鴻池祥肇(こうのいけ よしただ)さんと言えば歯に衣着せぬ物言いで話題になっていましょね。
ストレートにズバッと発言するので問題発言になる事もしばしば・・。
今回は先日亡くなられた鴻池さんの活動などを振り返って行きます。
鴻池祥肇さんのプロフィール
出典:文春オンライン
鴻池 祥肇(こうのいけ よしただ)さんは1940年11月28日に兵庫県尼崎市で生まれました。
父・勝治さんは尼崎鴻池組や尼崎港運の社長を歴任した経済人でありつつ、後に尼崎市議会議員や兵庫県議会議員を務めた地元の名士として知られていました。
鴻池組を立ち上げた大伯父やその弟は関西では有名な任侠だったそうです!
その気風の良さが血筋として鴻池さんに遺伝し、国会やテレビ番組での歯切れの良さに繋がったと思えば不思議と納得してしまいますよね(笑)
息子は父親の秘書をしていた
出典:芦屋青年会議所
長男の鴻池 肇一(こうのいけ ただかず)さんは昭和44年12月18日生まれました。
父と同じく尼崎青年会議所理事長(父は18代目・息子は49代目)を務め、以後は参議院議員を務める父の公設秘書として政治活動の勉強をしていました。
2019年の参議院選挙に父が出馬しないことから後継者として名乗り出ますが、自民党兵庫県連内での投票に敗れた事から公認を得る事が出来ませんでした。
しかし、今回の突然の訃報により「父の弔い合戦!」を旗印にして戦う事が出来るため、今後は肇一さんの動向に注目が集まると思います。
国会議員としての鴻池さん
出典:サンテレビ
鴻池さんは1986年の第38回衆議院選挙に旧兵庫2区から出馬し初当選しました。
しかし、1993年の第40回衆議院選挙で落選してしまい、1995年の第17回参議院選挙に兵庫2区から出馬して復活当選を果たし、以後は参議院議員として活動を続けていました。
2002年9月30日に発足した小泉改造内閣(第1次)で構造改革特区担当大臣・防災担当大臣として初入閣し、翌年9月22日まで職務を全うしました。
以後は参議院予算委員長や麻生内閣の内閣官房副長官を務めていました。
過激な発言が話題に
鴻池さんは血筋や遺伝の影響もあってかズバッとした物言いが人気でしたが、あまりに包み隠さない表現が多くあり、メディアや国会で問題になっていました。
まずは2003年7月11日に長崎男児誘拐殺人事件についてのコメントです。
「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ。親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」
この発言については、報道後に賛同の声も多数事務所に届いたと語っていました。
次に、2003年7月18日に東京都で発生した4女児監禁事件(プチエンジェル事件)について。
「少女4人も、加害者か被害者か分からない」
この発言は後に撤回されましたが、同じように賛同の声が上がっていました。
発言が全方位からは袋叩きにならないのが鴻池さんの特徴で、思っているけど言うのは度胸が要る内容をストレートに表現しており、賛否が分かれる内容が多かったですね。
晩年の鴻池さんについて
出典:IWJ
晩年は自民党内で保守派の重鎮として活動し、国会だけでなくテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」で社会問題について積極的に発言を続けていました。
一方で、女性問題や2017年に報じられた森友学園問題にも関与が疑われていました。
女性問題で役職を解かれた
2009年1月に「週刊新潮」で議員宿舎に泊まる超一流企業の「美人妻」との関係を写真付きで報じられ、河村建夫官房長官から厳重注意を受けました。
さらに「週刊新潮」は大々的にキャンペーンを行い、先の女性だけでなく「機密漏洩疑惑」や別の女性と熱海温泉へ旅行し、その際に国会議員の特権”JR無料パス”を使用したと報道。
一連の流れを受けて麻生総理は鴻池さんの更迭を決断し、自民党兵庫県連は鴻池さんを除籍処分にしましたが、これが現在の長男・肇一さんの重しになっている様子でした。
森友問題で注目を集める
2014年4月頃に籠池夫妻から「紙に入ったもの」を差し出され、財務省への口利きを頼まれるも即座に断ったエピソードを語って注目を集めました。
鴻池さんは特段、財務省に対して強い影響力がある訳では無いですが、籠池夫妻の掲げていた「保守的思想の教育方針」に共感していた事から口添えを頼んだ事が推測されました。
籠池夫妻が特に反発していない点からも、このエピソードは事実だと思われます。
病魔に倒れる
2018年12月25日に鴻池さんが亡くなった事を複数の関係者が明らかにしました。
今のところ鴻池さんの詳しい死因などは発表されていませんが、実は2009年頃に「間質性肺炎※」で入院していた過去があったそうです。
(※間質性肺炎は肺胞と毛細血管を取り囲む”間質”と呼ばれる組織に生じる病気)
最近は体調がすぐれない事が多く、体力面の不安から次期参議院選挙への不出馬を決めるほどだったので、周囲が思っている以上に深刻だったのかもしれません。
謹んで鴻池祥肇さんのご冥福をお祈りします。