市原悦子が82歳で死去。死因は?家政婦役や日本昔ばなしなど功績まとめ。

市原悦子さんと言えばおっとりとした役柄が日本のお母さん的存在でしたよね。

母親のように優しく包んでくれるような語り口はナレーションとして最高でした。

今回は旅立ってしまった市原悦子さんの経歴や今までの功績などを見て行きます。

市原悦子さんのプロフィール

出典:時事ドットコム

市原 悦子 (いちはら えつこ)さんは1936年1月24日に千葉県千葉市で生まれました。

千葉市立・末広中学校から千葉県立・千葉高校に進学し、高校の部活で演劇部に所属し、そこで初めて「演技」に取り組み以後は演じることの楽しさに没頭したそうです。

高校卒業後は早稲田大学第二文学部演劇専修で学び、女優を目指して俳優座養成所へ参加。

同期にはジェームス三木さんや大山のぶ代さんなど個性的な俳優がたくさんいました。

1957年に俳優座に加入すると「りこうなお嫁さん」で俳優デビューして新劇新人推賞を受賞!

1959年:「千鳥」で芸術祭奨励賞

1963年:新劇演劇賞

1964年:ゴールデン・アロー賞新人賞

数々の賞を獲得し、瞬く間に若手演技派女優として注目される存在になりました。

1971年(35歳)に長らく在籍した俳優座を退団して翌年に「番衆プロ」を立ち上げました。

 

まんが日本昔ばなしで大ブレイク

https://youtu.be/FpveLGTUxC0

1975年に毎日放送が製作した「まんが日本昔ばなし」の語りでご存知の方も多いと思います。

上記の参考動画はNHKのパロディ企画ですが、円熟味を増した市原さんを味わう事が出来ます!

語りは市原さんと常田富士男さん(2018年没)の2人が子供からお年寄りまでを演じて担当していましたが、まさか中の人が1人だったとは当時の子供は思ってもみなかったでしょうね(笑)

厚生省 (現在の厚生労働省)が管轄していた中央児童福祉審議会の推薦を受けるなど公共性のアニメとして注目を集め、学校教育や地域の公民館などでも上映されていました。

1994年3月末で打ち切りられましたが、かなりの抗議がテレビ局に殺到していたそうです。

 

「家政婦は見た」で大ブレイク

家政婦は見た ED

1983年のテレビ朝日「土曜ワイド劇場」で“家政婦は見た!”シリーズがスタートしました。

サスペンス枠でありながら殺人事件が発生しない特異な番組内容で、家庭内のゴタゴタや当時の時事ニュースなどを組み込んだホームドラマと言った感じでしょうか。

「家政婦は見た!」は1983年~2008年までの約25年間に渡ってシリーズが放映され、1997年10月~12月にかけて連続ドラマ版が製作されるほどの人気作となりました。

以後、2時間ドラマで好評だった作品が連続ドラマになるパターンが増えて行きました。

シリーズ終了後も米倉涼子さんが「家政婦は見た!」を務めたり、オマージュ作の「家政婦のミタ」が放送されましたが、やはり家政婦は市原さんだな・・が多くの感想だったそうです(笑)

ちなみにこのエンディングテーマ「きっと倖せ」は市原さんが歌っています。

 

NHKで放送禁止用語を連発

出典:livedoor.com

市原さんが放送禁止用語を・・と言っても卑猥な単語ではないので安心して下さい(笑)

1番好きな昔話は「やまんば」で「私のやまんばの解釈は世の中から外れた人。例えば“かたわ”になった人、人減らしで捨てられた人、外国から来た“毛唐”と言われた人」

「彼らは反骨精神と憎しみがあって他人への攻撃がすごい。そのかわり心を通じた人とはこよなく手をつないでいく。その極端さが好き」

と発言し、番組終了間際にNHKのアナウンサーが差別発言があったと謝罪しました。

これについては表現の一環なので差別意識は無かったのですが、NHKが自主的に「放送禁止用語」として謝罪した事で妙な空気になったと言われています。

この表現基準だと「日本昔ばなし」の再放送はかなり難しいでしょうね。

 

夫に先立たれる

出典:ariponnews.com

1961年(25歳)に演出家の塩見哲さんと結婚しますが、2人は芸能界きっての「おしどり夫婦」でした。

市原さんが出演する舞台の演出は必ず塩見さんが担当していたそうで、もっとも市原さんの良さや味を引き出すのは旦那である塩見さんだったのかもしれませんね!

2人は子供を望んでいましたが、2度の流産に見舞われ授かる事は叶いませんでした。

その後、塩見さんは市原さんを残して2014年4月に肺炎で亡くなってしまいました。

 

晩年は闘病生活の日々

出典:NEWSポストセブン

市原さんは2012年に「S状結腸腫瘍」手術のため映画「東京家族」を撮影前に降板しました。

2017年1月13日に「自己免疫性脊髄炎」治療のため芸能活動の一時休業を発表し、2018年の大河ドラマ「西郷どん」のナレーションで復帰が予定されていましたが体調面から辞退しています。

その後はナレーションなどの仕事で少しずつ仕事復帰をしますが、休業時の様子については・・

「それまで健康だったのに、急に手足のしびれや痛み、かゆみや寒気などが発生して、市原さんはパニックになりました。救いようのない症状に“もうダメだ”と絶望して、錯乱状態で入院した彼女は、当時のことをほとんど覚えていないそうです」

引用:NEWSポストセブン

「自己免疫性脊髄炎」はリウマチや痛風のような痛みがあるので相当キツイと言われています。

2019年1月12日深夜のNHK「おやすみ日本 眠いいね!」内で「こんな年になって盲腸になるなんて嫌だわ」とコメントが読み上げられていました (この日のコーナーは事前収録分)

日付の関係では13日深夜に盲腸で入院がニュースとなり、同じ日の夕方に訃報が届きました。

一連の流れから誤報も疑われましたが、都内の病院で「心不全」で亡くなったと報告されました。

これからも「日本のおばあちゃん」としての活躍が期待されていたのに残念です・・。

謹んでご冥福をお祈りいたします。