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20世紀最大のグラビア女王ともいわれる青木裕子
「青木裕子」さんは1977年2月5日生まれの40歳(2017年現在)です。出身は山形県東置賜郡高畠町
で1995年(平成7年)に地元では偏差値の高い山形県立米沢東高等学校を卒業します。
その後、進学はせずに「第4回ユミィオーディション」でグランプリを獲得したことをキッカケに東京へと上京します。
当時のスリーサイズはB95 -W 59 -H 87 cmでIカップという胸を武器にグラビアアイドルとしての人気を確立していきます。
1996年(平成8年)にはフジテレビビジュアルクイーンに黒田美礼、稲田千花、山田まりやらと共に選ばれ、その人気は不動のものになります。ひとたび少年誌などの表紙や巻頭グラビアを飾れば、雑誌が完売してしまうという伝説まで生まれました。
これにより、彼女が「20世紀最大のグラビア女王」と評価されるようになりました。
突然のグラビア卒業。そして歌手転向。
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これだけの人気を博した「青木裕子」さんでしたが1998年の年末頃から芸能活動を休止してしまいます。そしてその1年半後の2000年(平成12年)にメディアに登場しますが、この年でグラビア卒業宣言をし、7月22日、引退記念写真集「青木裕子」をリリースします。
その後は本人の夢であった歌手としてバンド「icy blue」を結成、活動していきます。2002年(平成14年)にはアルバムも発売し、その活動も軌道に乗りつつありました。
2004年(平成16年)からは当時人気のあったプロレスイベント「ハッスル」にて登場し、ここでも活躍をしていきます。一度は解雇されるも彼女自身の努力もあり、再度表舞台に登場。しかし、2006年(平成18年)にイベント自体が破綻し、降板することになってしまいます。
2008年(平成20年)1月25日には「icy blue」も解散し、2009年(平成21年)に行われたイベント「東京 Cover Night 〜X`mas party〜」にボーカルとギターとして出演を最後に表舞台での露出はなくなってしまいました。
青木裕子にまつわる逸話
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最強のグラビアアイドルとして駆け抜けた青木裕子さんにはいろいろと逸話が残っています。
まずはデビュー時に数々の巨乳グラビアアイドルを輩出した当時イエローキャブ社長であった野田義治さんが(現サンズ社長)が交渉しようしていましたが1日違いで他事務所に入ってしまったという話があります。巨乳好きの野田社長としては相当悔しい思いをしたでしょうね。
そして今では懐かしい「とんねるず」が司会の「ねるとん紅鯨団」で青木裕子さんが出演した際には司会である「とんねるず」の二人ともが彼女の魅力の虜になってしまいました。それだけ彼女が魅力的な女性であったことがよくわかりますね。
最後に芸能活動を休止していた間に彼女の歌手デビュー計画があったそうです。しかもそのプロデューサーはなんと当時超人気であった「小室哲哉」さん。しかし条件面で折り合わず、残念ながらプロジェクトは頓挫してしまったようです。その後、バンド活動をしていることからも歌手としての実力はあったと思われますので、もしもこの話が進んでいれば稀代の歌姫になっていたかもしれませんね。
現在の青木裕子は?
2009年の活動以降、表舞台で見ることがなくなってしまった青木裕子さん。その後の彼女というと、2010年になんと結婚していたそうです。そのお相手はバント時代に知り合ったギタリストさんとのこと。そしてそのまま地元である山形県へ帰郷しています。
ご実家は高畠町の隣である米沢市で回転ずし店を営んでおり、現在はお店のお手伝いをしていらっしゃいます。実は音楽活動をやめた時点で旦那さんはもうお寿司屋さんに修行にいっており、家業を継ぐ段取りをしていたようです。
そして近年2回ほどメディアにも登場しています。
1回目は2014年1月22日放送の『1番ソングSHOW 伝説のドラマ主題歌&幻のアイドル大捜索!最強2本立てSP』(日本テレビ系)で出演しています。テレビ自体には17年ぶりに姿を見せたということで大きな話題になりました。
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そして二回目はWebメディアである Smart FLASHの取材であす。これは2017年2月8日付の記事の様です。この記事では実際のお店の前で取られた彼女の写真が掲載されており、元気なお姿を見ることができます。
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インタビューで今後の夢として自分のお店を持つこととまたライブ活動などができればいいといったことを語っていらっしゃいました。これからも展望もあるということは今だファンの方には朗報であることは間違いありません。
もし今も「青木裕子」さんのファンでいらっしゃる方であれば、ぜひその目彼女の仕事姿を確認するついでにおいしいお寿司を食べていかれてはいかかでしょうか?