秋葉原通り魔事件の概略
出典:ascii.jp
2008年6月8日12時30分頃に東京都千代田区外神田で発生した事件で、象徴的な意味合いも含めて秋葉原通り魔事件「秋葉原無差別殺傷事件」と呼ばれています。
犯人(加藤智大)の運転する2トントラックが神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に突入して横断中の歩行者5人を跳ね飛ばしました。
その後、トラックは対向車線で信号待ちをしていたタクシーと衝突して停車し、それを見て事故現場周辺の人々が倒れている被害者の救護を始めました。
そこへトラックから降りた犯人がナイフを持って現れ、救護していた人達に切りかかりました。
犯人は奇声を上げながら次々と通行人を刺しながら逃走し、秋葉原交番から駆けつけた警察官によって取り押さえられ逮捕に至りました。
この惨劇は発生からおよそ5~10分ほどの短い間の悪夢でした。
日本国内で発生した無差別殺人事件(平成年間)では過去2番目になる7名の犠牲者を出しました。
奇しくも最悪の犠牲者を出した「附属池田小事件・8名」の発生と同月同日でした。
秋葉原通り魔事件 当時のニュース映像
加害者・加藤智大とは
出典:naver.jp
1982年9月28日に青森県五所川原市で生まれ、高校卒業後は岐阜県にある「中日本自動車短期大学」へ進学するも自動車整備士の資格は取得できなかったようです。
学力はむしろ高かった部類に入り、単純に学業に意欲を持てなかったと証言していました。
就職と抗議の退職を繰り返す
2003年7月から仙台市の警備会社に就職して一人暮らしを始めます。
この職場では準社員として雇用され、同僚の中に仕事以外で交友する友人が出来たそうです。
2005年2月に職場の人間関係の不満に対する抗議の表明として無断欠勤し退職しました。
2005年4月:派遣労働者として埼玉県上尾市の自動車メーカーの工場で勤務
2006年4月:職場の人間関係の不満に対する抗議の表明として無断欠勤し退職
同年5月:派遣労働者として茨城県つくば市の住宅部品メーカーの工場で勤務
同年8月:職場の人間関係の不満に対する抗議の表明として無断欠勤し退職
事件後の今から思えば、人間関係に悩みつつも他人に当たらずに、間接的に自分の人生を悪くさせる選択肢を選んでいる事に不思議な感覚を覚えました。
この頃から「自殺」を考えるようになり、学生時代や警備会社時代の友人に打ち明けたそうです。
友人たちに説得される形で自殺は止めて実家の青森に戻る事にしました。
正社員になるも退職して放浪
出典:トラックマン
青森に戻ってから大型免許を取得し、地元の運送会社に大型トラックの運転士として就職。
2007年3月には正社員になり、学生時代の友人だけでなく職場でも友人が出来たそうです。
同年9月、ネット掲示板の投稿者に会う為の旅行として2週間の休暇を申請するも却下され、それに対する抗議の表明として無断欠勤し運送会社を退職しました。
その後はネットの知り合いと会う為に移動する日々を過ごし、ネットの友人に自殺願望を告白するも再び説得されて思い留まったそうです。
犯行のきっかけはネットだった
犯行の直前に「派遣先からの契約解除を伝えられた」とマスコミは大きく取り上げましたが、加藤本人は仕事の事は特に何も思っておらず、次の職場も決まっていたそうです。
加藤はネットを心のよりどころとしていたようで、とある掲示板で「不細工スレの主」と名乗り1000回を超える書き込みをしていたそうです。
ところが「不細工スレの主」の成りすましが現れ、ネットでの居場所も荒らされ孤独を深め、次第に現実でも追い込まれて行ったのではないかと思います。
2008年6月8日5時21分に「秋葉原で人を殺します」とのタイトルで掲示板に投稿。
「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」
秋葉原到着までに30回に及ぶ書き込みをしていたそうですが、個人的には「いつもの様に留めてくれる」と内心期待していたのではないかと推察します。
掲示板に居る自身の成りすましに対抗する為に話題性のある投稿をし、周囲による説得で矛を収めるつもりだったのではないでしょうか?
書いてしまった手前、引くに引けなくなって犯行に及んでしまった・・と、私は思います。
事件を受けた社会の反応
出典:ENGLY
この事件は市街地での安全対策などに関して多くの影響を及ぼしました。
・秋葉原の歩行者天国の一時中止(~2011年1月22日まで)
・ネット上の犯行予告への迅速な対応
・刃物を使った映像作品などの自主規制(数年間)
この事件を題材(模倣)した映画「RIVER」や「ぼっちゃん」が公開され、来年春に”事件から8年後が舞台”となっている「Noise」が公開予定になっています。
現在の加藤智大と弟の自殺
事件から約6年後の2014年2月に加藤の弟「A」さんが自ら命を絶ちました。
「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることをあきらめようと決めました。
死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」
そう語った青年は、その1週間後、みずから命を絶った。彼の名前は加藤優次(享年28・仮名)。日本の犯罪史上稀にみる惨劇となった、秋葉原連続通り魔事件の犯人・加藤智大(31歳)の実弟だった。
引用元:「秋葉原連続通り魔事件」そして犯人(加藤智大)の弟は自殺した
両親は離婚し、Aさんと同居していた父親はひとりで自宅に籠る生活をしています。
「ご主人が一人でひっそり暮らしています。朝早くに出て夜遅くに帰ってくる毎日で、事件以来、カーテンはずっと閉め切られたままで、夜も電気が点くことはありません。……そう、あれからずっと、加藤さんはロウソクの灯りで生活しているみたいなんです」
引用:週刊現代
2015年2月17日に加藤の死刑判決が確定しましたが、2016年5月10日に再審請求をしています。
現在、東京拘置所での日々を過ごしている加藤は弟の死に何を思ったのでしょうか?
被害者や遺族を今も癒えぬ傷で苦しめる加藤の罪は到底許されるものではありません。
ですが、第三者である私たちが被害者に成り代わって「危うい正義感」を振りかざし、加藤の家族を追い詰めた責任もまた許されるものでは無いと思います。
私たちが被害者の為に出来る事は「同じ悲劇を繰り返さない」この一点に尽きるのですから。