角田信朗の略歴
1961年4月11日生まれ。奈良県出身。
角田信朗の名が世に広まってきたのは2000年前後の格闘技ブームから。
当時、グレイシー一族や桜庭などの人気格闘家が台頭していましたが、K-1では武蔵、アーネスト・ホーストなどが有名。
そんなブームの一世代前にK-1で活躍していたのが角田信朗です。
ブームのころには既にベテランの領域に達していましたが、角田信朗は選手でありながら解説者をしたり、リポーターをしたりしていました。
その過程で名声を上げてきており、2003年に武蔵戦をもって現役を引退しましたが、その後は曙と対戦をして完敗しました。
K-1引退後
K-1引退後はレフェリーとしての活躍がほとんどでしたが、試合をストップするタイミングが遅いことが原因で業務停止処分を受けます。
その後のフェリー活動はやや少なめに。
そして、次に角田信朗がハマッたのがボディビルディングです。
ボディビルダーとしての活躍は後述しますが、K-1引退後の活動の一つとして歌手活動もあります。
もっとも有名なのは「花の慶次」におけるテーマソング。
圧倒的な歌唱力で、ファンに大きなインパクトを与えました。
ボディビルダーとしての活躍
格闘家として築き上げた肉体と、鍛錬する精神力でボディビルダーになった角田信朗。
大会での実績は2015年にグアム親善の大会で優勝の成績を収めたのが最初の功績です。
その後も数々の大会で入賞・優勝の実績があり、
2016年では日本マスターズ選手権大会でも準優勝しています。
実際に身長は低いほうですが、ムキムキの体をしているのは本当に圧巻です。
それでいて格闘技術も持っていますから、未だに強いのではないでしょうか。
現在の角田信朗の活動
これまでの行っていた活動は引き続き継続しています。
・格闘技のレフェリー
・格闘技番組のコメンテーターやリポーター、解説
・歌手活動
・ボディビルダー
特番やボディビルダーの大会がない限り、仕事がなかなかない状態なのですが、普段はどのような仕事をしているのかを調べてみたところ、地方の営業が結構入っている印象でした。
地方のイベントなどに参加し、歌を披露したり、講演を行ったり、筋肉のアピールをしたりそういったことで来場者を楽しませているようです。
それが評判がよく、全国津々浦々を飛び回っています。
本人のアメブロではいろんな営業に行っている情報が掲載されています。それを見る限りでもすごい数の営業にいっていることがわかります。
知名度もかなり高く、さらにタレントとしての能力も兼ね備えていて、さらにトークもしっかりしているので、芸能活動でこれからも食べていくことでしょう。
ただ、年齢ももう50代も半ばを過ぎようとしています。
歌は加齢しても問題ありませんが、格闘技のレフェリーやボディビルはそろそろ引退しなければならなそうですね。
力強い歌声に磨きをかけて、今後の活躍も期待しています。