BOOWY(ボウイ)の現在。復活は夢のまた夢?メンバーの今と伝説のライブ(LAST GIGS)までの軌跡。

解散後のメンバー

解散後それぞれの道を歩むBOØWYメンバー

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解散後、「氷室」さんと「高橋」さんは「BOØWY」が所属していた「ユイ音楽工房」に残留します。

一方「布袋」さんは「ユイ音楽工房」にてバンドスタッフのトップを務めていた「糟谷銑司」さんと共に個人事務所「IRc2 CORPORATION」を設立し、「松井」さんも同じ事務所に移籍しました。

「氷室」さんは「松井」さんに「俺と一緒にやらないのか?」と引き止めたという話もありました。しかし「松井」さん本人は「新しい環境に行くことにすごく興味があった」と語っていっており、実現しませんでした

この状況については、「LAST GIGS」の打ち上げの時点で「布袋」さんと「松井」さんは参加しなかったという経緯からバンドがふたつに分裂していたということが言われました。

ソロ活動でも成功していくメンバー

ボーカル「氷室」

メンバーそれぞれにソロ活動を展開し、氷室はソロシンガーとしてミリオンヒットを出し、日本を代表するシンガーと成長していきました。

動画は「氷室」さんのソロコンサートの模様からです。

氷室京介 わがままジュリエット -字幕付き MCあり

ギター「布袋」

「布袋」さんもソロアーティストとして活動を開始し、ボーカルも取り、こちらもミリオンヒットの楽曲を生み出していきます

そのほかにも1989年に布袋が吉川晃司とのユニットである「COMPLEXでデビューしたり、ギタリストとして世界を股にかけて活動の場所を広げていきました。

動画は「布袋」さんボーカルの映像です。

NO N.Y. HOTEI & TAKAHASHI

ベース「松井」

ベースの「松井」さんもソロアーティスト活動をし、ベースを弾きながらボーカルを取るというスタイルで多くの作品を残していきます

こちらが「松井」さんの活動の映像になります。

WORKING MAN / 松井常松

ドラム「高橋」

高橋さんは解散後、自身のバンド「De-LAX」、「GEENA」を初めとして多くのバンドを渡り歩いています

一部としては「JUN SKY WALKER(S)」の「小林雅之」さんや「PRINCESS PRINCESS」の「富田京子」さんなどと結成した「ドラマーズ」、 「シーナ&ロケッツ」の 「鮎川誠」さんや)「globe」の「KEIKO」との「THE AURIS (SUPER) BAND」、「SURFACE」の「椎名慶治」さん、レピッシュ」の「tatsu」とのバンド「JET SET BOYS」などです。

「JET SET BOYS」の動画はこちら。

JET SET BOYS「CRUSH AND BUILD」

全員が独立。しかし絆は続く

「ユイ音楽工房」に残留していた「氷室」さんと「高橋」さんも独立をします。

「氷室」さんは1995年に個人事務所「BeatNix」を設立。

「高橋」さんは一時「BOØWY」マネージャーだった「土屋」さんの「アースルーフファクトリー」に所属していましたが、現在は個人事務所「ハイブリッジ」を設立し独立しました。

「松井」さんも2004年に個人事務所「ソリッド・サウンズ」を設立。

「布袋」さんは2012年に英国に拠点を変えてから新たな個人事務所「DADA MUSIC」を設立しています。

それぞれが独立した後も共演することはあり、特に同じ事務所であった「布袋」さんと「松井」さんの共演が回数としては一番多いです。東日本大震災以降は「布袋」さんと「高橋」さんの共演が多くなっています。

また、「松井」さんと「高橋」さんはそれぞれ他のメンバー3人全てと解散後に共演をしています。

ライブでは一緒にはならなかったがプライベートでは鉢合わせていた「氷室」と「布袋」

ライブでは共演しない「氷室」さんと「布袋」ですが何度かプライベートではお会いしていたそうです。

「布袋」さんの『GUITARHYTHM II』完成の際、「布袋」さんが「氷室」さんを訪ねると「聴いたよ」と答え、感想として「長げーよ」とコメントされたといいます。

「良いけど長い」「長いの作りたかったんだからいいんじゃない?」と「氷室」さんはその後も率直な感想をも述べ、「布袋」さんは嬉しかったそうです。

他にも横浜中華街のレストランで偶然居合わせたことがあったり、「布袋」さんのライブを「氷室」さんが観覧したことがあったとのことです。

起点となった東日本大震災

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2011年3月11日に発生した東日本大震災。

震災の発生を受け、「氷室」さんは2011年6月11日、6月12日に東京ドームにて東日本大震災の復興支援チャリティーライブ「KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME“We Are Down But Never Give Up!!”」が行います。最初は当初は3月14日に50歳のアニバーサリーライブの発表する準備をしていたそうですがこれを延期します。

公演の内容を見直し、「チャリティーの為にライブを行い、より多くの収益金を集め、被災地へダイレクトに届ける」という考えに変更し、開催することになりました。

ライブ内容は「BOØWY」時代の楽曲ですべて構成されるとあり、ついに「BOØWY」が戻ってくると話題になりました。

奇跡の再集結はならず…

しかし他のメンバーへの打診は一切なく、実現はしませんでした

「高橋」さんは「氷室」さんにエールを贈られていました。しかし「松井」さんは

「でも、少し寂しい。どうして声を掛けてくれなかったのかと。」

こんな時だからこそ、再び4人で手を握り合い、大いなる目的のために、協力し合うべきだと思った。アーティストとして素晴らしい決断だと思う反面、一緒に活動を共にしていた仲間としては、残念でならない

とコメントしていました。

また布袋さんは自身のブログでこのように気持ちをつづりました。

「再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした」

「氷室京介氏の復興支援に向けたアクションは、彼の信念に基づいた選択であるはずです。僕はそれを否定的にとらえる気持ちなど全くなく、リスペクトしています」

そして同時に自分の中で踏ん切りがつきました

引用:BEAT主義宣言 「BOØWY」 2011年4月20日

「氷室」さんはライブについて

「出来るだけ集客することで収益は増え、チャリティーの効果がより高くなる。オーディエンスをたくさん集めるために、世間に強いインパクトがあって、より多くのファンが臨むこと、という発想で「全曲BOØWYボウイ」に繋がった」

とした上で、

「メンバーの気持ちまで考えてなかったのがいけなかった」

と反省したコメントも残しています。

氷室京介(東京ドーム):Dreamin’ ~ B・BLUE ~ MARIONETTE ~ NO.NEW YORK

ライブの感想をメンバーは…

松井は6月11日のライブを観覧し、

「BOØWYボウイを歌う氷室京介は、何年経っても、何歳になっても、せつないまでに、あの頃のままだった。素晴らしいステージ、そして、素晴らしい時間でした。」

とコメントしています。

被災地出身の高橋さんは人一倍復興支援に貢献

「高橋」さんの出身が福島県ということもあり、2012年3月24日、郡山にて行われた「高橋」さんの復興支援チャリティーライブ「つながろう ふくしま 〜絆〜 スペシャルライブ with 高橋まこと」に「布袋」さんがゲスト参加します。「BAD FEELING」、「IMAGE DOWN」、「Dreamin’」が披露され、大盛況となりました。

その後も2012年10月11日から14日にかけて行われた「布袋」さんの『beat crazy Presents Special Gig “B.C. ONLY 2012”』のツアーに「高橋」さんが参加。「DRAMATIC? DRASTIC!」でボーカルも披露しました。2013年2月2日、『EMI ROCKS 2013』にも「布袋」さんと「高橋」さんが参加し、共演しました。

解散後のBOØWYメンバーに関するニュース

布袋寅泰の大けが

2002年5月4日に「布袋」さんは妻の「今井美樹」さんの父親の葬儀の夜に繁華街で転倒し、頭蓋骨骨折と急性硬膜外血腫の重傷を負いました。そのため、予定していたツアーの全スケジュールが延期となりました。

この時にツアーメンバーだった「松井」さんは自分の著書の中で

「いつでもまた一緒にできるような気はしても、何があるかわからない。だからまたこのギターとプレイすることができて本当に幸せだとツアー中ずっと思っていた。1本1本が本当に大切な時間だった」

「(布袋の)復帰にかける執念が音だけじゃく背中からも伝わってきた。だから自分もやるからには完璧にやりたくて、ベースの化身になりたいと思った。歌も演るソロとは違って、もっともベーシストに徹することが出来る場所だったから」

『記憶』 松井常松(2009年 徳間書店)

と語っています。

氷室京介の生家放火事件

2013年3月11日には群馬県高崎市にある「氷室」さんの実家を含む家屋3棟が全半焼する事件が発生しました。ご両親共に無事だったのですが氷室さんのお母さんが家から逃げる際に腕を骨折するけがを負いました。

事件に関して「氷室」さんは公式WEBサイトで下記内容を報告しました。

3月11日の火災に関しまして、ファンの皆様並びに関係者の皆様には大変ご心配をおかけ致しました。氷室本人は火災の報せを受けた直後から、本件の対応に追われておりました。そのため、皆様へご報告するまでに時間を要してしまいました。

全く予期していなかった今回の事件を受け、本人も 「アルバム制作及び、予定していたコンサート活動に支障が生じてしまう事を、ファンの皆様をはじめ、関係者の皆様に、この場を借りて心よりお詫び申し上げます。一日も早い完全復帰に向け、でき得る限り前向きに気持ちをもり立てて頑張る所存です。」と申しております。

今後も、ファンの皆様及び、関係者の皆様におかれましては、何卒、温かいお気持ちで見守っていただけますよう宜しくお願い申し上げます。

引用:HIMURO.COM – ファンの皆様、関係者の皆様へ

同じ日に放火した女性が高崎署に出頭し、現住建造物等放火容疑で逮捕されました。これにて事件は解決します。

取り調べの中で熱狂的な「氷室」さん、「BOØWY」のファンであり、メンバーの関心を自分に寄せるために犯行に至ったようです。「布袋」さんや「高橋」さんにも犯人から自分宛に何度かツイートがあった事も判明しました。

 

BOØWYの現在。

復活の願うファンへの答えはまさかの発表

事件から1年半後の2014年7月13日、「氷室」さんが自身のライブの中で同月19・20日の横浜スタジアム2日間公演をもって「氷室京介を卒業する」と電撃発表しました。この発表についてはスタッフはじめ周囲は「知らなかった」とされていますが、氷室さん自身は否定。

その日の深夜に公式サイトにて驚かせたことに対する謝罪と、翌2015年のファイナルコンサートをもって、氷室京介としてのライブ活動を休止することが掲載されました。

メンバーの反応は…

この発表に関して各メンバーは以下のようにコメントしました。

「高橋」さんは

「余りに突然なので言葉が出ませんでした」

「ヒムロックの気持ちを一番大切にしたいです。きっと横浜スタジアムでしっかり説明してくれる事と思います。あとは、ちゃんと受け止める事です。」

「布袋」さんはブログ上にて

「もし彼が本当にステージから姿を消してしまうなら「最後のステージはせめて一曲でも隣りでギターを弾かせてほしい」そう願うのみ。」

と熱い思いをコメントとして残しました。

氷室京介として最後のツアー

2014年7月19日・20日の横浜スタジアム2日間のライブは予定通り開催されました。

しかし、あまりにも唐突だったために2016年4月23日〜5月23日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」が敢行されました。「高橋」さんと「松井」さんは一緒に5月22日の東京公演を観覧しました。

布袋さんはその翌日の最終日であった5月23日の公演を見に行かれたそうです。

このライブをもって「氷室」さんはライブ活動を無期限休止するのでした。

氷室京介 LAST GIGS "IMAGE DOWN" KYOCERA DOME

バンドの「LAST GIGS」以降で4人全員がそろったのはバンドのプロモーション写真を手掛けていたカメラマン「加藤正憲」さんの結婚式だけだったといます。

共演する形もありましたが、唯一解散後実現していないのが「氷室」さんとと「布袋」さんの組み合わせだけでした。

1995年に開催された阪神淡路大震災の復興支援チャリティーライブにそれぞれ出演しました。しかしステージ上での共演は行われませんでした。

LAST GIGS」から30年後の2017年の12月24日には「BOØWY」の有志により、朝日新聞の一面に以下の広告が掲載されました

朝日新聞の朝刊に掲載されているBOOWYの広告。

出典先:こちら

今なお多くの人を魅了してやまないバンド「BOØWY」。

メンバーがこの世にいる限り、そのライブをまた目にすることも実際は夢ではありません。奇跡を望みましょう!