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歌を歌うためにこの世に生まれてきた荒牧陽子
「荒牧 陽子(あらまき ようこ)」さんは1981年1月14日 生まれの36歳(2017年現在)。岡山県岡山市に生まれました。幼い時から歌が大好きで2歳の時点で音程を取りながら歌い、3歳で既に30曲もの歌を歌うことができたそうです。優れた音楽の才能はもうこの時点で形成されていたようです。
ピアノや演歌を学び、小学生の高学年から地元の歌唱コンテストに参加するようになります。出場するたびに優勝若しくは入賞しており、「コンテスト荒らし」という異名を持つほどだったようです。その後は地元の小・中学校を経て、就実高校に入学します。
1997年、16歳の時に岡山県久世町で開催された『NHKのど自慢』に出場。見事チャンピオンに選ばれ、翌年1998年のチャンピオン大会に出場しました。その3年後の 2001年にも岡山市で行われた大会でもチャンピオンとなっており、その実力を世に知らしめました。
高校を卒業した後に今までの実績を背に、20歳で東京へ上京。シンガーソングライターとしての活動を始めます。絶対的な実力があったはずなのですが、歌手オーディションにはなかなか合格できなかったようです。
その為生計を立てるためにスタジオミュージシャンとコーラスを担当したり、2004年頃からはカラオケのガイドボーカルの声を務めるようになり、現在まで約1000曲程度、あらゆるジャンルのアーティストに関してガイドボーカルを収録したそうです。
荒牧陽子のミュージシャンとしての活動
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シンガーソングライターと上京した「荒牧陽子」さん。全曲、彼女が作詞作曲を担当したアルバム『Anytime musix』を発表しています。 他にもパチンコ「CRリング呪いの7日間」の10R大当たり曲である『雫(しずく)』、『Only love』といった楽曲を制作していました。
スタジオミュージシャンとしてはゲーム会社「コナミデジタルエンタテインメント」の音楽ゲームである「BEMANIシリーズ」のボーカルを務めていたり、ディズニーのアニメである『リロ&スティッチ』内の歌である『アロハ・エ・コモ・マイ』を声優である「山寺宏一」とデュエットで歌唱している。
コーラスワークでは「五木ひろし」さんや「kinki kids」さん等などのアーティストのツアーコーラスを担当しています。LIVE DAMでは彼女が歌ったガイドボーカル曲のみ「デンモク(カラオケの選曲用子機)」で一覧表示・選択できるスイッチが設けられています。
モノマネ番組への出演、そしてブレイクした荒牧陽子
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オリジナルの曲でのヒットはありませんでしたが、その実力が多くの人に認められていた「荒牧陽子」さん。ついに彼女の存在が日の目を見ることになります。
TOKYO MXの『Mero.jpミュージックChannel』という番組で彼女がガイドボーカルの仕事をする姿が放映され、その後、ガイドボーカルの歌声が本物そっくりとインターネットを通して、噂が広まります。
2011年に放映されたバラエティ番組である『スター☆ドラフト会議』でものまねタレントとして紹介されました。 そこでレディー・ガガなどの多くの歌姫の楽曲を披露。その実力が一気に世間に知られ、一気にブレイクすることになります。
それまで数少なかったイベントやテレビ等のオファーが一気に500件以上にもなったそうです。所属事務所に関しても、11社が争奪戦を繰り広げ、「ケイダッシュ」系列の「ピーチ」に所属することになります。
ものまねシンガーとして活動することを進めた「日本テレビ」でも人気番組である「ものまねグランプリ」に出演させ、先にブレイクしていたものまねタレントの「青木隆治」さんらと共にその人気を確かなものへとしていきました。
稀代の歌姫たちよりも歌がうまい?荒牧陽子の凄さとは?
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ものまね界の新しい女王として君臨した「荒牧陽子」さん。なぜここまで人気が出たのでしょうか?それは彼女の歌唱力がずば抜けていることです。幼少期から鍛えたレガートやビブラートといった技術。スタジオミュージシャンやガイドボーカルの仕事によって得た安定したピッチ、リズム感などが生かされています。
そしてジャンルを問わず、歌える技術と4オクターブの声域によって、実際の歌手のクセを音程とピッチ感を合わせることで再現し、よりリアルな声ができるようです。この技量は音楽界では「歌謡界では日本一の歌唱力」「アジア内でも屈指、世界メジャーレベル」等と絶賛されています。
あとはそのレパートリーの豊富さにもあるようです。一般的にはものまねの1つのレパートリーを開発するのには3か月~半年程度かかるといわれています。しかし、彼女はわずか1年で50個近いレパートリーを開発。お客さんを飽きさせることなく、ものまねしている歌手本人より歌が上手いという実力が人気となったのでしょう。
ブレイクから一転。どん底に落とされた荒牧陽子
一気にものまねタレントとしてのトップランカーとなった「荒牧陽子」さんでしたがデビューして1年後の2012年の暮れごろから激務による喉とメンタルの不調により芸能活動を一時休止することは発表します。その裏側には事務所側との考えの違いもあったようです。
当時所属した「ピーチ」ではあくまで彼女をものまねタレントとして活躍させたいと思っており、ものまねに関する営業を多くしていたようです。しかし彼女自体はシンガーとして、オリジナルでの楽曲制作し、歌いたいと思っていたそうです。
2016年に受けた「女性自身」の取材でもそのようなことを感じさせるコメントを残しています。
「あれは本当に裁判とは関係ないです! ものまねで売れまくってしまったんですけど、私は自分の曲を歌いたくて……。その整理がつかなくて精神的に参ってしまって」
事務所側との考えの差が精神的ストレスにつながり、体調不良へと至ってしまったそうです。その後、「ピーチ」側との契約更新はせず、現在は新しい事務所である「フリースタイル」に所属しています。
事務所との折り合いも付き、芸能界へ復帰かと思われた矢先、彼女に別の不幸が降りかかります。それは2013年に結婚した夫に関する問題でした。彼女自体は、現在の旦那さんが離婚していたと思ってそうなのですが、実は離婚していなかったというものでした。
しかも、前妻が出産で入院している間に交際を開始したそうで、ひどく傷つけられた前妻は裁判を起こし、慰謝料を請求されるという大事になってしまったのです。2014年7月、東京地裁から「荒牧」さんと夫に対して前妻へ300万円の慰謝料支払い命令が下されたそうです。
最初にスクープした「女性自身」が騒動から2年半後の2016年に彼女にインタビューした際には、前妻に対して謝罪するといった内容が綴られていました。この裁判沙汰により彼女の復帰が遅れたというのは間違いないでしょう。
荒牧陽子の現在は?
芸能界でのブレイク直後、いろいろな苦難に襲われた「荒牧陽子」さん。今現在はどのようになっているのでしょう。
実際には体調不調から回復した2014年から活動再開していました。しかし裁判問題もあり、最初は日本全国のディナーショー等営業中心に活動していたようです。
活動休止の間も動画サイトである「Youtube」などでアップロードされた動画では視聴数が10万回~数100万回に達するほどに根強い人気があり、 休業してメディアから遠ざかっていたにもかかわらずディナーショーのチケットが短期間で完売するという現象が起きるほどでした。
2017年1月には彼女の「Instagram」で2016年秋頃に出産していたことを報告されています。これによって活動をセーブしていたのは妊娠による影響もあったということがわかりました。
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2017年8月には日本テレビの「24時間テレビ」のコーナー「今夜限り!生しゃべくりでタレコミ続出!その真相を初告白007」で5年ぶりにテレビ出演を果たします。この時には表舞台に姿を現さなかったことや現在の仕事や生活について、いろいろとお話しされていました。。
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そしてついにものまねタレントとして日本テレビ系『ものまねグランプリ 芸人40組 秋のガチランキングSP』に出演されました。ファンが待ち望んだ瞬間がやっと現実になりました。「大黒摩季」さんや「MISIA」さんなどの「女性ボーカルメドレー」を披露。まったく衰えていないその実力にみなさん、驚愕されていたそうです。
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様々な困難を乗り越え、ついに復帰した「荒牧陽子」さん。これからの活躍に期待したいですね。