華やかな石原兄弟の長男として
出典:文春オンライン
1932年9月30日に兵庫県神戸市須磨区で誕生した石原慎太郎さんですが、その後は神奈川県逗子市へ移り神奈川県立湘南高等学校へ進みました。
高校ではサッカー部に所属し、レギュラーとして活躍するなど体育会系の一面も持っていました。
高校卒業後は公認会計士を目指して一橋大学法学部へ進学しましたが、自分自身で会計士に向いていない事を悟り文筆活動へシフトしました。
自身の二作目「太陽の季節」が第34回芥川賞と第1回文學界新人賞を受賞し、文芸界の若手ホープとして注目される存在となりました。
その後「太陽の季節」が映画化されるにあたって石原さんは弟・石原裕次郎さんを推薦しており、結果的に昭和の大スター「石原裕次郎」を誕生させたと言えますね。
大学卒業後は作家として活動し、石原兄弟を題材とした「弟」が大ヒットするなど地位を確立します。
石原兄弟関係についてですが、最初は”慎太郎の弟”でしたが次第に”裕次郎の兄”へと世間的な人気は逆転して行き、後の国政挑戦においても「裕次郎の兄」として知名度を集めました。
文壇から国会へと舞台を移す
出典:asahi.com
石原さんは作家としてベトナム戦争を取材した際に政治の重要性を痛感したらしく、以後は政治家を志すようになったそうです。
当時も田中角栄を中心とした“政治と金“が問題となっており、その政治風土を厳しく批判する立場でありながらも同じ自由民主党から出馬を決意したそうです。
史上最多の301万票を獲得
初出馬した1968年の第8回参議院議員通常選挙では全国区で史上最多の301万票を獲得し、青島幸男や横山ノックと言ったタレント議員として話題になりました。
政治姿勢は「反共産主義・保守」のスタンスで政治活動や文筆を続け、1972年に衆議院へと鞍替えし保守政策集団「青嵐会」を結成し政治家・石原慎太郎として脚光を集め始めます。
1975年に東京都知事選挙に出馬するも美濃部亮吉に僅差で敗れますが、翌年の衆議院選挙で国政に返り咲くと同時に福田赳夫内閣で環境庁長官にとして初入閣しました。
環境行政の経験はありませんでしたが「水俣病補償問題」に熱心に取り組み、政府として患者に謝意を表明し評判になる一方で「ニセ患者もいる」等と発言し土下座で謝罪する一幕もありました。
1995年に衆議院議員を辞職
1987年に竹下内閣で運輸大臣に就任し政治家として力を着けて行き、1989年には亀井静香らに推されて自由民主党総裁選挙に出馬するも大敗を喫してしまいました。
以後は精彩を欠く日々を過ごし、1995年4月の議員在職25年表彰を受けての衆議院本会議場での演説中に「日本の政治は駄目だ。失望した。」と発言をして衆議院議員を辞職しました。
国会議員から東京都知事へ
出典:毎日新聞
1999年に行われた東京都知事選挙へ出馬を模索していたが、前知事・青島幸男の後継指名を受けた鳩山邦夫やテレビで有名な舛添要一を尻目に沈黙を続ける戦略を採りました。
全ての候補者が出揃ってから手を挙げる「後出しジャンケン」はこの時から有名になったらしく、以後の都知事選挙では必勝法として囁かれるほどの威力を持っているそうです。
結局のところ、最後に手を挙げればメディアの報道的にも有権者の記憶に残りやすいと言う単純な戦略であり、この手法の賛否は分かれています。
石原都政は3期13年に及び、現在も残っている制度・建物も多数あります。
・ディーゼル車排ガス規制
・臨海副都心開発(お台場など)
・東京マラソン
・東京オリンピック構想
・首都大学東京
・築地市場移転計画
保守強硬派のイメージがありますが、児童福祉や高齢者福祉にも積極的に取り組み、弱者への手厚い補助や無料乗車券などの交付も行っていました。
一方で自身の四男・石原延啓を起用したり家族や知人を「若手芸術家支援事業トーキョーワンダーサイト」に関与させた事が批判を呼んでいました。
新銀行東京の融資の大半が三男・石原宏高の選挙区(品川区と大田区)に集中していたと疑惑が持たれていますが、東京の中小企業の多くが大田区にあるのも事実です。
都政の後半は人事の贔屓や金にまつわるトラブルが目立ち、遠い昔に批判していた田中角栄と変わらない姿になった事に気付いて居たのでしょうか?
都知事退任後の現在
引用:アエラドット
2012年11月16日に石原と橋下徹(日本維新の会)が都内で会談を行い、その場で石原の所属する「太陽の党」を日本維新の会が吸収合併する事で合意に達し、翌17日に正式発表されました。
同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で再び国政復帰するも、2014年5月28日に石原・橋下両共同代表が会談し、日本維新の会を分党する事で合意。
石原が江田憲司を中心とした「結いの党」との合流に極めて批判的で、合流を進める橋下との政治的隔たりが修復できない段階に来ていたそうです。
2014年政界を引退、その後作家へ
2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙で落選し、16日に政界を完全に引退すると表明。
2017年3月20日に小池百合子都知事が取り組む豊洲市場移転問題に関連して、都議会百条委員会にて証人喚問され公開の場で証言をした。
以後は作家としての活動を再開させ、2018年8月からは小説「湘南夫人」の連載を開始するなど意欲的に取り組んでいる様子でした。
産経新聞に連載していたコラム「日本よ」が突然打ち切られ、同様の内容を自身の公式ホームページで掲載して政治的な発信も欠かさず行ってました。
目下、憲法改正が取りざたされる政治状況となっており、再び石原慎太郎が脚光を浴びる日が来るかもしれないですね。