阿部慎之助が現役引退!プロ入り~引退までの成績と今後について!日本シリーズで胴上げされる粋な計らいも!

読売ジャイアンツの阿部慎之助選手。

強打の捕手として、チームを牽引し、リーグ優勝・日本一も経験しています。

2019年シーズンを持って現役を引退し、来シーズンからは指導者としての道を歩むそうです。

今回は、阿部慎之助選手の経歴、成績とこれからについて書いてみました。

阿部慎之助プロフィール

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名前:阿部慎之助(あべしんのすけ)

愛称:慎之助、阿部ちゃん、慎ちゃん

生年月日:1979年3月20日

年齢:40歳(2019年10月時点)

出身地:千葉県浦安市

身長:180㎝

体重:97㎏

投打:右投げ右打ち

ポジション:捕手、一塁手

プロ入り:2000年ドラフト1位(逆指名)

引退年:2019年(10月23日、日本シリーズ第4戦での代打が最終出場)

選手歴:安田学園高校→中央大学→読売ジャイアンツ(2001年~2019年)

プロ入り前

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阿部慎之助選手は、父親は元実業団チームの野球選手だったそうで、母親がタレントの池畑慎之助さん(ピーター)のファンであったことから「慎之助」と名付けられたそうです。

父親は高校時代に元阪神タイガースの掛布雅之さんとクリーンアップ(3番が掛布、4番が父親)を組んでいたこともあり、その影響もあり、阿部慎之助選手は幼少期、阪神ファンで、右打ちを左打ちに変更したそうです。

父親の勧めもあり、野球を始め、浦安市立浦安中学校から安田学園高校に進学し、高校通算38本塁打を放っています。

高校卒業後は、中央大学に進学し、3年生春まで東都大学野球2部リーグでプレー。

2部リーグ通算51試合出場、186打数58安打、打率.312、12本塁打、41打点をマークし、3年生秋にチームは1部昇格しています。

1部リーグ通算28試合出場、92打数27安打、打率.293、5本塁打、19打点で、ベストナインにも輝いています。

2000年9月には、シドニーオリンピック代表に選ばれています。

打撃の評価が高かったため、野手への転向を進められますが、これを固辞し、2000年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名(逆指名)を受け、入団しています。

契約金は、最高標準額(1億円+出来高払い5千万円)を超える契約を結んでいたことが関係者の話で分かっています。

プロ入り後

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阿部慎之助選手は、2001年の開幕戦で、球団では23年ぶりとなる「新人開幕捕手スタメン」を務めています。

これには原辰徳ヘッドコーチ(現監督)が、長嶋茂雄監督(当時)への進言があり、阿部慎之助選手も後に「原監督に(新人だった自分を推薦してくれたことに)感謝している」と話しています。

阿部慎之助選手は、開幕戦で4打点を挙げる活躍を見せ、期待に応えますが、この年は規定打席には到達していません。

翌2002年には、127試合に出場し、ベストナインゴールデングラブ賞を獲得。

8月にはサヨナラ打を4度放ったことから、「サヨナラの慎ちゃん」とも呼ばれています。

2003年には初めて、オールスター戦に出場。

2004年には、巨人の捕手として球団史上初の30本塁打を記録し、規定打席に到達し、自身初の打率3割も記録した。(最終的には33本塁打を放っています)

主将、4番を担う

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阿部慎之助選手は、2007年に主将(2014年まで務める)に任命され、6月からは巨人軍第72代4番に抜擢されています。

また、正捕手でもあったため、チームの大黒柱でもありました。

その後も活躍を続け、2012年には首位打者、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得。

ちなみに捕手の首位打者獲得者は、、野村克也(1965年、打率.320)、古田敦也(1991年、打率.340)、阿部慎之助(2012年、打率.340)、森友哉(2019年、打率.329)と、4人しかおらず部慎之助選手は3人目となり、今年、森友哉選手が達成し、4人目となりました。

この年の契約更改で年俸が5億7000万円となり、プロ野球史上3番目(当時)の超高額年俸となっています。

翌年には年俸が6億円に上がり、松井秀喜さんと並ぶ球団タイ記録(当時)になりました。

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阿部慎之助選手と言えば、2012年の日本シリーズ(対日本ハム)第2戦では先発の澤村拓一投手(中央大学の後輩)が、初回にピンチを招きました。

その後、牽制球のサインを澤村拓一投手が見逃したことで、一度タイムを取ってマウンドに行って澤村拓一投手の頭を叩いたエピソードは有名ですよね。

これで澤村拓一投手は奮起し、8回無失点の好投で日本シリーズ初登板初先発初勝利を飾っています。

2019年の阿部慎之助選手の引退試合においては、2回に登板した澤村拓一投手に対し、サインが合わずマウンドへ駆け寄り、7年前のシーンの再現か?と思われましたが、2人は握手し、ファンを沸かせています。

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一塁手にコンバート

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2015年に阿部慎之助選手は、捕手から一塁手にコンバートされています。

これは年齢的に捕手を務めるのが厳しくなってきたとも、ケガの影も言われています。

その後、捕手と一塁手での登録を繰り返しますが、打撃での勝負強さは健在で、2017年には通算2000本安打を達成しています。

しかし、2018年には若手の岡本和真選手の飛躍もあり、レギュラーとしての出場機会が減り、代打としての起用が目立つようになりました。

2019年には通算400本塁打を達成。

これは、巨人では長嶋茂雄さん、王貞治さんに次ぐ3人目の快挙で、巨人の捕手としては史上初の達成となりました。(捕手の400本塁打は、野村克也さん、田淵幸一さんに次ぐ3人目

シーズン途中の9月23日に2019年限りでの現役引退をチームメイトに報告し、後日記者会見も行われました。

阿部慎之助選手が現役引退をチームに報告

阿部慎之助選手が現役引退をチームに報告

巨人 阿部慎之助・引退記者会見

巨人 阿部慎之助・引退記者会見

 

日本シリーズに出場し、第1戦で本塁打を放つ

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巨人は5年ぶりのセ・リーグ優勝を果たし、CS(クライマックスシリーズ)を勝ち上がり、日本シリーズ(対ソフトバンク)に進出。

第1戦で相手エースの千賀滉大投手の152㎞のストレートを本塁打にし、「まだ現役でやれるのじゃないか?」と思ったファンの人もいるかと思います。

日本シリーズの結果は、ソフトバンク4勝、巨人0勝と屈辱のストレート負けを喫し、力の差を見せつけられた格好となりました。

胴上げされる

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日本シリーズ第4戦終了後、ソフトバンクの工藤公康監督の胴上げやヒーローインタビューの後に、ソフトバンク側が阿部慎之助選手の胴上げを巨人側に提案。

負けた側の選手が胴上げされるのは、かなり異例のことで、阿部慎之助選手はかつてチームメイトだった工藤公康監督(巨人に在籍していたことがあります)や内川聖一選手(国際大会でチームメイトだった)などに促され、「(自分が)重いから」と言って最初は断っていまいしたが、巨人・ソフトバンクの両方の選手から胴上げされるという展開に発展。(胴上げ回数は背番号「10」にちなみ10回

この粋な計らいに、ラグビーのワールドカップにちなみ、「これぞノーサイド」と称賛の声がネット上でも多く上がりました。

阿部慎之助選手は、「こんな重い体を胴上げしてもらって幸せです」と話し、ファンからは「慎之助コール」の大合唱で、現役生活に別れを告げました。

獲得タイトルは、

首位打者:1回 (2012年)

打点王:1回 (2012年)

最高出塁率:1回 (2012年)

通算成績(19年)は、

2282試合、7514打数、2132安打、406本塁打、1285打点、打率.284

と強打の捕手として歴史を残しました。

阿部慎之助選手の今後は?

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阿部慎之助選手ですが、2020年シーズンからは巨人の2軍監督に就任する予定です。

現在の原辰徳監督の任期が3年間なので、その後、巨人:阿部慎之助監督が誕生するのではないかと言われています。

ただ、巨人フロントは松井秀喜監督を諦めてはいないようで、その辺りがどうなるのかはまだ不透明です。

今年のドラフトで、巨人に5位指名された山瀬慎之助選手(星稜高校)は、奥川恭伸投手(ヤクルト1位)の女房役のイメージが強いですが、「慎之助」の名前の由来は、他ならぬ阿部慎之助選手だそうです。(確か父親がファンだった影響で、自身もファンになったとか)

来年からは、巨人の2軍でダブル慎之助(監督の慎之助、選手の慎之助)が見れそうで、ファンの方は楽しみかもしれませんね。

来年からは指導者としての阿部慎之助選手が、どのような選手を育ててくれるのか楽しみでもあります。

以上、ここまでお付き合いありがとうございました。

阿部慎之助

読売ジャイアンツ公式サイト(阿部慎之助):https://www.giants.jp/G/player/prof_2711.html

読売ジャイアンツ公式Twitter:https://twitter.com/tokyogiants?lang=ja

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