東大工学部出身
学習院の小学校と中学校を出ている鳩山由紀夫ですが、高校は都立小石川高校という都内でも上位の進学率を誇る高校に入学。
模擬試験で合格率5%と言われた東京大学の受験も猛勉強の末に合格。
祖父の鳩山一郎、父の鳩山威一郎に続き、東京大学に進みました。
ただ、弟の鳩山邦夫も東大なのですが、鳩山由紀夫だけは工学部。
それは、これからはエンジニアの時代だと予想していたとのこと。
とにかくこの一家はとても優秀で勤勉家として知られています。
自民党に入党
1986年の衆議院議員選で東京出身でありながら、北海道から出馬。
それは鳩山一郎の時代から地盤がしっかりしていたためでした。
自民党の田中派の新人として初出馬初当選。
1993年に離党するまで、自民党員として衆議院選に2度当選しました。
1991年には北海道知事選にも出馬する方向で進んでいましたが、固辞しています。
新党さきがけ時代
自民党を離党してからは、武村正義と中心になり新党さきがけを結成しました。
1993年の衆議院選挙では、自民党ではなく新党さきがけの候補として出馬し当選。
新党さきがけは見事その年に政権を取り、細川内閣が誕生しましたが、鳩山由紀夫はその内閣で官房副長官に就任しました。
また、1994年の北海道知事選ではまたも出馬を検討しましたが、断念しています。
民主党時代
1998年、民主党は再編結成されます。
そのとき、鳩山由紀夫は幹事長代理に就任。
翌年の9月には民主党代表選挙で民主党代表に就任しています。
第93代内閣総理大臣に就任
2009年に衆議院と参議院の内閣総理大臣指名選挙で内閣総理大臣になりました。
政権交代はまだ記憶に新しいですが、そのときに総理大臣になったのが、この鳩山由紀夫でした。
2010年には世界で最も影響力のある100人に、リーダー部門で6位に選ばれるなど、就任当初は国民の期待感も含めて高い支持率を誇っていたのも印象的です。
しかし、それも長くは続きません。
2010年、1年経たずで総理大臣職辞任
普天間基地の移設問題と政治資金の問題が出始めた2010年。
さらに4月の核安全保障のサミットで鳩山首相はオバマ大統領との会談を断られ続けて、支持率はあれよあれよという間に急降下。
2010年の6月8日に鳩山首相は総理大臣職を退任しました。
後任は菅直人。
東日本大震災時の総理大臣として、大変な時期に首相となりましたが、逆に言えば鳩山由紀夫は良い引き際だったのかもしれません。
2012年に遂に政界引退
消費税増税、TPP参加などに対する民主党の決定に納得がいかなかった鳩山由紀夫は、そのまま出馬せずに政界を引退宣言。
もともと民主党を離党することを示唆していたのですが、所属先を変えて出馬することもありませんでした。
そして、自身の選挙区であった苫小牧で記者会見を行って、政界引退を正式に発表。
2013年には民主党を離党することも発表しました。
引退後の鳩山由紀夫
一度内閣のトップに立ってしまえば元総理大臣として影響力があるのですが、引退後は東アジア共同体研究所という組織で活動し始めました。
東アジア共同体研究所は2013年に設立され、鳩山由紀夫は理事長というトップの立場で、組織には橋本大二郎元高知県知事や茂木健一郎脳科学者などそうそうたるメンバーが在籍しています。
組織の理念は「世界平和の実現を究極の目的」としていて、外交や安全保障、経済や文化など様々な分野を研究しています。
鳩山由紀夫は中国や韓国と仲良くするという理念を持っているので、世界平和を目指すには先に隣国から仲良くなろうという考え方のようですね。
賛否両論ありますが、素晴らしいのではないでしょうか。
現在の鳩山由紀夫
2015年に大きく報道された韓国での謝罪問題。
西大門刑務所の跡地でひざまずいて謝罪したのですが、これが政府関係者ではないにしろ元首相のやった行動としてメディアで大きくフォーカスされました。
鳩山由紀夫は世界平和に向けての自身の考え方を強く持っているので良かれと思って行った行動でしたが、政府に批判されることに。
日本が統治していた時代に韓国の国民を拷問した経緯などを十分理解し、謝罪の気持ちを持っていたから行ったアクションに、中韓のメディアはこぞって賞賛しました。
たしかに謝罪の気持ちは大切ですが、賠償などこれまでも済ませてきているので、どこまで謝り続けなければいけないのか、これは難しい問題ですね。
2016年には中国の西安交通大学の名誉教授に就任しました。
さらに、7月にはアジアインフラ投資銀行の顧問に就任しています。こちらの銀行は北京に本部を置いているので、鳩山由紀夫の現在は中国で主に活動しています。