堺屋太一が83歳で死去。死因は?政治から作家(書籍)活動の功績まとめ。

元官僚で作家や評論家として活躍していた堺屋太一さんが83歳で亡くなりました。

今では当たり前に使われる「団塊の世代」という言葉も堺屋太一さんが作りました。

今回は堺屋太一さんの功績を偲びつつ、晩年や死因について見て行こうと思います!

堺屋太一さんのプロフィール

出典:朝日新聞デジタル

堺屋 太一 (さかいや たいち) さんは1935年7月13日に大阪市で弁護士の息子として生まれました。

本名は池口 小太郎 (いけぐち こたろう)さんと言い、 ペンネームの由来は戦国時代の先祖(商人)から採ったものであり、珍しい名前の「堺屋」はその当時の屋号だったのです、

追手門学院小学校から住吉高校へ進み、今の印象からすると意外ですがボクシング部に所属し、モスキート級(45kg以下)で大阪府のチャンピオンになったそうです!

父が弁護士・母が弁護士の娘で裕福な家庭らしく、高校時代のエピソード「母の手間を考えて弁当は白米だけ詰めてもらった」とありますが、戦後5~6年で弁当が白米の家庭は珍しいです。

その後、2年の浪人生活を経て東京大学・工学部建築学科 (後に経済学部へ転入)し、学業面では「経済学部で3番目」と優秀な成績を残して1960年3月に卒業しました。

 

官僚時代に万博へ関与

堺屋太一さんは1960年4月に当時の通商産業省 (現・経済産業省) に入省しました。

省内でも個性的な性格で知られており、早い段階から日本での万博開催を関係各所や政治家に提案して回り、1970年の「大阪万博」の企画・実施に携わって成功を収めました。

その後、沖縄開発庁に出向して1975年~1976年の「沖縄海洋博」も担当し、それから工業技術院に研究開発官として約3年間”自然エネルギー”に関わる研究をして退官しました。

入省して早い段階で出向していた点から、もしかすると堺屋太一さんは「出世街道」からは外れた存在で、それも含めて早期退官に長ったのかもしれませんね。

 

作家として多くの書籍を残す

出典:朝日新聞デジタル

堺屋太一さんは通産省に在職中の1975年に近未来の社会を描いた架空小説「油断!」で作家デビューし、数多くのフィクション・ノンフィクション小説や歴史小説を遺しました。

ここでは堺屋太一さんが遺した有名な作品について紹介していきます。

「団塊の世代」

1976年に発表した小説「団塊の世代」では、終戦直後の”第一次ベビーブーム”で生まれた世代を「団塊の世代」と定義し、その後は新語として定着しているのは御存じの通りです。

1976年の作品でありながら「終身雇用と年功序列が崩壊」「高齢化による年金・医療などの社会保障制度危機」を題材として取り上げており、今から見ると驚くほど的中していますよね。

堺屋太一さんもここまで新語として定着するとは思って無かったそうです (笑)

「秀吉 夢を超えた男」

1996年に出版された「秀吉 夢を超えた男」は同系列の「鬼と人と~信長と光秀~」や「豊臣秀長 ある補佐役の生涯」と合わせた形で1996年の大河ドラマ「秀吉」の原作になっていました。

小説「秀吉 夢を超えた男」は放送後に内容を書き起こして出版した形になっています。

大河「秀吉」は平均視聴率30.5%・最高視聴率37.4%を記録する大ヒット作になりました。

「平成三十年」

1998年に朝日新聞で連載・出版された「平成三十年」も予測小説として知られています。

過去の「団塊の世代」の続編と呼ばれており、作中では「改革に及び腰で問題を先送りの政府」「少子高齢化による社会保険の負担増大」を取り上げた内容で当時の社会に衝撃的を与えました。

もうじき平成が終わりますが、良くも悪くも多くの予想が的中する形になっていました。

 

政治との関り

出典:中日新聞

堺屋太一さんは小渕内閣 (1998年7月29日 – 2000年4月5日) ~ 森内閣 (2000年4月5日 – 2000年12月5日) で約2年半を内閣府・経済企画庁長官を務めました。

それ以後は「みんなの党」や橋下徹さんなど改革派を支援する活動をしており、特に維新関係を推しており「経済人・大阪維新の会」の最高顧問を務めるなどしていました。

安倍内閣が発足後は内閣参与として協力する一方、2016年4月に「外国人雇用協議会」を設立して会長に就任して外国人労働者の受け入れ拡大を熱心に提案していました。

 

病気が悪化し83歳で死去

堺屋太一さんは2019年1月頃から体調を崩して東京都内の病院で入院生活に入っていましたが、治療の甲斐なく2月8日に多臓器不全で亡くなったと発表されました (83歳没)

家族は奥さんの史子さん(洋画家)だけで、ふたりの間に子供はいませんでした。

着物の女性が堺屋太一さんの奥様ですが、著名な洋画家として活躍していました。

通夜は2月16日・告別式は2月17日の予定と発表されています。

心よりご冥福をお祈りいたします。