金平桂一郎とは
1965年生まれのボクシングジムの経営者です。
もともとは自身もボクシングをしていましたが、プロボクサーとしての活躍はしておらず、父親である金平正紀氏が経営していた協栄ボクシングジムを継いだ2代目。
ロシアのレスガフト記念体育大学に留学経験を持っていて、ボクシングの知識は豊富。
34歳という若さで全国的にも有名な協栄ジムの会長になりました。
29歳の時に結婚しており、強面の見た目とはギャップがありますが、温厚で礼儀正しい男性との評判です。
金平会長が有名になったきっかけ
やはり、亀田3兄弟が協栄ボクシングジムに所属していたことにあるでしょう。
数々の破天荒なコメントやパフォーマンスで亀田兄弟が注目を浴びていましたが、何か問題があるたびに会見などでジムのトップとしてメディアに登場していました。
ボクシングの試合のコメンテーターや解説などで登場し知名度が上がればよかったのですが、亀田兄弟の横で謝っている姿しか一般的にはイメージできません。
特に、内藤大助 VS 亀田大毅の試合では、亀田大毅の反則が全国的に大きな話題となりました。その時の金平会長はしっかり世間と内藤大助、そしてボクシング関係者に謝罪をしていて、とにかく本当にしっかりした良い印象の会長です。
また、その内藤 VS 亀田の試合では1万人の観客に乱闘に備えて傷害保険をかけたことでも有名。
マネージメント能力にも優れています。
協栄ジム会長としての金平桂一郎
オリンピックで金メダルを獲得した村田がプロボクサーに転向すると表明したことがありました。
その時、全国各地の有力ボクシングジムは、こぞって村田獲得に動きましたが、金平会長は契約金として1億円を用意していたらしいです。
ボクシングジムとの契約金で1億円はもちろん破格。
プロボクサーはバイトをしながらでも試合に臨むのが一般的で、ボクシングジムもまた金銭的な余裕があるところは少ないのです。
そんな中、一人の選手に1億円だなんて・・・
結局村田は帝拳ボクシングジムに入り、プロ転向から数々の圧勝劇を繰り返しました。
金平会長の先見の目は確かであったことが証明されましたが、獲得できていればもっと協栄ボクシングジムも潤っていたのでしょうね。
現在の金平桂一郎会長の活動
現在も協栄ボクシングジムの会長として活躍中です。
村田の獲得はできませんでしたが、それでも現在では亀田和毅が日本でのプロボクサーとして認められたので、ツイッターを見ても亀田和毅への期待感はかなり大きそうですね。
ボクシングジムの経営者として、ビジネスの手腕にも長けていて、有名選手や実力のある選手はどんどん採用しているようです。
また、やはり影響力のある人物ですので、政治的な発言も少ししています。
例えば亀田和毅が日本でのライセンスを獲得するためにはJBCの判断などが必要になり、多少は公的機関との繋がりや情報が必要になります。そのために、世界の動向、特にボクシングがメジャーなスポーツであるアメリカやタイなどの政治的な動向はしっかりチェックしているようです。
ネットの情報では亀田一家と縁が切れたとの情報など、デタラメな情報が多数ありましたが、実際は全然そんなことはありません。
亀田兄弟にはかなり頭を抱えた時期もあったけど、今現在もかなり応援しているようです。大毅も興毅もすっかり大人になって礼儀正しくなりましたし、良いふうに成長しましたからね。
今後も協栄ボクシングジムの会長を続けていくと思われる金平会長。
また記者会見で選手と一緒に謝罪する姿は見たくありませんが、今後も第一線で活躍すると思います。