ベレー帽と独特なしゃべり方で人気になったのが戦場カメラマン・渡部陽一さんです。
ブレイク後は毎日のようにテレビ番組に出演して見ない日は無いほどの活躍でした。
最近は姿を見なくなりましたが、現在の活動の様子や経歴を見て行こうと思います!
渡部陽一さんのプロフィール
出典:読売新聞
渡部 陽一 (わたなべ よういち) さんは1972年9月1日に静岡県の富士市で生まれました。
家庭環境は両親と弟・妹の5人で構成されています。
富士市立田子浦小学校~中学校と地元の学校へ通い、中学時代は生徒会長もしていました!
富士高校を卒業後は「困っている人を助ける仕事に就きたい」との想いから明治学院大学・法学部へ進み、2回ほど留年してしまうのもも無事に卒業しました。
ちなみに、法律関係の資格を所有しているか公表されていませんでした。
愛用のカメラや身長について
渡部陽一さんが愛用しているカメラは2009年12月に発売された「CANON EOS-1D Mark Ⅳ」で、発売時の価格は50万円前後だったらしく、中古価格でも15~6万円の値が付いています。
レンズは「CANON EF85mm F1.4L」シリーズを使っており、価格は約20万前後!
カメラ本体を古く汚れたように加工していますが、これは戦場カメラマンならではの「光る物は撃たれる」を回避するための工夫でした (ライフルのスコープと間違われる)
身長180cm / 体重65kgと細身ですが、運動神経は良く剣道は初段の腕前でした!
戦場カメラマンとして
大学の授業でアフリカの原住民に関心を持ち、アフリカのコンゴ共和国に旅行した時にルワンダ紛争に巻き込まれ、ルワンダの少年兵に襲撃された際にカメラや私物を差し出して解放されました。
帰国後、友人たちに襲撃された出来事を伝えたものの信じてもらえず、世間に紛争の悲惨さと現実を知ってもらう為には言葉ではなく写真 (証拠) が必要と思い”戦場カメラマン”を目指しました。
初めて渡部陽一さんの撮影した写真が記載された雑誌は「サンデー毎日」で、その時には「サムライジャーナリスト」を名乗っており、写真だけでなく記事も作成していました。
普通に話しているレア動画
昔からゆっくりした話し方だったそうですが、取材などで海外に行って言葉が通じない事が多々あるらしく、英語やアラビア語の単語を丁寧にゆっくり伝える事を意識しているそうです。
もしかするとテレビの演出やキャラ作りの一面があるのかもしれませんね。
渡部陽一さんの現在
出典:シネマカフェ
一時は毎日のように姿を見掛けていましたが最近はあまり見掛けなくなりましたよね。
ネットでは“死亡説”まで流れていましたので、最近の活動を追ってみようと思います!
相席食堂で衝撃の髪型を公開
今年1番笑った
こんなのずるいわ#渡部陽一#相席食堂 pic.twitter.com/4ADE6nd8Ei— Hirö (@hiro_Garrixer) February 9, 2019
2018年7月29日に放送された朝日放送テレビ「相席食堂」に出演していました。
いつも通りのまったりとしてた癒し系な喋り方を披露しますが、その後に渡部陽一さんが仕込んできたネタについて千鳥の大吾さんは「プロだ」とつぶやいてしまいました (笑)
それにしてもベレー帽の下がここまでキテるとは思いもよりませんでした!
安田純平さんへの「戦場の掟」はデマ
自称ジャーナリストの安田純平がシリアで拘束されましたが、ここで戦場カメラマン渡部陽一さんの戦場取材の掟を見てみましょう pic.twitter.com/M8q4FDHEXe
— カマッチ (@skmdy02) May 30, 2016
フリージャーナリストの安田純平さんがシリアの武装勢力に拘束された際に、上記の様な「戦場の掟」を渡部陽一さんが発言していたとネット上で拡散されました。
この騒動について渡部陽一さんは「これはフェイクだ」と完全否定していました。
渡部陽一さんの信念は「戦場取材は生きて帰ること」としており、戦場カメラマンとしての心構えや活動方針について次のように語っていました。
「危機管理が8割を占め、2割がカメラの腕」
「どの仕事でも、目標に向かって結果を手にするために手段を選ばない、というわけではない。危機管理を最優先し、引く勇気をもって欲張らない取材をする」
改めて掟を見てみると「1:最前線行く時は世界最強の軍隊の自走砲部隊と行動する」とありますが、これは文章的にも変ですし、砲兵部隊が最強だと言う説はありません。
ツイッター更新で死亡説を打ち消す
こんにちは戦場カメラマンの渡部陽一です。トルコ情勢。2016年7月に発生した反政府軍事クーデター未遂事件。強権体制をとるエルドアン大統領は、事件の首謀者として名指しするギュレン師の関係者1112名を拘束。報道や教育機関、市民団体など政府に批判的な組織の拘束劇が依然続いています。
— 渡部陽一 (@yoichiomar) February 15, 2019
毎年多くの戦場カメラマンやジャーナリストが取材中に亡くなっています。
その仕事のイメージもあって渡部陽一さんにも死亡説が流れていましたが、今もなお世界各地の紛争地の取材だけでなく写真展の仕事や、メディアにも出演していました。
元々テレビに出たのは「取材費を稼ぐ」のが最大の目的であり、資金の目途が立てばすぐに紛争の現地に飛び込んで行くのがジャーナリスト・渡部陽一さんなのです。
取材中は防弾チョッキを着用していますが、一度も流れ弾に当たったことが無いそうです。
真剣な戦場カメラマンとしての姿やテレビでの親しみやすいキャラのどちらも素敵ですが、身辺の安全だけには気を付けて欲しいと思いました!