみに、平山相太さんは2018年1月26日に所属していたベガルタ仙台から現役を引退すると発表され、現在は仙台大学へ進んで勉強やサッカー解説者の仕事をしつつ、同大学のサッカー部でアシスタントコーチを務めているそうです。
中山功太の現在
2009年のR-1ぐらんぷりで優勝した中山功太さんですが、関西での仕事の都合から上京のタイミングが遅れてしまい、翌年に上京した時にはブームが過ぎ去っていました。
結果的に出先の東京だけでなく、地元である関西の仕事も少なくなってしまいました。
さらに暴行容疑やしくじり先生に出演など良くも悪くも話題に挙がっていますが、現在の中山功太さんはどの様な活動をしているのか詳しく見て行くことにしましょう!
暴行容疑で提訴された!?
週刊新潮の2017年9月14日号で中山功太さんが暴行で提訴されたと報じました。
記事によると2017年3月に都内のキャバクラへ行った際にAさんと出会い、1カ月半後のパーティで再会して中山功太さんの自宅へ行き、そこで男女の関係になったそうです。
これで中山功太さんは恋人になったと勘違いしたらしく、ワンナイトの感覚だったAさんと認識のズレが表面化し、少しずつストーカーのようになったと報じていました。
後日、Aさんが中山功太さんの自宅に呼び出された際に揉み合いになり、暴行を受けて肘や腿などの打撲に加えて「急性ストレス性障害」と診断されたそうです。
Aさんから示談の持ちかけがあったそうですが、中山功太さんが暴行を否定したことで220万円の損害賠償をおこされ、9月1日から東京地方裁判所で審理が始まったそうです。
これについては親交のある山里亮太さんもラジオで触れていたそうですが、裁判については続報も見当たらず、最初に報じた週刊新潮も触れていませんでした。
途中で示談が成立したのか、もしくは告訴を取り下げたのかハッキリしていません。
しくじり先生で自分を天才と思っていたと告白
2019年7月9日放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に出演した中山功太さんが“自身を天才的と思っていた”と告白し、当時のしくじりについて講義をしていました。
ネタが滑っても、自分のネタを受け入れない客や関係者が面白くないと否定していました。
動画の中で「関西弁に溺れている人達がいる」と発言していますが、皆さんの周りにも関西弁を使って面白いオーラを出そうとしている方が居るかも知れませんね(笑)
また、周りを否定して身を守る考え方は今でもコミュニケーションの中に残っており、良く使われる「マウントを取る」も一種の身を守る行為なのかも知れませんね。
怖談師を決める「OKOWAチャンピオンシップ」で優勝
2019年8月17日に最恐の怖談師を決める「OKOWAチャンピオンシップトーナメント2019決勝戦」が開催され、今年から参加した中山功太さんが2代目チャンピオンに輝きました!
お笑いと同じくらいに怪談や都市伝説が好きなオカルト少年だったらしく、中山功太さん自身も霊障が強い(霊の影響を受けやすい)体質だとコメントしています。
また、2019年11月23日に行われた「タイトルマッチ参の章」で初防衛を果たしています。
昔はイケメン芸人と呼ばれていたが・・
出典:吉本興業
デビュー直後の中山功太さんは芸人らしからぬ、かわいい系のイケメンで人気になりました。
俳優やジャニーズに居ても不思議では無い雰囲気ですが、今年で40歳になる中山功太さんはさすがに衰えが見え始め、外見でチヤホヤされるタイプの芸人ではなくなっています。
年齢もさることながら「R-1優勝」時の尖っていた頃とは違って生活も変わっており、山あり谷ありの人生で色々と苦労した様子が伺える容姿になっています。
もっとも、これは芸人にとって糧であり一概に悪いことと言い切ることはできません。
これからは見た目ではなく、本質の芸で今まで以上に脚光を集めてくれると期待しています。
中山功太さんのまとめとアルバイトについて
今回は中山功太さんの経歴や現在について見てきました。
お金持ちの家に生まれて、優れたお笑いの才能で「R-1ぐらんぷり」を優勝するなど絶頂を極めますが、自信過剰になり過ぎて転落する波乱の人生を送っていました。
現在は怪談師としての新たな道を開拓し、自らの失敗を「しくじり先生」で披露していました。
また、現在も芸人だけでは生活が苦しいので「健生堂薬局」でアルバイトをしているそうです。
様々な経験を芸の肥やしにして、新たな中山功太を見せてくれると期待をして終わりにします。