敷居の高い歌舞伎をより身近な存在に感じさせてくれたのが18代目・中村勘三郎さんです。
舞台に留まらずテレビドラマやバラエティーと様々な顔でファンを楽しませてくれました。
今回は亡くなってしまった中村勘三郎さんの功績や経歴を振り返って行こうと思います!
中村勘三郎さんのプロフィール
出典:日本カメラ博物館
中村 勘三郎 (なかむら かんざぶろう)さんは1955年5月30日に東京都で17代目中村勘三郎こと波野 聖司 (なみの せいじ)さんの長男として生まれました。
18代目・中村 勘三郎さんの本名は波野 哲明 (なみの のりあき)さんと言います。
学歴は都内にある暁星中学校から暁星高校へ進み、國學院大學・文学部日本文学科(中退)でした。
小さな頃から非常にわんぱくとして知られ「ベビーギャング」の異名を持ちます (笑)
芸についてとても貪欲であり、歌舞伎以外の芸能も積極的に学んで歌舞伎に取り入れていました!
姉や孫も含めた華麗なる家系図
出典:芸能人の秘密
中村勘三郎さんの姉・波乃 久里子 (なみの くりこ) さんは1945年12月1日に生まれ、戦時中に疎開していた神奈川県の”久里浜”から命名したと言われています。
1950年1月に東京劇場における「17代目・中村勘三郎襲名披露初春大歌舞伎」で初舞台を踏み、1968年4月に「六世・猿若明石」を襲名し、2011年に紫綬褒章、2016年に旭日小綬章を受章しました。
長男の6代目・中村勘九郎さんは女優の前田愛さんと結婚して2人の男の子を授かっています。
初孫の3代目・中村勘太郎さんが生まれて間もなく中村勘三郎さんは旅立ってしまいますが、初孫の顔を見られたのは不幸中の幸いだったのかもしれませんね・・。
中村勘九郎さんの長男は「3代目・中村勘太郎」を、次男は「2代目・中村長三郎」を襲名。
中村勘太郎、中村長三郎が初舞台で大活躍!中村屋 二人の桃太郎/2017年5月号|本誌|雑誌『家庭画報』公式サイト https://t.co/0J5Xtoh9b3 pic.twitter.com/oqBZJEwnlH
— 家庭画報編集部 (@KATEIGAHO) April 16, 2017
ふたりとも立派に初舞台に挑みましたが、中村勘三郎さんもこの雄姿を見たかったでしょうね。
このようにして歌舞伎の血と伝統は受け継がれて行くのだと改めて痛感しました。
中村勘三郎さんの次男は2代目・中村七之助として女形 (おやま・おんながた)として活躍し、ほっそりとしたスタイルの持ち主で若手の中でも一歩抜け出した女形と言われています。
最近では女形のみならず、男役としても舞台やテレビドラマに出演していました。
2019年3月現在は未婚ですが、周囲の結婚・子供に対する期待は相当なものだと思います。
歌舞伎役者・中村勘三郎
中村勘三郎さんは歌舞伎の伝統を重んじながらも新境地の開拓を積極的に進め、圧倒的な演技力と個性を武器にして観客を演技に引き込んで新しい歌舞伎を体現していました。
国内に留まらず海外公演をするなど歌舞伎の普及に心血を注いでいました。
また、ある意味でライバル関係にあったテレビメディアにも積極的に出演し、NHK大河ドラマでは1999年「元禄繚乱」で主役の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を演じました。
有名な「忠臣蔵」では大石主税(おおいしちから)・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)も演じており、残る吉良上野介 (きらこうずけのすけ) を務めれば主要キャストを制覇と語っていました。
しかし、老齢な吉良を演じる年齢になる前に亡くなったのは残念としか言えません。
病に倒れて死去 (死因:急性呼吸窮迫症候群)
出典:ameblo.jp
中村勘三郎さんは2012年7月27日に食道癌摘出手術を行い、手術が無事に成功した事もあって一時は病院内を歩行できるまでに回復して関係者を安堵させました。
9月に入って肺疾患が見つかり、抗がん剤治療で免疫力低下をしていた事からウイルス性の肺炎を発症し、他にも肺水腫を発症して人工肺と人工呼吸器の使用が11月14日に公表されました。
12月5日午前2時33分に“急性呼吸窮迫症候群”のため東京都内の病院で亡くなりました (57歳没)
最期は家族だけでなく、特にプライベートでも仲が良かった女優の大竹しのぶさんや演出家の野田秀樹さん、野球評論家の江川卓さんらが駆けつけて看取ったそうです。
これから円熟味が出て来る時期だったのですが、余りに早すぎる旅立ちに衝撃が走りました。
中村勘三郎さんの性格的に周囲も余り暗くならずに、明るく元気に見送ってあげるのが良いかもしれませんが、志半ばで倒れた無念さは察するに余りあります。
心からお悔やみ申し上げます。
中村勘三郎
NHK人物録:NHKホームページ