平成に亡くなった 大物芸能人ランキング TOP10

第5位 渥美清さん (平成8年没)

出典:静岡新聞

第5位は俳優だけでなくコメディアンとしての顔も持っていた渥美 清 (あつみ きよし) さんです。

元々は浅草でコメディアンをしていましたが、1968年10月より放送のフジテレビ「男はつらいよ」で主演の車寅次郎に抜擢され、以後は国民的キャラクターとして親しまれました。

ちなみに、テレビ版の最終回は「ハブに噛まれて寅さんが亡くなる」だったそうです(笑)

男はつらいよ寅さん啖呵売

1991年 (平成3年) に肝臓ガンが見つかり、1994年 (平成6年) には肺への転移が判明した時には体調が相当悪かったらしく、映画への出演は奇跡的だと主治医も振り返っていたそうです。

1996年 (平成8年) 8月4日に転移性肺癌のため都内にある順天堂医院にて死去 (68歳没)

流れるような口上とコミカルな演技、そして私生活での物静かな生活ぶりが親しまれ、9月3日に「男はつらいよ」シリーズの功績を評価されて国民栄誉賞が贈呈されました。

第4位 坂井泉水さん (平成19年没)

出典:株式会社ビーイング

第4位は歌手や作詞家として女性を中心に絶大な支持を集めた坂井 泉水 (さかい いずみ) さんです。

最初はレースクイーンやグラビア活動していましたが、1991年 (平成3年) 2月に「ZARD」のボーカルとして歌手デビューを果たし、同年代の女性を中心に人気を集めました。

ユニット「ZARD」の由来は「Lizard・トカゲ」「hazard・危険」「blizzard・吹雪」「wizard・魔法使い」から作られた造語で、プロデューサーの長戸大幸さんが付けたそうです。

2000年 (平成12年) 以降は子宮筋腫や卵巣のう腫、子宮内膜症などを発症し闘病生活を送っていましたが、2007年 (平成19年) 4月に肺へのガン転移が見つかり再入院しました。

5月26日早朝に駐車場で仰向けに倒れているところを発見され、治療の甲斐なく脳挫傷 (3メートルの高さから転落による後頭部強打) のため5月27日に死去 (40歳没)

音楽葬には約4万人が詰めかけ、日本だけでなく海外でもニュースとして報じられました。

第3位 三船敏郎さん (平成9年没)

出典:BS朝日

第3位は日本だけでなく世界的な俳優として知られている三船 敏郎 (みふね としろう) さんです。

最初は映画の撮影スタッフになる事を希望していたそうですが、黒澤明監督とのコンビで撮影した「羅生門」でヴェネチア映画祭で金獅子賞 (1951年) を獲得して世界から注目されました。

その後も「七人の侍」や「用心棒」など多くの作品で数々の映画賞を受賞しました。

出典:日刊スポーツ

1997年 (平成9年) 12月24日に全機能不全によって都内の杏林大学医学部付属病院で死去 (77歳没)

この訃報は映画での繋がりが強かったフランスやイタリアでもトップニュースで報じられ、最後の最後まで「世界のミフネ」だった事が伺えるエピソードとなりました。

第2位 高倉健さん (平成26年没)

出典:シネマカフェ

第2位は昭和と平成を代表する名俳優であり歌手でもあった高倉 健 (たかくら けん) さんです。

昔は任侠映画で荒々しい男役を演じ、晩年は物静かで重厚な演技で多くのファンを魅了しました。

大御所となった晩年でも礼儀正しい態度は変わらず、エキストラを含めた全ての共演者に挨拶を欠かさず、椅子に座っていても必ず立ち上がってお辞儀していたそうです。

高倉健さんしのぶ動き広がる 映画館に献花台、ポスター展示

2014年 (平成26年) 11月10日に悪性リンパ腫のため都内の病院で死去 (83歳没)

5年ほど前に前立腺がんで手術を受けており、その後の定期検査で悪性リンパ腫が発見されて治療していましたが、亡くなる数日前に容体が急変するまでは元気に振る舞っていたそうです。

第1位 美空ひばりさん (平成元年没)

出典:日本コロムビア

第1位は戦後の復興期を歌声で支え続けた歌謡界の女王・美空 ひばり (みそら ひばり) さんです。

若干12歳でデビューした際には「天才少女歌手」と大きな話題となり、代表曲の「柔」や「川の流れのように」で数々の賞を獲得し、亡くなった後に女性初の国民栄誉賞も受賞しました。

歌が上手いだけでなく「七色の声」を持つ非常に稀有な才能の持ち主であると言われています。

美空ひばり(1989)

1989年 (平成元年) 6月24日に特発性間質性肺炎と呼吸不全の併発により順天堂医院で死去 (52歳没)

昭和が終わって平成になった頃にはかなり体調を崩していたと言われており、車や新幹線の移動が困難でヘリコプターで移動をし、楽屋にベッドが置かれ医師が待機していたそうです。

最後の頃は意識も朦朧なり気力だけでステージに立っていたと関係者は語っていました。

戦後史を代表する歌手・美空ひばりさんは昭和の終わりと共に自らの舞台に幕を引きました。