福田康夫、元・内閣総理大臣の現在

2017/01/20

『影の外務大臣』内閣官房長官時代の福田康夫

第67代内閣総理大臣であった福田赳夫の実の息子。

早稲田大学第一政治経済学部を卒業すると丸善石油(現コスモ石油)に勤務しており、17年ほどサラリーマン生活を送っていました。

 

父親の後継者になる予定であった、弟の『横手征夫』さんが病気にかかってしまい、急遽政治家を志すことになっている。

40歳の時に、会社を辞め父・福田赳夫の内閣総理大臣秘書官を14年間務めており、父親の地盤を受け継いでいる。

 

1990年に第39回衆議院議員選挙にて出馬し当選している。

2000年には、当時不人気であった森喜朗内閣でスキャンダルを起こした辞任にまで追い込まれた中川秀直に代わり、内閣官房長官及び沖縄開発庁長官に就任している。

 

この時には、閣僚の経験が全くなかったため疑問の声も上がってはいたが、父の秘書官としての経験で調整役として無難に物事を進めていた。

森が失言をするたびに、福田は会見で騒動を無事に収めるというのが定番になり『弁明長官』とも呼ばれていた。

 

2000年の森内閣改造の際には、内閣官房長官を留任してはいるが、沖縄開発庁長官は辞任している。

翌年、2001年には内閣官房長官と男女共同参観担当大臣に就任。

 

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森喜朗内閣に続き、小泉内閣でも引き続き内閣官房長官と男女共同参画担当大臣を務めている。

2003年の内閣改造の際には、内閣官房長官の留任と男女共同参画担当大臣改め内閣府特命担当大臣に就任している。

 

政治体制が官邸主導へと変化していく中で、各省と与党の調整に実力を発揮している。

そして、自身の得意分野でもある外交でも存在感を大きくしていった。

 

小泉内閣の際には、田中眞紀子外務大臣と外務省官僚との騒動で外務省が機能不全に陥ってしまった際には、自ら外務省事務方への指示を行い、外務官僚が外務大臣よりも官邸に赴くことが常態化していったため『影の外務大臣』と呼ばれるようになっていった。

 

2004年に内閣官房長官在任記録が1259日と保利茂を抜き歴代1位となった。

 

しかし、同じ年に自身の過去の保険料未納が発覚し、官房長官を辞任している。

 

 

『あなたとは違うんです』内閣総理大臣就任~辞任まで

 

2007年には、内閣総理大臣指名選挙で衆議院では圧倒的多数で指名されているが、参議院では民主党の小沢一郎が指名される『ねじれ国会』が起きた。

 

両院協議会が開催されるも議論はまとまることはなく、法則に則って衆議院の議決が国会の議決となって、福田が内閣総理大臣に指名されている。

 

記者会見では、自民党の政権を失う可能性もあると指摘しており、自身の内閣を『背水の陣内閣』と命名していた。

2008年8月には、内閣改造に伴い福田改造内閣が発足しており、幹事長に麻生太郎を指名していた。

 

閣僚の参議院枠は参議院自民党の推薦に基づいて選抜していくのが普通となっていたが、推薦を一切無視し、福田は独断で林芳正

や中山恭子らを入閣させていた。

 

また、舛添要一を厚生労働大臣に留任させている。

 

しかし、2008年9月1日に福田は内閣総理大臣・自由民主党総裁を辞任することを記者会見で発表しており、辞任の理由については、新たしい布陣で政策を実現を期してもらいたいというものだった。

 

記者会見の際に、『あなたたちとは違うんです』という言葉を残していることから『のび太総理』とも呼ばれていた。

 

辞任の理由については、他にもブッシュから1兆ドル(100兆円)の要求を受けていて福田はNOと言い続けていたがブッシュがあまりにもしつこかった為、堪忍袋の緒が切れてしまい辞めるとなったという話もありますね。

 

 

福田康夫の現在

内閣総理大臣を退任後は、インター・アクション・カウンシルのメンバーに就任しており、2009年の総会の際にはヘルムート・シュミット、ジャン・クレティエンらと共に世界金融危機や政治経済の国際的な問題について討議をしている。

 

同年に、衆議院議員選挙に出馬しており元フジテレビ社員の三宅雪子に苦戦を強いられていたが当選している。

2010年には、世界経済フォーラムのアジア版でもあるボアオ・アジア・フォーラムの年次総会でフィデル・ラモスの後任とし理事長に選出されている。

 

アジア人口・開発協会の理事長に就任とともに、25ヵ国の国会議員達で構成されている『人口と開発に関するアジア議員フォーラム』の議長にもなっていた。

 

このような活躍が評価され、国際連合本部ビルにて国際連合の副事務総長アーシャ=ローズ・ミギロより国際連合人口賞を受賞しメダルを授与されている。

 

麻生内閣の退陣により、一介の国会議員へなっているが過去の経験を買われ民主党政権側からの助力を求められることも多く、菅直人内閣の際には外交分野についての指南をしていた。

 

2012年の衆議院銀総選挙には出馬しておらず、同年11月に任期満了で衆議院議員を退職している。

 

2016年12月には、2005年より就任していた日本カヌー連盟の会長を退き名誉会長になっている。

 

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