木村沙織の生い立ちと学生時代
出典:日本オリンピック委員会
木村沙織さんは1986年8月19日に埼玉県八潮市で生まれました。
父親の仕事の関係で東京や大阪などを転々とし、後に東京都あきる野市に定住しました。
小学校は近所の”市立・多西小学校”に通い、両親がバレーボールをしていた関係から小学2年から秋川JVC(ジュニア・バレーボール・クラブ)に入団しました。
秋川JVCは守備練習を重視するチームだったらしく、この時にレシーブの基礎練習を数多く経験した事が大人になった今のレシーブ力に活かされていると語っていました。
小学4年生の頃「週末に思う存分友達と遊びたい」との思いでチームから2週間離脱しますが、物心がついてから引退までの間でバレーから離れたのはこの時だけだったそうです!
小学6年生時に東京都小学生バレーボール連盟の大会「東京新聞杯」で優勝していました。
名門・成徳中学へ入学
中学校~高校はバレーボールの名門・成徳学園(現・下北沢成徳中学~高等学校)に進み、部活の先輩に大山加奈や荒木絵里香と言った後の名プレーヤーが活躍していました。
中学3年間で身長は15cmも伸びて178cmになり、守備だけでなく攻撃でも主力になりました。
全日本中学校バレーボール選手権大会で優勝し、全国都道府県対抗中学バレーボール大会では「もっとも将来に期待する選手に贈られる」JOC杯を受賞しました。
成徳高校への進学と代表デビュー
エスカレーター式で成徳学園高校(現・下北沢成徳高等学校)に進み、高校2年の頃から主力選手として2003年の「春高バレー」で優勝し、成徳学園の2連覇に大きく貢献しました。
同年、インターハイ閉幕と同時に全日本代表の強化合宿に招集されて9月のアジア選手権に出場し、レギュラー選手の故障もあって代打としてワールドカップにも出場しました。
2004年の「春高バレー」で決勝戦でスパイクを決めた直後に味方の横山選手と接触し右足首を捻挫し、本人の意思で応急処置をしてプレーを続行するも九州文化学園に敗れて準優勝に終わりました。
6月にインターハイ関東予選では予選敗退を喫し、再び全日本合宿に招集された7月からワールドグランプリに出場するも日本チームは予選落ちしてしまいました。
2004年アテネオリンピックでは最終予選から全日本代表として帯同し、初戦のイタリア戦で代表初スタメン出場を果たして14得点をマークしました。
同年12月に高校最後の試合「全国私学大会」に出場するも腰痛を発症しており、決勝戦の第2セット終盤に切り札として出場しますが、得点を決める事なく高校バレー生活を終えました。
可愛らしい表情から「サオリン」の愛称でファンから親しまれる存在になりました。
日本代表や実業団で躍動
出典:産経ニュース
高校卒業後は東レに入社し実業団チーム「東レ・アローズ」に所属しました。
チームには成徳時代の先輩である大山や荒木が在籍しており、慣れない環境・新社会人生活の中で先輩の存在は大きな支えとなった事は間違いないでしょうね。
実業団での活躍と海外移籍
2005年7月の「女子ジュニア世界選手権U-20」で全試合にスタメン出場して得点王に輝き、腰痛からの復活を印象付ける事になりました。
怪我を克服し、東レのエースとしてチームを輝かしい栄光に導きました。
2007年:天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会で優勝
2008年: 2007~08プレミアリーグで東レのリーグ初優勝に貢献
2009年: 2008~09プレミアリーグ女子史上初の2連覇と黒鷲旗優勝
2010年: 2009~10プレミアリーグ女子史上初の3連覇に貢献
2012年: 2011~12プレミアリーグで東レアローズ4度目の優勝に貢献
2012年7月10日に来シーズンよりトルコリーグ「ワクフバンク」へ移籍(年俸1億円)すると発表してファンに大きな衝撃を与え、9月末を持って東レを退社(東レ・アローズも退団)しました。
2013年3月には欧州チャンピオンズリーグにおいて優勝を果たしますが、主力ではなくピンチサーバーからの守備固めでの出場が多いのも事実でした。
同年6月3日にワクフバンクから「ガラタサライ」への移籍を発表しました。
2014年6月5日に東レ・アローズへの復帰と2年間のプロ選手契約を結んだと発表しました。
オリンピック選手として
出典:naver.jp
社会人になってからは3度(高校時代を含めると4度)のオリンピックを経験し、女子室内バレーで日本初のオリンピック4大会連続出場を達成しました。
アテネと北京(2004~08)大会は怪我や不調がありましたが、ロンドン大会(2012)では主力選手として全試合に出場し、日本女子バレーボール28年ぶりの銅メダル獲得に大きく貢献しました!
リオデジャネイロ大会(2016)ではキャプテンとしてチームを牽引しますが、最終予選の時に右手小指を負傷しながら精神的な支柱として大きな存在になりました。
リオ大会では2大会連続のメダルこそ獲得できませんでしたが、キャプテンとして大きな役割を果たし、プレーヤーだけでなく指導者としての才能も開花させたのかもしれません。
人気が高まりフォトブックも発売
出典:amazon.co.jp
木村さんはスポーツ選手としては異例のフォトブック2冊発売の実績がありました。
2011年には「Saori―木村沙織フォト&エッセイ」を発売し、2013年にも「232days in Turkey ―木村沙織フォトブック」を発売しました。
2冊目はトルコでの様子やプライベートの私服姿などが掲載されている内容でした。
現在は結婚して現役を引退
出典:バレーボールマガジン
木村さんはリオデジャネイロ大会が終わった2016年12月31日、元インドアバレーで現・ビーチバレー選手の日高裕次郎さんと結婚した事を発表しました。
日高裕次郎(ひだか ゆうじろう)
鹿児島県出身
1986年11月21日生まれ 身長191cm/体重84㎏
日本体育大学卒業
現役を引退(2017年3月)
そして2017年3月22日に記者会見で正式に現役引退発表しました。
緊張した様子で登壇した木村は、引退を決意した理由を「気持ち的に前ほど悔しい気持ちがなくなったり、試合に負けて『くそー』みたいな感覚が少し薄れてきた」と説明。「動きはピークと変わらずに試合に出ていた」とも語り、体よりもメンタルの要因が大きい様子だった。会見では何度も感謝の言葉を繰り返し、今後については「私らしく第2の人生を楽しみたい」と語った。
引用元:「私らしく第2の人生を楽しみたい」 木村沙織 現役引退の報告会見
今まで何があってもバレーボールが(優先順位の)1番上、それが当たり前だったので順番をこれからは1番を家族にしたい。
子供が好きなので、2人か3人ほしい。
引用:デイリースポーツ
現在(2018/10時点)はまだ子供はいない。
木村沙織自身がプロデュースするカフェを開店(2018年8月)
そして最近は期間限定ながらカフェのプロデュースやバレーボールの中継で活躍しています。
元女子バレーボール日本代表の木村沙織(31)が3日、東京・丸の内で行われたコラボカフェ『kimura saori“Chocotto”cafe Gallery 』のプレス内覧会に出席。初プロデュースを手がけたカフェがオープンを迎え「現役の時から、みんなが集まれるようなアットホームなカフェを持ちたいと、昔からの夢でした」と感無量の表情を浮かべた。
引用元:木村沙織、初プロデュースカフェが開店「現役からの夢」【動画付き】
当面は家庭第一でプライベートの時間を過ごして欲しいですが、いつの日か指導者としての木村さんの姿も見てみたいと思いました!