三都主アレサンドロ、ブラジルに帰っている現在

三都主アレサンドロが日本人になるまで

もともとは生粋のブラジル人でしたが、ブラジルの高校生の時に明徳義塾高校と対戦したのをきっかけに、明徳義塾高校に留学生として入学することになりました。

そこから清水エスパルスに入り、日本代表までの選手に育ったんですが、24歳の時に日本国籍を取得したため、日本代表には25歳になる年にようやく選出。

当時はロペスやラモス瑠偉のような先駆者がいたため、日本に帰化して代表選手になるということは、日本人にとってすごく喜ばしい情報として報道されていました。

 

三都主のこの漢字は、帰化する外国人は常用漢字で名前を決めないといけないのですが、「3つの都の主」は、ブラジル・高知・清水の自分を育てた3つの故郷を意味するそうです。

 

現在は日本国籍とブラジル国籍の二つを所有していることになります。

ただ、サッカー日本代表に選ばれ出場したことがあるため、ブラジル代表には選ばれることはサッカーの規約上、不可能。たしかにそれがまかり通ってしまったら、国際試合も移籍金が飛び交って面白みが全然なくなってしまいますもんね。

 

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三都主のJリーグでの活躍

日本代表では左サイドバックを務めていたので、DFのイメージが強い三都主ですが、フォワードもできるユーティリティープレイヤーです。

清水エスパルス時代ではいろんなポジションをこなしながら198試合に出場し、56得点を決めています。

 

ドリブルを得意とし、またフリーキックの精度も高く、左利きということもあり試合に欠かせない存在になりました。

しかし、体力面に課題が。スタミナはあまり多い方ではなかったため、途中交代が目立ちました。それでも清水時代に築いたゴール数は同クラブでもかなり多いです。

 

清水を退団したあとは浦和レッズに。

その頃から日本代表に選ばれるようになりました。

 

2007年にはヨーロッパのザルツブルクに移籍しましたがそのまま浦和にレンタルしている状態。

すぐにザルツブルクは退団し、浦和には2009年まで在籍。

 

その後は、名古屋グランパス、栃木、岐阜と渡り歩きました。

 

 

実は2002年委プレミアリーグのチャールトンに移籍話がでましたが、イギリス政府から労働許可が下りなかったため実現しませんでした。

移籍金は350万ドル。日本円で4億円以上になっていただけに残念。

 

それだけ、三都主が評価されていたということです。

 

 

 

2015年、ブラジルに帰国

2014年に在籍していた岐阜では契約満了に伴い退団しました。

翌年からはブラジルのマリンガFCというクラブに入団することになります。

 

2003年に三都主は日本人女性と結婚しており、2005年には子供も生まれていますが、その家族もつれて2015年からブラジルでプレーをします。

 

ブラジルに帰ってからは目立った成績は残せていません。

年齢も2017年現在で40歳になるので、選手としてはもう潮時かもしれませんね。

 

2015年はマリンガとグレミオ・マリンガというチームに在籍していましたが、現在はまた違う組織に・・・

 

 

 

 

現在のサントス・アレサンドロ

現在はブラジルのパラナ・サッカー・テクニカル・センターというところに在籍中。

 

日本人の留学生など、各地からセンスのあるサッカープレイヤーを集めて育成したらプロクラブに売却するというビジネスを行っている組織です。

日本にいた時ほどの収入はないかもしれませんが、有名選手なので現地ではそこそこの収入があると思われます。

 

三都主は日本代表に名を連ねるころ、ブラジルに住んでいた両親に日本円で1億円以上もする豪邸をプレゼントしています。

現在、三都主の自宅がどこかは明らかになっていませんが、両親と同じ町に住んでいるという情報があったので、その豪邸に住んでいる可能性も高いですね。