”宗教”というものに強い興味を示していた上祐史浩
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「上祐 史浩(じょうゆう ふみひろ)」さんは 1962年12月17日生まれの55歳(2017年現在)。福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)で銀行員の父と元教師の母の間に育ちました。その後、父親が東京の貿易会社への転職をきっかけに一家で上京。
その後、父親の女性問題により、両親が離婚。母と共に暮らすことになります。母一人、子一人ではありましたが優秀な両親の能力は引き継がれており、「早稲田大学高等学院」から「早稲田大学理工学部」に入学します。
早稲田大学在学中に超常現象チベット仏教教団活動などに興味があり、オカルト雑誌『トワイライトゾーン』に掲載されていた「麻原彰晃」さんの空中浮揚写真記事に感銘を受けます。
1986年8月に「麻原彰晃」さん主催の「オウム神仙の会」(後の「オウム真理教」)に入会します。
1987年に「早稲田大学大学院理工学研究科修士課程」を修了し、同年4月に「特殊法人宇宙開発事業団」(現:独立行政法人宇宙航空研究開発機構)に就職します。
時を同じくして「オウム神仙の会」は「オウム真理教」へと変更。就職して1ヶ月後に教団に貢献したいと退職してしまいます。
「特殊法人宇宙開発事業団」では「都沢和子」さんと知り合い、恋仲になります。共に出家信者となり、出家番号は「13」と割り振りられました。
しかし教団内は恋愛は禁止とされ、入会後、二人は別れることになります。「都沢和子」さんはその後「麻原彰晃」さんの愛人という形で側近となりました。
オウム真理教の思惑に飲み込まれていく上祐史浩
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「上祐 史浩」さんは教団に入団後、「ホーリーネーム」と呼ばれる信者の名前として「マイトレーヤ」を授かりました。
入団後、まもなくして1989年「上祐」さんを除いたオウム幹部6人による「坂本堤弁護士一家殺害事件」が発生します。
事件発生前に、他の幹部と「坂本堤」さんと交渉の席に立ち会ったそうです。教団による被害、反対する親元への身元引渡しについて「坂本」さんとは意見で平行線を辿り決裂します。
後年、彼はテレビ朝日の取材で”自分は事件の内容を知らなかったことを考えると坂本さんの意見には先見の明があったと思う”と話しています。
教団の方針から批判的な存在を「ポア(殺害)」することで「上祐 史浩」さんは一度意見を求められたことがあったそうです。
しかし強く反対しており、坂本弁護士の殺害が教団による事件だと察した時、「麻原彰晃」さんに不満を伝える電話をしましたが逆に事件を正当化することを説得されました。
1990年の第39回衆議院議員総選挙に、早川紀代秀推進のもとで真理党として教団幹部の立候補します。しかしこの件に関しても「上祐 史浩」さんは最後まで猛反対していました。
結果は惨敗に終わり、「麻原彰晃」さんが大勢の信者達の前で「国家権力の陰謀論」と発言したことにも「上祐」さんは異議を唱え、最後まで「麻原彰晃」さんに反発し、考えを正そうをしましたが、結局考えが変わることはありませんでした。
オウム真理教自体の考えは徐々に過激の一途を辿ります。「上祐 史浩」さんも兵器開発にも携わり始めます。「ボツリヌス菌搭載の風船爆弾」や「サリンプラント計画」、「亀戸異臭事件」に関与しました。
- 1993年の亀戸異臭事件の前に今後のテロ活動について打ち合わせがあり、「上祐 史浩」さんも参加はしましたが肯定的でなかったことにから「麻原彰晃」さんに叱責を受けたそうです。これにより彼への不信感が「麻原彰晃」さんの中で増していったようです。
反旗に対する罰、そして昇進をした上祐 史浩
「麻原彰晃」さんに対し、幾度となく反旗を翻した「上祐 史浩」さん。この反旗をよく思わなく感じた「麻原彰晃」さんによる「ロシア支部長」の任を命ぜられます。しかしこれは事実上の左遷といわれました。
1992年よりロシア支部に派遣。この時同時に「尊師」に次ぐ位階の「正大師」に昇進。1993年9月に「ロシア支部長」に就任となりました。
そこから二年間は「日本にいると身に災いが及ぶ」と「麻原彰晃」さんに言われ、ロシアで過ごすことになります。
一時的に日本に帰国の際に薬物による霊的エネルギーを注入する修行「イニシエーション」を受け、「麻原彰晃」さんへの帰依を深めます。
1995年に教団は地下鉄サリン事件を実行。その後、「上祐 史浩」さんは「麻原彰晃」さんから「広報活動をしてほしい」と電話で報告を受け、日本へ帰国することになります。
帰国後は「緊急対策本部長」に就任し、同時に「外報部長」としてマスコミへのスポークスマンの役割を果たすようになっていきます。
オウム真理教のスポークスマンとして活躍した上祐史浩
- 「都沢和子」さんと共に「早稲田大学英語部(ESA)」で教育ディベートの経験者であったことから「上祐 史浩」さんはマスメディアへの対応をしていきます。
- 「ディベート」によって相手を言い負かす技術が話題となり、このパフォーマンスから、「ああ言えばこう言う」をもじり、「ああ言えば上祐」という流行語が生まれました。
- その後「上祐ギャル」と呼ばれる熱狂的な女性ファンも登場し、一躍話題の人となりました。
- 前述でも示す通り、教団内では分析力やその真意を察する能力が高かったことからオウム真理教幹部の中で「麻原彰晃」さんに意見を言えるのは「村井秀夫」さんと「上祐」さんだけだったといわれています。
- 様々な事件後にいろいろな印象的なコメントを残しています。その一部をご紹介しましょう。
- ・教団の関係者の逮捕が多くなった時には警察、報道機関を批難。
- ”「だから私はあまりごちゃごちゃ言いたくないんですよ、これ(フリップ)見たら分かるでしょう? 馬鹿らしいですよこんなの!」
- と言いながらフリップを投げた。
- ・「村井秀夫」さん刺殺事件直後の会見で、記者が「麻原彰晃」さんが会見を開くのかと質問した時
- ”「麻原を殺す気ですか今度は? 麻原を殺す気ですか? 今度は!? 尊師を今度は殺すんですか!?」”
- と答えた。
- 海外メディアに対しても堪能な英語で質疑を受け、反論を披露しています。実際、本人はこの時のことを「オウム真理教は事件に関わりがあると薄々気づきながら、当時はマスコミに無関係だと嘘をつき続けていた。自分は嘘吐きだった」と告白してします。
逮捕、そして教団への復帰をする上祐史浩
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1995年に「上祐 史浩」さんは熊本県阿蘇郡波野村(現・阿蘇市波野)の土地取得をめぐって、「国土利用計画法違反事件」で「有印私文書偽造」などの容疑で逮捕されます。その後、裁判で懲役3年の実刑判決を受け、広島刑務所に収監されます。
この時に「ボツリヌス菌搭載の風船爆弾」や「サリンプラント計画」、「亀戸異臭事件など」の一連の「オウム真理教事件」について審議されましたが、実害がなかったために「不能犯」とされ、起訴はされませんでした。
1999年に刑務所出所後、教団に復帰します。2002年には名前を「オウム真理教」から「アレフ」へと変更し、同代表に就任。「オウム真理教事件を反省し、麻原彰晃の影響を排除する」という方針を打ち出します。
しかし「主流派(麻原回帰派)」の強い反発をにより、2003年に事実上失脚し。「修行」と称して自室に軟禁されてしまいました。
この間、「オウム真理教」の分派である「ケロヨン」というグループで傷害致死事件が発生。「上祐」さんら幹部に告発がありましたが警察に通告するよう指示を出します。
- 軟禁から解放され、「麻原彰晃」さんの家族や反上祐派との対立が深まり、「アレフ」を脱会。2007年に別団体「ひかりの輪」を設立します。
- 設立後に『mixi』のアカウントを取得すると「上祐」さんの「マイミクシィ(申請含む)」は、わずか2日で上限の1,000人に達したそうです。
上祐史浩の現在は?
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「オウム真理教」によって人生を狂わされ、自分が求めた正しい宗教の道を歩み始めた「上祐 史浩」さん。今現在はどのような活動をされているのでしょうか?
現在は立ち上げた「ひかりの輪」を通して、宗教に関する哲学論や心理学、そして本当のあるべき姿を解く講演を中心に活動されているそうです。
https://twitter.com/joyu_fumihiro/status/927156254601965569
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https://twitter.com/joyu_fumihiro/status/927780208412737536
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それに加え、様々なジャーナリストの方と一連の「オウム真理教事件」に関する考え方、そして事実を語り合った書籍などを出版しているようです。
2010年に『FRIDAY』誌上で「上祐 史浩」さんは「麻原彰晃」さんについて語っています。内容としては「麻原」さん自身はカリスマとして大きな影響力があった。しかし精神病理的な一面があり、それが暴力へとつながっていったのだろうと考えていたそうです。
「オウム真理教」が「サリン」を研究していたことは知っていたそうですが、反対しきれなかった理由としては、信者として反対すれば、一般人と共に殺害されてしまう危険性があったからであるという恐怖との闘いによるものであったそうです。
- 真意に関してはその人のみにしかわかりません。「アレフ」の動きも活発化する昨今、上祐さんの動きにまた注目が集まるかもしれません。
注)ご拝読ありがとうございます。今回の記事に関しては「アレフ」若しくは「ひかりの輪」への勧誘や勧めということでの記事ではございません。「上祐 史浩」さん個人の現在の情報を取りまとめたものになります。教団・団体に関する内容に関しては一切受け付けませんのでご了承ください。