純血の日本人であるペルーの大統領時代
フジモリ元大統領は熊本県出身の両親のもとに生まれた純潔の日本人です。
日本人の血が流れていますが、生まれも育ちもペルー。
*政治家専門の雑誌で日本生まれを指摘されていますが、本人は否定。
ペルーの国立大学を出てからは大学院に進み、首席で卒業したあと、そのまま在学していたラ・モリーナ国立農科大学で数学の先生になりました。
1971年、33歳になるころには教授にまで上り詰めたフジモリ元大統領は、その後アメリカに留学などを経て46歳という若さでラ・モリーナ国立農科大学の学長になりました。
そのころからテレビの討論番組で司会を務めるなど、名実ともに注目を浴び始めます。
そして、52歳のころに大統領選挙で当選。
下馬評では票を集めれないと思われていましたが、「仕事・勤勉・科学」のスローガンを掲げており、それが国民の思想と一致した形になりました。
ちなみに本名はアルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ。名字が2つ続くのはペルーならではだそうです。
日本名は「片岡 謙也」。母の旧姓が日本名で使われており、父親の藤森という名字がペルーの本名に入っています。
フジモリ大統領はなぜ捕まったのか?
フジモリ大統領が捕まったニュースは日本でも大きく報道されました。
2007年に逮捕されることになりましたが、そこからさかのぼること7年。
民間人殺害の罪で起訴されることになりました。
え?と驚く人も多いでしょうけど、フジモリ大統領は本当に良い人で、大統領を務めていたころに貧困者を積極的に支援する規則や法律を作りました。
それに反対していた上層階級の連中は、貧富の差がなくなることを嫌い、フジモリ大統領を悪者に仕立て上げることを意識し始めました。
その結果、アメリカとの間で起きたペルーの兵士の個人の問題(民間人を犠牲にした事件)を当時の大統領であったフジモリ大統領のせいにして、起訴してしまったのです。
もちろん、国内ではその事件に対してフジモリ大統領は悪くないという意見をいう下層階級の国民は大勢いました。
しかし、大企業や長いものに巻かれた政治家たちは、そろってフジモリ大統領を悪者にしたのです。
簡単に説明しましたが、そんな感じ。
2000年に起訴されてからは日本に亡命などしておりましたが、2007年にペルーに強制送還されて、そのまま逮捕されてしまったのです。
2010年に実刑判決が確定し、収監される
2009年にラ・カントゥタ事件とバリオス・アルトス事件と呼ばれる民間人殺害事件でフジモリ大統領は有罪判決が下りました。
それらの事件は前述のとおり、兵士が個人的に起こした事件で、軍の最高責任者である大統領が有罪という処罰を下された、日本では考えられない判決でした。
2010年には二審でも有罪と判決され、これで禁固刑が確定。
公金横領の罪に関しては、証拠不十分として無罪判決は下りましたが、その殺人罪で懲役25年。
もっとも日本に亡命したことなども考慮されてしまったのが、刑期を伸ばしてしまった理由ではありますが、フジモリ大統領本人が悪いことをしたわけではないので、日本人としてはちょっと納得がいかない判決ですよね。
2010年に判決が下るとそのまま収監されてしまい、刑期が始まります。
現在のフジモリ大統領
25年の刑期を終える頃は96歳という高齢になるフジモリ元大統領ですが、2016年に病気により入院することになりました。
これは日本でも報道されましたが、たった数日でまた収監されました。
現在も警察の施設で収監されている状態です。
警察の施設であるため、牢獄のような過酷なイメージはありませんが、また表舞台に立つのはこれから20年も先のこと。
それまでご健在だと良いのですが、いつか、いろいろとこの件についても語る日が来てほしいですね。