主犯・松永太と緒方純子の関係
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話は主犯とされる松永太と緒方純子が知り合った1980年の夏から始まりました。
元々ふたりは高校の同窓生であり、松永が緒方に電話をした事から交流が始まり、松永が半ば強引に関係を持ち交際する事になりました。
その後、出身地の北九州市に移り住み、松永の知人(不動産会社勤務・Aさん)に接近。
松永はAさんの娘Bさんを自宅に住まわせる一方、Aさんの仕事上のミスなどをネタに恐喝し、食事を満足に与えないなどしてAさんを衰弱させ、結果的に命を奪いました。
その亡骸の処理を緒方とBさんにやらせ、松永自身は手を汚しませんでした。
この解体作業を緒方にさせた事が結果として北九州一家監禁事件へと繋がるのでした。
北九州一家監禁事件
出典:探偵ファイル
金策に困った松永は内縁の妻である緒方に対して金の無心をします。
緒方は松永の指示で家族に金銭的な支援を求めますが、無視されてしまいます。
緒方は自分で稼ぐ為に、逃げ出すようにして湯布院でホステスとして働きますが、この事を知らされていなかった松永は激怒し、緒方の家族に接触します。
そこで過去に緒方が犯罪(不動産会社勤務・Aさん解体)に関わった事を家族にバラし、その事実をネタに家族を脅迫し支配下に入れました。
松永を恐れる緒方を騙す為に「松永は命を絶った」と嘘の知らせを家族から緒方へ連絡させ、緒方が松永の葬儀に来たところを取り押さえられました。
松永はこの時から緒方一家を自分のマンションに住まわせ、監禁生活が始まりました。
過酷過ぎる監禁生活
1997年10月頃から松永と緒方一家、不動産業の娘Bさんの共同生活が始まりました。
松永は同居人をランク付けし、もっとも下の人間が虐待を受けるシステムを作り上げ、お互いを監視・告げ口させ疑心暗鬼に陥れました。
1日1回の食事(食パンや菓子パン・水も許可制)で、食事は蹲踞(そんきょ)の姿勢のまま行い、7〜8分以内に食べられないと通電(コンセントの電流をクリップなどで体に流す)を行った。
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試してみると蹲踞の姿勢をするだけでも体の負担が大きい事が分かります。
松永の機嫌が悪ければランク無視で通電などの虐待をされ続ける日々なのです。
次々と消えていく家族
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過酷な生活が続き、最初に父親が亡くなり次に母親が亡くなりました。
亡骸は松永以外の家族が解体などの処理を行い、下水に流す作業を繰り返しました。
これによって、決定的な物証が存在しない立証が困難な事件になりました。
次に緒方の妹夫婦が亡くなり、最後は小さな子供まで手に掛けましたが、ここに至っても松永自体の直接的関与は「暴行・傷害」程度に留まっていました。
事件の発覚と逮捕
2002年1月30日に不動産業の娘Bさんが松永の目を盗んで祖父母の家へ逃亡します。
Bさんは自分の父親Aの解体にも関わっていた事から多くは語らず、祖父母の元でアルバイトなどを始めて自立しますが、松永に居場所がバレてしまいます。
松永は祖父母に対して「Bは金を盗んだりシンナーなどの非行をしており、このままだと父親Aに叱られる」とデタラメな話を吹き込み、Bさんを強引に連れ戻しました。
連れて行かれる際にBさんは祖父母へ走り書きのメモを残しました。
帰宅後、Bさんは通電や自分で右足の親指の爪を剥ぐ事を強要されました。
2002年3月6日に再び逃亡し、松永と緒方はBさんに対する監禁致傷罪で翌日逮捕されました。
北九州監禁殺人事件の再現動画
https://youtu.be/3TnG6GDQNlw
逮捕後の松永と緒方の現在
第一報が流れた時、その内容に誰もが衝撃を受けたのは間違いないでしょう。
多くの有名事件は再現ドラマ化されて放映されますが、この事件に関しては詳細までは報じられないでしょうし、するべきでは無いと思います。
この項目では、ふたりの現在や関連する情報を見て行きましょう。
松永の特殊な才能について
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事件を取材しているフリーライターの小野一光さんは松永と接見したそうです。
「最初に面会した時の、”先生、よく来てくれました。わざわざ遠くから大変だったですね”と笑顔で話す明るさに驚いた。私に対し、最初は”先生、先生”と呼んでいたのが、徐々に”小野さん”に変わり、さらに”一光さん”に変わった。私との距離が縮まったという演出のために、わざとやっていたのだと思う」
事件関係者を取材、裁判も傍聴していた小野さんは、冤罪の可能性は極めて低いと感じていたという。
それでも松永死刑囚に取り込まれてしまうのではないかという恐怖を感じるようになっていった。
「自身の冤罪を訴えかけてきた。”自分は魔女裁判にかけられている。司法の犠牲になろうとしている”と。次第に自分の中の客観性が崩されていくような感覚に陥った」
「一光さんを信用していいのか不明ですが、私は小野一光という人は信用できると思って、この話をしている」などと語りかけたという。
事件取材のプロであり、しかも凶悪な人物と認識していながら取り込まれそうになったのが松永という人物の特異性と言えるのかもしれません。
明星大学心理学部の藤井靖准教授は松永の手法を次のように分析しました。
「初めから”自分はあなたのことを信用できます”と言うよりも、”信用していいのか不明だが、でも私は信用している”と言った方が説得力は増す。その上、自分のことを信用して欲しいというメッセージも織り込んでいる。心理学的なテクニックの能力が非常に高い」
「最初の印象が、凶悪犯とは思えないような笑顔だったということもポイントだ。非言語的な表情と、言語的な情報とのギャップがある場合、相手はものすごく混乱する。その複雑さによって、”言うことを聞いて、気持ちよくさせた方がいいのかな“という雰囲気にさせてしまう」
専門的な教育を受けていない松永が、ここまで高度な技術を何らかの形で会得していた事に対する驚きと恐怖が付きまといました。
彼が稀有な才能を誤った方向に使ってしまったのが非常に残念です。
死刑判決が確定
2011年12月12日、最高裁第一小法廷は一・二審の死刑判決を支持し刑が確定しました。
決定的な物証が無い中、状況証拠や緒方の自供などを積み重ねて行かざるを得ず、未だに決定打に欠けているのが最大の問題点なのです。
緒方は一審で死刑判決を受けるものの、高裁では「自身も松永の支配下にあった」旨を主張し、結果的に無期懲役に減刑されました。
松永死刑囚の息子の現在
出典元:matome.naver.jp
松永太には息子がおり、その後の息子の人生(生き方)にスポットを当てたドキュメンタリーがフジテレビで放送され大きな話題を集めました。
主人公はあの北九州連続監禁殺人事件の犯人の息子
当時、9歳で保護された息子は現在(放送当時2017年)24歳
息子を待ち受けていたのは、冷たすぎる社会でした
殺人犯の息子に生まれてしまったがために日陰の人生を歩まざるを得なかった24歳青年のあまりに悲しき人生の告白です告白した理由は、(僕の事を)知りもしない人たちにネットとかで悪く言われるのに納得が出来なかったから出典元:matome.naver.jp
なぜ“北九州監禁殺人事件の息子”に取材できたのか 「ザ・ノンフィクション」チーフプロデューサーが語る、踏み込める理由
――張江さんにとって怖いことはありますか。
張江CP:20年以上続いている番組とはいえ、番組改編の時期が来ると「枠がなくなるかもしれない」という危機感は常にあります。
殺人犯を両親に持つ息子を取材するということ
――ここ最近でもっとも反響が大きかったタイトルは何ですか。
張江CP:やはり、「北九州連続監禁殺人事件」の加害者の息子を取材した「人殺しの息子と呼ばれて……」です。後編の視聴率は昼帯では異例の10.0%で、放送終了後もメッセージや手紙がたくさん寄せられています。
「人殺しの息子と呼ばれて……」に出演した息子さん(画像:「人殺しの息子と呼ばれて……」前編より)
北九州連続監禁殺人事件犯の息子にインタビュー 「ザ・ノンフィクション」プロデューサーが明かす葛藤と覚悟
フジ『ザ・ノンフィクション』渾身作「人殺しの息子と呼ばれて…」 チーフPが明かす放送までの葛藤と反響
平穏な日曜の昼間に不釣り合いな、息をのむような映像だった。10月15日と22日の2週にわたって放送された、フジテレビ系ドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜 後2:00※関東ローカル)の「人殺しの息子と呼ばれて…」。2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人の息子(24歳)が、初めてメディアのインタビューに応じ事件についてありのままを語った衝撃的な内容で、約7年半ぶりの2ケタとなる番組平均視聴率10.0%を獲得した(22日放送分 視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)。インタビューが実現するまでの経緯と放送後の反響を、同番組の張江泰之チーフプロデューサーに聞いた。
松永は現在も福岡拘置所に収監されており、いつ来るかも分からない「死刑の執行」をどの様な気持ちで待ち続けているのでしょうか?
北九州一家監禁事件
Wikipedia:北九州監禁殺人事件