最強の助っ人「クロマティ(元巨人選手)」は、エピソード満載?現在の職業とは?※画像あり

元読売ジャイアンツのクロマティさん。

巨人史上最強の助っ人と呼ばれ、活躍しました。

成績はもちろん、パフォーマンスでもプロ野球界を盛り上げました。

そんなクロマティさんについて、まとめてみました。

クロマティのプロフィール

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名前:ウォーレン・リビングストン・クロマティ

国籍:アメリカ合衆国

出身地:フロリダ州マイアミビーチ

生年月日:1953年9月29日

年齢:65歳(2019年6月現在)

身長:183㎝

体重:90㎏

投打:左投げ左打ち

ポジション:外野手、一塁手

プロ入り:1973年 6月二次メジャーリーグドラフト1巡目

 

メジャーリーグでプロ入り

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クロマティさんは、メジャーリーグのドラフトで、高校時代は4度指名されていますが、プロ入りしていません。

短期大学卒業後の1973年でモントリオール・エクスポズから指名されプロ入りしました。

メジャー3年目の1977年頃からレギュラーに定着しました。

 

読売ジャイアンツに移籍し、日本球界デビュー

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1983年オフにFAになり、読売ジャイアンツ(巨人)に移籍し、日本球界デビューしました。

1984年には35本塁打を放ち、チームを牽引。

1988年には巨人の選手では初の「東京ドーム第1号本塁打」を放ちました。

一時的に4番を務めましたが、指にデッドボールを受けて残りのシーズンは出場出来ませんでした。

 

1989年には、「打率が4割をきったら引退する」と宣言。

この年の最終打率は.378で、首位打者のタイトルを獲得しました。

※打率.378は巨人の歴代最高打率。

 

クロマティさんは、シーズン打率.360以上を2回(1986年、1989年)記録していますが、1986年は阪神のランディ・バース選手が、日本プロ野球記録である打率.389を記録したため、首位打者を獲得することが出来ませんでした。
(※バース選手は1986年に「三冠王」に輝く)

1990年に巨人を退団し、メジャーリーグに復帰します。

 

メジャーリーグに復帰するも引退

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クロマティさんは、1991年にカンザスシティ・ロイヤルズでメジャーリーグに復帰するも、1年で退団し、現役を引退しています。

クロマティさんは、メジャーリーグでのタイトル獲得はなく、プロ野球ではタイトルを獲得しています。

主な獲得タイトルは、

  • 首位打者:1回 (1989年)
  • 最高出塁率:1回 (1989年)
  • 最多勝利打点:2回 (1984年、1986年)
  • 最多安打(当時は表彰なし):1回 (1989年) ※1994年より表彰

 

クロマティのエピソード

歴代の外国人選手の中でも最強の助っ人と言われているクロマティさん。

成績だけでなく、パフォーマンスでもプロ野球を盛り上げました。

いくつかエピソードが紹介したいと思います。

風船ガムをかむ

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試合中は、常に風船ガムを噛み、ふくらませて破裂させていました。

自ら打点を出した後に守備につく際、外野観客席の巨人ファンと共に万歳三唱するパフォーマンスを見せ、「バンザイコール」はおなじみのものになりました。

頭部死球退場の翌日に決勝本塁打

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チームが優勝を争っていた1986年10月2日のヤクルト戦(神宮球場)で、頭部に死球を受けて倒れ病院へ運ばれました。

しかし病院を抜け出し、翌日の同ヤクルト戦にベンチ入りし、代打満塁本塁打を放ちました。

ホームに到達した際泣きながら王貞治監督(当時)と抱き合いました。

しかし、この年の巨人は最終的に優勝を逃しています。

乱闘事件

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1987年6月11日の中日ドラゴンズ戦で、宮下昌己投手から背中に死球を受けました。

クロマティさんは、帽子を取って謝るようジェスチャーも交えて要求したものの宮下昌己投手が応じなかったため、マウンド上に駆け寄り、宮下昌己投手の顔面に右ストレートを入れる暴行を加えたことにより、両軍入り乱れての大乱闘となりました。

クロマティさんは退場処分になりましたが、後にも語り継がれるほど有名な乱闘劇になりました。

後に、クロマティさんは、2013年1月21日に日本テレビ系で放送された「深イイ話&しゃべくり007 合体2時間SP」にゲスト出演。

ここで宮下昌己投手に会って謝罪したいとの意向を示し、番組内で再会が実現しました。

お互いに笑顔で握手を交わし、四半世紀の時を超えての和解となりました。

守備は下手だった?

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現役終盤は、衰えもあって、狭い守備範囲と緩慢な返球が問題視され、しばしば話題になりました。

打球判断を誤る記録に残らないミスを数回犯しており、1989年の日本シリーズに出場した際も、実況アナウンサーが「今のは緩慢な守備でした」と話しています。

 

現在は会社員として勤務?

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2005年には独立リーグの監督、2007年には「ハッスル」こと小川直也さんが、指揮する団体でプロレスにも挑戦しましたが、長続きしませんでした。

現在、クロマティさんは、アメリカ合衆国在住ですが、2018年4月に日本でCS放送を運営しているエーアンドイーネットワークスジャパン合同会社(旧ヒストリーチャンネル・ジャパン合同会社)に入社。

東京駐在特派員として番組にも出演しています。

入社の理由について聞かれると、「多くの友だちが東京にいるから。東京も大好き。巨人の選手でもあった」と話したクロマティさん。

これからの活躍が楽しみですね。

クロマティ

クロマティ日本公式Twitter:https://twitter.com/crobanzai49