格闘家・佐竹雅昭の引退後の現在の活動

2017/01/20

無敵の空手家・佐竹雅昭!

かつてこれほどまでに強い空手家がいただろうか・・・というほど、とにかく勝ち続けた空手家時代。

佐竹雅昭は、関西外語大学出身でエリートの社会人生活を送るはずだったのですが、中学時代から空手を続けており、そのまま正道会館の職員になりました。

実は、大学卒業時にテレビ局の内定が決まっていたそうです。

テレビ局って言ったら、かなりの倍率。。それを蹴って正道会館の職員ですからね。相当空手が好きだったのでしょう。

 

それもそのはず。

大学4年から社会人2年まで3年連続、合計4回も全日本空手道選手権で優勝しています。

 

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総合格闘技ではあまり勝てませんでしたが、佐竹雅昭はあくまで空手家。

空手時代は大きな大会ほど勝ち続け、のちに総合格闘技で連勝を積み重ねた金泰泳選手にも1993年には空手で2度も勝利しています。

 

空手をほとんど敵なし状態になった佐竹が向かった先は当時設立されたばかりのK-1でした。

 

 

 

K-1設立と活躍

正道会館の職員という立場でありながら、空手で連勝を重ねてきた佐竹雅昭ですが、1992年にK-1が設立されるとその舞台で台頭を表します。

K-1の母体は正道会館。

その正道会館の看板を背負った佐竹はK-1の1993年の大会でベスト4に入ると、武蔵と並んで日本人で有力株として注目されました。

 

ピーターアーツやアーネストホースとなどには敗北を喫しましたが、中迫剛や大石亨など、やはり日本人にはめっぽう強い・・・

 

K-1を引っ張ってきた人物として日本人で武蔵と並んで人気がありました。

 

アンディ・フグとは親交があったようで、フグが亡くなったときはリング上で「アンディーー!!」と叫んでいたのは印象的でしたね。

それだけ、人気選手だったということですが、ゲーリーグッドリッジには勝利したものの、K-1ではなかなか大物に勝利できないイメージが強かったです。

 

空手は顔面への攻撃がなし。素手で相手と戦いますが、K-1はグローブをつけて相手と殴り合うスポーツですので、やはり全然違ったのでしょう。

それでも佐竹の格闘家精神は強く、次の舞台になんと総合格闘技を選びました。

 

 

総合格闘技ではなかなか勝てなかった

寝技はこれまでやってきていなかったにもかかわらず、総合格闘技での出場のオファーを快諾した佐竹。

背景には武蔵との対戦結果を巡って石井館長と口論したのが原因でしょうか。その後、正道会館から離脱しているので、その見方が強いです。

 

ただ、寝技ありの総合格闘技では本職の選手たちを前に、なかなか勝てませんでした。

それでも村上一成には勝利。日本人には強かったのですが、プロレスラーの小川直也と安田忠夫には敗北を喫しています。

 

結局、総合格闘技は1勝8敗1分けという結果に。

 

しかし、最強の空手家として、畑違いの舞台でも戦えることを証明した佐竹はやはりすごい精神力の持ち主ですね。

 

 

 

引退後、現在の佐竹雅昭

2002年に吉田秀彦とINOKI BOM BA YEで対戦し敗北した佐竹雅昭は、現役を引退しました。

その後、2003年には「総合打撃道」という流派を設立。

京都市に佐竹道場を構えました。

 

道場には多くの塾生が入門しました。やはり人気があったので、道場の経営も順調だったそうです。

 

現在も佐竹道場は運営されています。Facebookページも開設しており、現在も佐竹道場は好調のようです。

 

 

また、佐竹は平成武師道という組織を設立。

人材を育成するスクールのような会なのですが、武士道精神に擬えて佐竹自身の哲学を織り交ぜながら人間活動学という学問を教えています。

そちらの方も塾生はたくさんいるようです。

 

今後も、以前ほどではないでしょうが、人気を集めながら武闘家として活躍していくと思われる佐竹雅昭。

ツイッターやFacebookでも情報が広く出ていますが、また脚光を浴びる日が来るでしょうね。

 

個人的には今後また格闘技にブームが来て、佐竹道場の生徒がその時に活躍してくれればうれしいです。

 

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