ソ連大統領時代のゴルバチョフ
ソビエト連邦(ロシア連邦)の政治家であり、ソビエト連邦最後の最高指導者である。
1922年にソビエト連邦が成立した後で生まれた最高指導者はゴルバチョフのみである。
1985年3月にソビエト連邦の共産党書記長に就任しており、書記長に就任した直後にチェルノブイリ原子力発電所での事故が発生している。
事故が発生した際に、指導者でもある自分へ情報がまともに来なかったことで今の国家の体制に問題があると感じ、『ペレストロイカ(改革)』と『グラスノスチ(情報公開)』を断行している。
外交では新思考外交に打ち出しており東ヨーロッパの民主化革命を支持し、敵国であるアメリカ合衆国の大統領ブッシュ(父)とマルタ会談をしており、最終的には冷戦を平和的に終決させている。
他の国から批判を受けていたアフガニスタンの兵を撤退させ、東側の諸国の民主化を進めていった。
ドイツではベルリンの壁で東と西が分断されていたが、ゴルバチョフの活躍もありベルリンの壁を崩壊し、ドイツを東西統一へと導いている。
しかし、一方では政情が不安定になってしまい内戦が起こる国もあった。
共産党一党の独裁を廃止し、初の大統領制度を導入しており、1990年にソビエト連邦の最初で最後の大統領に就任している。
大統領就任と同じ年にノーベル平和賞を受賞している。
しかし、ソビエト連邦の経済面では成功とは呼べずに、市場経済への移行も十分ではなく経済を停滞させていた。
強権的な改革が多く、共産党保守派の反発が強まってしまいバルト三国の独立宣言を受け、危機感を持ったソビエト連邦の共産党保守派のクーデター『8月のクーデター』が起こり、家族と大統領補佐であった『アナトリー・チェルニャーエフ』らとともに別荘に軟禁されていた。
クーデターは失敗に終わっているが、1991年の12月に大統領を辞任している。
大統領を終えた後のゴルバチョフ
1991年に大統領辞任後は、『国際社会経済・政治研究基金(通称ゴルバチョフ財団)』を設立しており、自ら会長職に就任していた。
その後、環境問題に主な活動を移しており、『グリーンクロス・インターナショナル』の会長とし、地球サミットの事務局長のモーリスと共に国際環境保護活動を積極的に行っていた。
1996年には、大統領選に立候補し参戦しているが落選している。
イタリアの自動車メーカーでもある、ランチノのCMに出演しており、『アウン・サン・スー・チー』や『レフ・ワレサ(元ポーランド大統領)』らとも一緒に出ている。
2008年には、『アレクサンドル・レベデフ』というロシア独立民主党を結成したことを発表し、活動を開始している。
創価学会と深いつながりのある現在のゴルバチョフ
1990年以降に、創価学会の池田大作名誉会長と交流があるようです。
創価学会の名誉会長の池田大作とは、昔から幾度となく階段をしており、2007年には9度目会見を行っており池田大作のことを『人類の未来について語り合える数少ない人物』だと語っています。
ゴルバチョフが創価学会の会員であるかどうかはわかりませんが、池田大作名誉会長と仲が良いことは明白ですね。
他の日本人がゴルバチョフと会っても約束できなかったことを、池田大作名誉会長が会見をした際に約束を取り付けたことで外交問題が大きく前進したとも言われています。
過去の記者からの質問より、ゴルバチョフの環境保護財団と池田名誉会長の金銭関係を問われた際には、経済的面で財団を支援していただいたことはないと答えています。
また、得体のしれない組織のリーダーである池田大作と共著をしたのかという質問をされた際には、スタッフが仲裁に割り込まないといけないくらい怒り狂ったそうです。