永井佑一郎さんは2006年頃にテレビで披露したリズムネタ「バカテンポ」で大ブレイクしました。
流行っていたリズムネタのブームに乗って時の人になりましたが、予想通り消えてしまいました。
今回は永井佑一郎さんのプロフィールやブレイクしたネタ、現在の活動について見て行きます!
※アイキャッチはmotion-gallery.netより引用しました。
永井佑一郎のプロフィール
本名:永井 佑一郎 (ながい ゆういちろう)
身長:174cm
出身地:埼玉県春日部市
生年月日:1977年11月6日
所属事務所:吉本興業東京本社
永井佑一郎さんは東京NSC(3期)に通っていましたが、卒業後は一時的に吉本系列から離れてホリプロが主催するお笑い芸人養成学校「目黒笑売塾」にも通っていたそうです。
永井佑一郎さんの様に異なる系列の養成学校に通っていた例は結構珍しいと思います。
1998年頃から東京吉本に所属してお芸人として活動をスタートさせたもののヒット作に恵まれず、目立った存在では無かったのでこのまま消えて行く存在かと思われました。
そんな中、2006年に「エンタの神様」で”アクセルホッパー”という謎のキャラが演じるリズムネタ「バカテンポ」が大ヒットし、曲中の擬音「パンパンスパパン」は大流行しました。
この時のキャラクター名が「アクセルホッパー」と言うそうですが、あまりにヒットした事から”永井佑一郎”と言う個人名よりもキャラ名が有名になってしまいました。
想像を絶する大ヒットネタでしたが、その後は他の一発屋芸人と同じく消えて行きました。
持ちネタ「ナイツ」や「問題ないから」
永井佑一郎さんには「バカテンポ」以外にもヒットしたネタがありました。
まずは「〇〇じゃない」の語尾に”ツ”を加えた「ナイツ」と言うネタです!
ネタの中には稚内を「わっかナイツ」と言うなどナイツは高い汎用性を持つネタですが、爆発的に面白いと言うワケでは無いのでバカテンポの陰に隠れてしまいます。
次は「問題ないから~」のリズムに乗って無茶な事に挑戦する「問題ないから!」と言うネタです。
ノリと勢いで無茶に挑戦するネタですが、ちょっと危険な体育会系の匂いもしてしまいます・・。
どちらかと言えば芸として作り込んだネタではなく、いわゆる宴会芸の延長線にある様なネタです。
永井佑一郎の現在
人気お笑い番組「エンタの神様」で大ブレイクを達成した永井佑一郎さんでしたが、周囲の予想よりも早い”駆け足気味”で表舞台から立ち去ってしまいました。
しかし、ブームが去った今でも永井佑一郎さんは芸人として新たな活動をしていました。
この項目では現在の活動や「ひょっこりはん」との同一人物説などについて見て行きます!
永井佑一郎とひょっこりはんと同一人物?
永井佑一郎さんとひょっこりはんさんが同一人物と話題になっていましたが、その発端となったのはネットのフリー百科事典「wikipedia」の検索画面でした。
以前に永井佑一郎さんがひょっこりはんさんとの食事をインスタに投稿したのですが、その画像が何故か永井佑一郎さんの顔として一覧に掲載されていたそうです(笑)
当然ですが、永井佑一郎さんとひょっこりはんさんは同一人物ではありません!
結婚した嫁さんや子供について
【ご報告】この度、3月9日に入籍をさせて頂きました。相手は一般の30代の方です。ライブで公開プロポーズをさせて頂き承諾をして頂きましたm(__)m不器用な僕ですが精一杯お笑いをやらせて頂き、楽しい家庭を作りたいと思います!応援して下さる方、今後とも宜しくお願い致します。永井佑一郎
— 永井佑一郎(アクセルホッパー) (@ZERUBEX69) March 12, 2015
永井佑一郎さんは2015年3月9日に30代の一般女性と結婚したことを報告していました!
ライブ中に公開プロポーズをしたのも凄いですし、そこでOKを出した女性がどんな人なのか気になったので調べましたが、一般の方なので個人情報は公開されていませんでした。
また、結婚から2年経った2017年9月20日に第一子となる男の子を授かっていました。
子供の名前は「音吉」と少し変わった名前ですが、由来は永井佑一郎さんの父親がチェロ奏者である事、そして自身がリズムネタをやっている事から「音」にこだわったそうです。
下の「吉」については左右対称で裏表ない人になって欲しいとの思いが込められているそうです。
現在はライブを中心に活動中
現在の永井佑一郎さんはテレビではなく、お笑いライブを中心に活動を続けていました。
今年の11月2日には単独ライブ「みてー」が下北沢の”シアターミネルヴァ”で開催されますが、早くも残り席数がわずかになるなど現場では根強い人気がある様子でした!
予約がチケットサイトではなく永井佑一郎さんのインスタで受け付ける手売り感が良いですね(笑)
また、今年5月からは焚火好き芸人が集まった「東京焚き火倶楽部」という新しい集団を立ち上げており、今までとは少し違う分野にも積極的に活動の幅を広げていました。