俳優・タレントのルー大柴
高校を卒業すると両親の中が悪かったこともあり、実家を出てヨーロッパに行き自分で作ったアクセサリーを販売しながら放浪していた。
この経験から、英語が上手になり特技へとなっていく。
日本に帰ってくると両親は離婚しており、母親の実家である印刷会社に就職している。
しかし、印刷会社での仕事は長くは続かず、退職している。
印刷会社退職後は、『三橋達也』さんの付き人になり、1977年にはテレビドラマ『俺たちの朝』に端役ながらも出演し、俳優としてデビューしている。
それ以降、俳優業は全く仕事がなくモデルや司会をしているときに、『関根勤』さんと出会っている。
1979年に勝新太郎さんが主宰した『勝アカデミー』の第一期生として参加しており、そこで『小堺一機』さんと出会っている。
モデルとして事務所のパンフレットに掲載されたウエストポーチをつけた格好が小堺さんと関根さん司会の番組で話題になり、ポシェット・ルーと呼ばれ人気が出てきて自分のコーナーを持てるようになっていた。
その後、関根さんの劇団の旗揚げに参加しており、『カンコンキンシアター』では独特なキャラクターで人気があった。
ルー35歳の時には、アデランスのCMに出演しており、『トゥギャザーしようぜ』が大流行している。
仕事も増えていき、大河ドラマや舞台、バラエティ番組司会なども幅広くこなしていた。
『笑っていいとも』の曜日レギュラーとしても活躍していた。
短期間のブレイク終了後は、舞台活動を中心にしていたのでテレビでの少なくなっています。
ルー語の誕生
2007年にくどすぎるブログと『寝耳にウォーター』などの発言が『ルー語』と呼ばれ、今まで最も嫌われていた女子高生の間で話題になっていき、再ブレイク。
また、CDを出しておりその歌『MOTTAINAI~もったいない~』が『みんなのうた』に起用されたことで、『ワンガリ・マータイ』さんが提唱していたMOTTAINAIプロジェクトに賛同している。
茶道の師範
2005年にマネージャーが変わったことで、そのマネージャーに一喝されたをきっかけに新しいことへの挑戦をしている。
そこで、430年の伝統を持っている遠州流茶道と出会いっている。
袱紗の使い方、茶碗の置き方など独特な作法が多く複雑で、最初は自分にも合わないと感じていたが、石の上にもスリーイヤーズと続けていくうちに徐々にできるようになっていき楽しくなったと言っている。
茶道を始め4年目の2010年には、準師範として許可されており、当代家元より『宗徹(そうてつ)』という名前を貰っている。
さらに、3年後には遠州流の師範として許可され、当代家元から『貫庵大柴宗徹(かんあんおおしばそうてつ)』という庵号を貰っている。
遠州流の茶道師範になったルーさんですが、『山野美容芸術短期大学』の客員教授にもなっています。
最初は、人間修養のためになるはずだと始めた茶道でしたが師範にまでなってしまっていました。
ルー大柴の現在
ルーさんは、最近でもまだタレント活動を続けているようで、講演などをしているようです。
60歳になったのをきっかけに社会貢献をしていこうと考えていたようです。
MOTTAINAI活動に出会ったことがきっかけでいろいろなボランティア活動に参加しているようです。
富士の樹海の掃除や近所の公園のトイレ掃除もしているそうです。
ルーさんは、早朝公園で太極拳をしているそうです。
太極拳を一緒にしている人たちの影響もあり、トイレ掃除をするようになったようです。
トイレ掃除をし始めた当初は、躊躇していたみたいですけど掃除をしていくうちにコミュニケーションが取れるようになっていき、タクシーの運転手さんやご近所さんたちから感謝されているようです。